十一月の扉/高楼方子著

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「十一月の扉」 高楼方子(たかどの・ほうこ/1955年生)著
1999年9月 リブリオ出版より単行本
2006年11月 新潮社より文庫化初版

 

 「小公女」とか、「母を尋ねて三千里」とか、欧州の作家が書いた少女向きの小説を読んだことのない私にとって、本書はひどく異和感の強い内容だった。なぜ本書を入手する気になったのか、動機についても自覚が欠落している。

 一つはっきりいえることは、本書に浸ることによって、これまで感じたことのない爽やかさ、和やかさ、細やかさ、温もり、と同時に、頑張る必要のない時空、心を優しく愛撫される時空を知り得た。

 主人公は中学二年の少女、父親が転勤することになったとき、家族と離れ、望遠鏡で見えた「十一月荘」で学期末の2か月を過ごすことになるのだが、そこで触れ合う住人たちとの応接の中に、別世界が見えてくるという内容。

 少女がノートに毎日書く童話が入れ子式にもなって紡がれ、解説者が指摘するように二重奏を形成しているのだが、当然ながら、童話を書く少女の文筆力を想定しつつ書かれているため、童話の部分は私の読書欲を刺激せず、首題の物語にだけ集中した。とはいえ、1955年生まれの作者がよく少女として書き得るレベルで文体を創作できることに感心した。そこで、あらためて、作者紹介欄に目を通すと、これまで何作もの絵本や児童書を書いていること、何度もその分野で賞に輝いていることを知り、納得させられた。

 男ばかり5人兄弟のなかで育った私には、女だけではちきれる家も、そういう状態がかもし出すムードに関しても想像の域を越えており、本書はその意味でも教えられることが多かった。たとえば、少女は泣きたいとき、自分のベッドにころがって、誰もいないところで、涙を流すのだといったようなことだ。もっとも、女ばかり5人という構成の家庭がすべて本書に出てくるような幸福感や安堵感に溢れているはずのないことは判っている。

 「昔も今も一日は24時間で、一年は365日だった」という言葉に、あらためて頷きつつ、再認識した気分に陥ったことが、奇妙な感慨として脳裡に残っている。尤も、宇宙の専門家によれば、地球の自転率は早まる方向にあり、一日が24時間ではなくなることが遠い将来には起こるらしいけれども。

 そして、作者は「ナナカマド」が好きなんだなと思ったこと。三回以上はこの植物の赤い実が文中に出てくる。

 「野次馬」を英語で「Curiosa」というと書いてあったので、むろん、私も知らない単語だったが、辞書で調べると「珍品、稀書、珍奇なもの」とあり、「野次馬」「は「A Curious Crowd」(好奇心いっぱいの群集)とあり、せっかく新しい英単語を覚えたつもりになっていたのが、単にCuriousの変形と知り、おじゃんになったことだけが心残りだった。むろん、Curiosaと形容詞のCurious、あるいは名詞のCuriousity(好奇心)はそれぞれ関連した言語である。


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