国銅/帚木蓬生著

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国銅

「国銅(こくどう)」上下巻
帚木蓬生(ははきぎほうせい)著
新潮社 2003年単行本として初版
新潮文庫 2006年3月文庫化
定価:上下ともに¥590

 
 本書はこの作家が過去に世に送り出した他の作品とは趣を異にしている。

 舞台となる時代背景は8世紀、日本が倭の国とよばれていた奈良時代、平安京と呼ばれていた頃。(ちなみに倭とは小人、チビという意味で、蔑称である)。

 長門の国(現在の山口県西北部)で産出する良質の銅をもって、全国から駆り出された人足(工人、技術者を含め)が奈良東大寺に大仏を造成する歴史的事実に基づき、この時代特有の人の生き様、社会の実態、人間性の清濁、社会的善悪観念、身分階級、死生観、技術的レベル、男女のこと、旅にかかわる苛烈さ、与えられた仕事を成就するうえでの苦闘などなどが書の内容を埋め、読んでいながら、まるで8世紀の世界に放り込まれた気分に陥り、当時の社会を垣間見せてもらいつつ堪能させたもらったという感慨。

 もともと、奈良の大仏建立は、753年に聖武天皇が「万民の幸福」と「万代の国の繁栄」を祈って、大仏の金銅像を一体、造立を発願したところにはじまったにも拘わらず、現実には多くの人足がろくな労賃も食事も与えられず、数年後に帰国する段になると、往路とは異なり、安全を保証するような手立てもされず、ために仕事中はもとより旅の帰途に犠牲になった人の数は数知れない。 当時の旅は命がけだった。

 万民の幸福を願い、万民を救うはずだった大仏の加護もなく、そのうえ奥羽産の金で鍍金されて輝くばかりの大仏は建築物で周囲を囲まれ、覆われて、人々の目には届かない存在となった。一方で、長門の国で「乞食坊主」と呼ばれていた僧がたった一人、東大寺の大仏とほぼ同じサイズの大仏を縄でみずからの体を宙吊りにしながら危険をおかしつつ単独で岩山を掘り込み、刻み込み、だれもの目に捉えられるように造った。

 為政者の権威だけが傍若無人に押し通され、庶民の命は虫けらほどの価値しかなかった印象が本書全体に漂い、上記した金ぴかの大仏と岩でできた裸の大仏との対比が鮮明に映し出され、人間の精神、そして物事の「対比」と「対照」とを浮き彫りにすることに成功している。(尤も、岩山に掘られた大仏は後世に遺されてはいないが。

 ただ、当時は、百済(朝鮮半島南西部)からの渡来人(あるいはその血を引く子孫)が技術を指導していたことは間違いなく、首題である銅づくりの技術にしても、絵師、仏像、仏具、養蚕、機織、馬鞍、弓削り、鎧兜、易経、暦などなど、数え切れないほどの教導を受けている。

 皇室自体も百済に頼んで工人を貰い受け、丁重に扱ったという歴史的事実があり、渡来人の住居はすべて都のなかか、その近辺に意図的に集めたと伝聞している。朝鮮半島の内乱時、百済が滅亡寸前の折には日本に救助、援兵を求めてき、支援はしたものの、戦には負け、旗を巻いて逃げ帰ったという歴史がある。 それほど、倭の国と百済とは親交深きものがあった。百済からの難民を引き受けた史実もあるようだ。

 当時の人の食生活に猪、鹿、兎、などの獣が海産物や淡水からの産物とともに食卓に供されていたようだが、いつから四足の獣肉をことさらに嫌うようになったのか、疑問が残った。

 本書の主人公は国人(くにと)という名だが、登場人物には犬首(いぬくび)、逆(さかさ)、黒虫(くろむし)、刀良(とら)、猪手(いて)、魚成(うおなり)など、想像だにしない名が人足の名として挙げられている。これは当時の人名として常識的だったのか、あるいは作者が勝手に名づけたのか、そのあたりは分明ではない。

 作者は「外国人」のことをあえて「外つ国」とし、「とつくに」とのルビを振っている。

 平安時代、このような造成や建立のために全国から人を集めたために、都の言葉が逆に地方に波及し、北は東北から南は沖縄の離島まで、途中で形を変え、訛りが加えられ、間違って伝えられたりして、ちょうど池の中に石を投げ込んだときのような波紋を描きながら広まったのだろうと想像する。とはいえ、平安時代の発音は現代とは異なり、我々が耳にしても、何をどういっているのかおそらくはチンプンカンプンだったはずだ。

 文中に「私を知る者、天下に無くともよし、己れの心の誠に芳(かんば)しければ」とあり、正直いって、私はこの言葉を前にして、しばらく先に進めなかった。哭きたいような気持ちになったことを告白する。

 私は過去にこの作家の著作はほとんど読んでいるが、基本的にノンフィクション系列の好きな私としては「三たびの海峡」と「逃亡」に感動し、著者の本職である医師としての知識が存分に発揮されている「臓器農場」や「閉鎖病棟」にも、その発想と動機に感銘を受けたことを記憶している。

 残念なことは、この著者の姓を読み間違うことが多く、また記憶しづらく、帚(ほうき)という字と木をあわせて「ははきぎ」と読ませることには一般的には無理があり、もうちょっと覚えやすいペンネームにしてくれればよかったと再三思うのは私だけではないだろう。


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