同性愛と異性愛/風間孝&河口和也著

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同性愛と異性愛

「同性愛と異性愛」 
風間孝(1967年生、中央大学国際教養学部準教授)
河口和也(1963年生、広島修道大学尋問学部教授)
帯広告:「気持ち悪い」「自分には関係ない」そう思ったあなたにこそ読んでほしい
2010年3月19日 岩波書店より新書版初版 ¥760+税

 カルーセル・マキが女性への肉体的転換を図った時代に比べれば、ホモ系タレントが連日にわたってTV番組に登場する最近の傾向は時代の変容を感じさせて充分。

 私個人は帯広告にあるように同性愛者を「気持ち悪い」と思うほうだし、「自分には関係ない」とも思うほうだが、そういう人にこそ読んでほしいとの要望に応えて入手した。という以上に、どうしたら同性愛者になり得るのか、根本的に理解不能だったということもある。

 過去、北米大陸(アメリカ、カナダ)から観光客を誘致する仕事をしていた関係で、白人にホモが多いことはよく知っていたし、新宿の京王プラザホテルのロビーで某エイジェンの白人男性とビジネストークをした後、唐突に手を握られ、「Your skin is so soft」などと言って撫でられ、さらに, 「I have a good whisky, why don’t you come up to my room」と誘われたこともあり、ホモっ気のまったくない私にとって、それはUnbelievableで、これ以上にないくらい気持ちの悪い経験だった。

 「性行為によるエイズの発症も薬害感染エイズもエイズとしては同じなのに、ホモ系男性に初めてエイズが発症したとき、世間はメディアを含め、性行為によるエイズのほうが悪性であるかのようなイメージで報道したし、そう理解もした」というのは本当であるし、「そこから社会的な差別、偏見が生まれた」のも事実である。

 とはいえ、「セックスとは無限のバリエーションをもち、人それぞれに具(そな)わった嗜好でもあり、そこから派生する人それぞれの性的手法だという主張があるにも拘わらず、同性愛者同士のアナルセックスに対する興味本位のまなざしは、貧困なセックス観の裏返しではないか」との意見には賛同しがたい。

 「同性愛者は気持ちが悪い」という、そもそもの発想がそこに根ざしているからだ。異性間でも、確かに、アナルを道具の一つとして考え、それなりの効果を期待することはある。たとえば、人差し指をアナルへ親指を膣内に挿入することで興奮を煽る、一つのバリエーションとするなど。しかし、このことと男性同士の愛情関係にアナルへの挿入が常に必須であることとは基本的に違う。いや、あまりに違いすぎる。同性愛者のなかには、現に、「常にアナルを提供する立場の男が括約筋がゆるんで、垂れ流しになった」という話もある。

 むろん、アジアよりも欧米におけるほうが同性愛者に対する一般者の目も、司法の面でも、はるかに進んでいることは知っている。著者が「欧州ではナポレオン法典によってフランスでは同性間の性交を禁止する法が効力を失い、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ、イタリア、ドイツの一部でも、成人同士の合意の上での私的な空間における同性愛行為を処罰することは禁止されている」と書いている通りだ。

 (イスラム圏では現在でも同性愛は禁じられている)。

 ただ、日本でも、16世紀の戦国時代には、戦場での性欲発散目的で織田信長と森蘭丸との関係のような男性同士の性関係が増えたため、それが異常な関係とは見られなくなったという歴史はあるが、織田信長が当時としては格別といえるほどのホモセクシャルだったのではないかと、彼と加賀に百万石を得た前田利長との関係からも推測しているのだが。いずれにせよ、日本のホモセックスは16世紀に特化している。

 「同性愛を犯罪と捉えるか、病気と捉えるかで迷った時代がしばらく続きもした。」

 「アメリカの男性の37%が思春期後にオーガズムに達する完全な同性愛経験があり、白人男性の10%が思春期以前に同性愛的であり、同性愛を『性的逸脱』ではなく、『性的指向の混乱』と定義されたのが1973年」という話は眉唾だと思ったくらいびっくりした。

 最後に「大学に若い同性愛者を呼んで、講演してもらったことがあるが、60%の学生が理解し、受容しようとしたが、30%は無関心、残りの10%が強い嫌悪感を持ち続けた」とあるが、私はホモの男性に腕を触れられるだけでむかつくほうだから、10%に入るのだろう。

 男ばかり5人兄弟の長兄という立場も私のセックス観に影響しているかも知れないが、はっきりいって、私は男などの肉体には僅かな興味もない。男同士の肌が触れ合うと想像しただけで、反吐が出るほどの嫌悪感に充たされる。

 結局、本書をじっくり読んだけれども、著者自身がホモセクシュアルなのではないかという疑いが芽生えてくるほど、内容や説明の仕方に同性愛者をかばおうとする意向が垣間見える。そういうなかから、「なるほど」「そういうことか」と思う箇所がなかったということはなく、よく考えてみれば、この種の内容の著作を世に出すこと、それ自体が相当の覚悟が要ることであり、軽く扱って、適当に書評してしまっては申し訳ないという気持ちも、実はある。


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