半島へ、ふたたび/蓮池薫著

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半島へ、ふたたび

半島へ、ふたたび」 蓮池薫(1957年生)著
帯広告:新潮ドキュメント賞受賞/初めて訪れたソウル/初の手記
2009年6月25日 新潮社より単行本初版 ¥1400+税

 本書の前半は初めて訪問した韓国を中心とした日本や北朝鮮との比較を、後半は北朝鮮から帰国後の体験を作家になった経緯や過程を含めて綴ったもの。

 冒頭に、「捕縛され、ボートで運ばれながら、殴られて腫れ上がったまぶたの隙間から見た最後の日本の姿は、故郷柏崎のほんわかとやさしい夜景だった。その二日後、北朝鮮に着いて目にしたのは、冷たく暗い清津(チョンジン)の夜景だった」とあるが、印象深い言葉だった。

 韓国のアートに「螺鈿(らでん)細工」というのがあるが、これが「朝鮮半島全体に多棲するアカマツの加工しにくい性格を慮って細工され、装飾技術として発展したもの」ということは初めて知った。ちなみに、螺鈿に使われる貝はかつては琉球王朝から輸入した夜光貝(暖海に生息する大型の巻貝)で、磨くと美しく輝き、インドネシアでも木製ドアの象嵌に使われている。江戸時代に、薩摩藩が屋久島近海で獲れた貝を幕府に献上したとき、屋久貝と称したらしく、これが訛って夜光貝となったとは文献の解説。

 「韓国には日本に比べ、自動販売機が少ない」ことから、「日本人は利便性を追いすぎる」との感想を述べているが、インドネシアなどでは自販機や公衆電話はコインを狙う犯罪の対象になりやすく、すぐ壊されるために自動販売機を置かないし、公衆電話は壊れていて使えない。日本ではこうした犯罪がないため、人家から遠距離にある場所にまで10台、20台という数の自販機が設置されているが、ベースにあるのは既に根拠のない「性善説」であり、それが防犯意識の希薄、甘さを生み、ためにATMまでがブルトーザーで運ばれるという犯罪を誘発したのだと私はみている。ATMがブルで運ばれるような設置の仕方をすること自体、防犯意識の低さをありありと物語ってもいて、世界に例がない。

 利便性を追求する姿勢は、資本主義国家が一般的に目指してきたものであり、利器を製造し続けてきた結果が環境破壊にまで及んでいる事実は一種のひずみで、今後どう対処すべきかという問題を残している。ただ、携帯電話という利器は電話線が普及していない発展途上国ほど持つ人が初期段階では急増した。

 私は韓国に行ったことはないが、バリ島、サイパン島で見聞した韓国人らの所業は決して美しいものではなかった。いずれも10年以上昔の話だが、韓国料理の店で中年の韓国人男性が若い人を大声で怒鳴っている図に接し、「年上の人には逆らわない」という儒教の教えがあるとはいえ、公共の場におけるマナーを無視した横暴な態度という印象を拭えなかったし、ホテルのバイキング方式の朝食の場で韓国からの観光客がパンをペーパーバッグに大量に放り込んでいた図にも卑しさを感じた。また、サイパン島では大韓航空の人から「ホテルが部屋を提供してくれず困っているんだが、助けてくれないか」と言われ、ホテルに問いあわせたところ、「韓国人観光客はアメニティーだけでなく、バスタオルやパジャマまで持っていってしまうので、被害がバカにならず、予約の要請を断わっている」という回答を得て唖然とした。

 おそらく、現在ではそういうことはなくなっているだろうが、私の脳裏には上記した見聞が強烈な印象となってインプットされている。日本人が韓国に対する印象を180度変化させたのはNHKが放映したドラマ、「冬のソナタ」で、私自身もぺ・ヨンジュンとチェ・ジュウへのインタビュー場面をTVで見、韓国人に対するイメージを激変させられた。

 以来、「実は、わたしの娘の旦那は在日韓国人なんです」とか、「わたしの息子の嫁は日本に留学で来ていた韓国人女性で、長幼の序を大切にする儒教の国で育った娘だけあって、わたしに対してもとても従順で、可愛い嫁です」とか、友人や知己がこうしたカミングアウトができたのは、偏に「冬ソナ」のおかげだった。

 「日本の若年男性が一般的に軟弱で、日本社会には虚無感や無気力がはびこっている」との指摘は全くその通りで、自殺者が一年に3万人を超えるという実態がそのことを如実に表している。戦後60年余にわたって続いている平和がボケを生み、少子化によってかつては兄弟姉妹間で形成された社会性の構築期が失われ、幼少期から飽食に馴らされ、低劣なテレビ漬けになっているといった諸々に根にあるのではないか。

 一方、韓国は北朝鮮との休戦状態の継続が徴兵制度を存続させ、そのことによる緊張感があり、男が男らしくある社会が実態として存在し、結果的に両国の社会に大きな差をもたらしているように思われる。ただ、そうした環境が韓国社会のなかに今尚「男尊女卑」を継続させているという実態をも生んでいる。

 「韓国社会には日本の植民地だった頃の日本人による侮辱や差別への恨み辛みがある」との話は納得のほかはないが、日本は欧州列強の真似をしたに過ぎず、日清戦争に勝利したことで、それまで欧州各国に強いられた不平等条約(治外法権や関税を含め)を解消することができた。そのうえ、欧州各国が世界に植民地を拡大した頃の現地人への対応は日本がやった締め付けよりはるかに非情なものだった。略奪、殺戮、感染病によって死に追いやるなど、比較を絶する残忍な言動を、ほかならぬキリスト教国がほしいままにしたのは歴史の教えるところ。イギリスが中国に仕掛けた二度にわたるアヘン戦争もアジア人を人間扱いしない白人らの理不尽な歴史のひとこまというしかない。また、日韓合併は両国がロシアの南下を懼れたことに両国の思惑の一致点があったとも仄聞している。

 「韓国人観光客が日本を訪れると、入国審査が厳しい」という指摘は、ここ10年、アジアからの入国者がそのまま不法滞在する、犯罪をおかすという例が増え続けているからで、韓国人に対してだけ時間をかけたり厳しかったりするわけではない。

 「韓国は日本以上に紙媒体が苦戦している」とは初の知見。また、「アルコールを無理強いする習慣は韓国にもある」というのも初めて知った。いずれの国民にもアルコールに弱い体質、下戸が存在するからこそ、無理強いが楽しいのであろう。

 「韓国人留学生が日本人家庭にホームステイして、同じ湯の入った風呂に家族全員が入る習慣は不潔だ」と指摘したのに対し、「日本には全国に温泉が出るため、複数の人が同じ湯に入る習慣が古くから形成され、家族風呂はその延長線上にある」と作者が返事をしたとあり、なるほどと思わされたし、「西洋人が久しぶりに再会したときなどにキスをしたり頬をつけあったりする図は、日本人の目にはそれこそが不潔に映る。習慣や暮らしのあり方というものは文化であり、それぞれの土地に固有の倫理観も風俗もある」との話はまっとうこの上ない。

 もっとも、最近の若い女性は父親が入ったあとの風呂には入らないそうだが、風呂が各家庭になく銭湯を利用していた時代を知らない贅沢病の一つであろう。

 作者は20代の頃、ある日突然拉致され、24年間もの長期にわたって世界でも最も遅れた国の一つに閉じ込められた人である。その事実は、家族や友人から、生活や周辺環境から、国内外の情報や学業から唐突に断ち切られたことを意味する。その間、もし拉致に遭っていなければ得たであろう知識は、ことに吸収力のある若かった時期だったことを慮れば、相当の量に達したはずであり、本書の内容に若干ながら同意できない部分がありはするが、辛辣な批判は意図して控えた。

 著作は北朝鮮についても触れてはいるが、北に残された拉致被害者のことを考え、矛先に隔靴掻痒の感があるのはやむを得ぬところであろう。ただ、同じく拉致され、脱北した韓国人による手記をかつて3冊ほど読んだことがあるが、北朝鮮のかれらへの扱いは日本人に対する待遇に比べ格段にひどく、過酷だったことは事実。

 本書が50万部を越す売れ行きを示しているのは、読者が北朝鮮の事情に関して本書からいくばくかの情報が得られるのではとの期待感もあってのことだろうと推察するが、現時点では諸事情から限度があり、読者の期待通りとはいかなかったのではないか。

 著者のますますの活躍と、北朝鮮に残されている拉致被害者の一刻も早い帰国を祈る。


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