単騎、千里を走る。/白川道著

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単騎、千里を走る。

「単騎、千里を走る。」 白川道著  幻冬舎

 はじめて本を書いたとき、「闇夜に錦を着る」という、三国志で曹操が発した言葉を使って、出版社の編集長を困らせた経験があることを想起した。

 しばらくして、「確認しましたよ。三国志ですね」といってきたときは、若かったこともあり、にんまりしたものだが、同じ「三国志」に関羽の「単騎、千里を走る」という言葉があることは知らなかった。

 その事実と、テレビで高倉健を主人公に置いた中国での撮影風景がふんだんに紹介され、その映像に感動したことが、本書を手にするきっかけとなった。とはいえ、高倉健という人物の「寡黙」が「寡黙である以上の」、あるいは「寡黙であるがゆえの」というべきか、それこそが感動の大部分を占めていたらしく、原本となった著作に期待をふくらませすぎただけ、読後の感想としては、走り書きが感じられ、しらけたものが拭えない。

 普通は「原作」があり、その魅力が映画づくりへと向かうものだ。「単騎、千里を走る」ははじめに映画づくりが前提としてあり、テレビによる宣伝が行き届きすぎて、原作のはしょった執筆と軽さが目立つばかり、あっというまに読みきってしまいはしたが、はっきりいって書評の対象となるような内容ではない。

 だいたい、人づきあいができず、研究所を辞めて、男鹿半島で漁師をはじめて10年経った男が、東京に出てきたときの宿泊が紀尾井町のホテル・ニュー・オータニというのは、設定としていい加減すぎ、宿泊所一つの選び方で、本書そのものがやっつけ仕事という印象を即座に受けた。

 個人的にオータニには仕事でトータル1年以上泊まった経験があり、決してデラックスホテルだと思ったこともないが、本書の筋書きに似合う選択とは思えない。

 本ブログに「高倉健、旅の途中で」を採り上げたことが、こういう結果を導いたのかも知れない。「二度と騙されないぞ」という不愉快な気分が残っただけだった。


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