印度放浪/藤原新也著

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書評:ためいき色のブックレビュー-印度

   「印度放浪」  藤原新也

   1993年6月1日  朝日文庫より初版 ¥1000(税込み)

 この本はかなり昔に買った。文庫のくせに400ページもの暑さ、そのうえアマゾンから入手した本のなかで格別に汚い。読む気を失って、ほうったらかしのまま数年。手元に本が途絶えたため、この本を読むしかないことを知った。

 しかし、最近目にし、ここにブログした本に比べ、内容は月とスッポンというくらい、悪くないし、面白い。写真も多く挿入されているので、それも悪くない。ただ、ボケた写真が多いが、「そこに意図的なものがあるんですか?」と問いたくなる。

 作者のあとがきによれば、初め数年ばかり印度を放浪して、しばらくして再び印度放浪を思い立って出かけ、本書は二度の旅によってできあがったといっている。はっきりしていることはこの著作はノンフィクションであり、嘘や虚偽のない感じたままのものとなっているため、納得が多い、頷くことも多い。

 作者は「なぜインドに行ったんだ?」という質問を繰り返し受けたと書いてあるが、私の知人も行ってるし、第一私自身が旅行屋でもあり、かつて仕事で6年間ほど滞在したバリ島の人々もヒンドゥー教徒であったこともあり、作者がインドをデスティネーションに選んだことに疑問を感じない。

  

 分厚い本なので、心に触れた部分を以下に記す。

*今から20年前のインドを歩いていて「自身と自身が日本で習ってきたもの、世界の虚偽が見えた」。唐突な言葉だが、そう言いたくなる気持ちはよくわかる。「インド人をみる都度、悲しいまでに愚劣であり悲惨であり滑稽であった。また、軽快で華やかで、高貴でもあり、荒々しくもあった」と続く。

*情報に依存する人が10人いれば、10人とも同じ印象をもつだろう。予め情報をあてにしない人はその他の人とは異なる印象をもつだろう。私はインドを訪問するに際し、インドに関するあらゆる情報に触れぬようにした。

*むかしからどこの国の文化でも日本に入ってくるとぜんぶ租借されて可愛くされてしまうが、旅をする人間の質というか格というか、その受容の範囲の広さ、バリエーションが旅の豊かさを決めてしまう。

*水葬された遺体を河の岸で犬が食べていた。火葬されずに水槽される遺体は自殺者と天命を損なった子供に限られるが、撮影がてら近づいて行ったら、その犬が逃げ、しばらくしたら、12、3頭の犬を従えて唸りながら近づいてきた。下に落ちている頭骸骨を手に後ずさりし、いちばん近づいてきた犬に投げつけ、無事に危機を脱した。彼らにとって人間は食べ物なのだ。

 (日本でも、むかし、応仁の乱のとき、武士が腹をすかして群がる犬を切り殺したという話がある)。

*人間は肉がついているときは表情があり個人識別ができるが、頭蓋骨になってしまうと、どれもが個性を失って同じに見える。 (「人間なんて、所詮そんなもの」と言う前に「動物なんて、すべてそういうもの」だ)

*食い物と女に興味のない男は長い旅はできない。東方見聞録を書いたマルコ・ポーロは食い意地の張ったスケベだった。案の定、帰国してだいぶ経ってから、スケベが原因で裁判沙汰になっている。

*日本の蚊取り線香をはじめて見たインド人たちは「それは何だ?」と、だれもがきょとんとした。(私がバリ島で見せたときは、彼らは知っていて、その蚊取り線香の効果も知っていて欲しがった)。

*インドにおいて音楽や絵画などがどんなに優れていても、楽士であり、絵士にすぎず、階級とは一切関係がない。インドでは芸術は民族体験の一の表現にすぎない。

*インド人は多くは人間のことを「ダメな生きもの」だと思っていながら、一方で、自分の肉体は来世に開花することを果てしなく夢みている。

*人間の優秀さも愚かさも人間を支えるが、愚かさのほうが強靭。

*河に女性の死骸が伏せる形で流れていたが、そこにカラスが降りてきてついばみ、再び中空に飛んだかと思うと、降りてきてまたついばむ。死骸が流れに乗り、次第に離れていったが、小さな点になっても、カラスは同じことを繰り返していた。

*よごれた犬が炭になっている人間の骨をがりがり食っている。なんとなくおもしろくないので、蹴飛ばそうとすると、こちらに向かってきた。ここでは犬ともが人間を食い物だと思っていることをつい忘れた。

*遺体を焼く場所で焼いてもらう側と焼く側とが1ルピーのことであらそい、なかなか折り合いがつかない。

*人間を一体焼くのにプロなら30分で充分。

*3日まえから焼かれずに置かれたままの女性の死体があった。風で衣がめくれてしまい、ほとんど裸だった。若い女だったので、「あれは焼かれないのか」と訊いてみたら、「だれかが置いて逃げたのだ」と言った。

*インドでは人間一個のたかの知れた力で肩肘張って歩くより、すべての矛盾に順応することの出来る体こそこの地では生きやすい。

*初めてインドの地図を見たインド人は地図というものの概念が把握できない。

*色とりどりのサリーをまとった女たちがそのサリーを洗うところを見たければ、早起きしなくてはならない。

 (この文章と直接には関係はないのだろうが、近くに挿入された写真なのだが、河岸の階段にうごめく人のなかに、ひときわ背が高く美しい女が立った姿で豊かな胸を露にした写真があり、つい見惚れてしまった)。

 著者が合計でインドに何年滞在したのかがわからないのが残念。おそらく、私自身が関心をより惹かれたのは作者が初めてインド放浪した最初の旅だったのではなかっただろうか。


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