在日/姜尚中著

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在日

在日」 
姜尚中(カン・サンジュン/1950年生/在日二世)
2004年に講談社より単行本として刊行
2008年1月 集英社 文庫化初版

 
 作者の両親は朝鮮人の在日一世、作者自身は朝鮮戦争が起こった年に熊本で誕生、小さい頃から一世として日本という閉鎖的で排他的な社会のなかで苦悶と望郷の念にかられつつ生きてきた両親や叔父、叔母を見て育ちながらも、学業優秀で小中高から早稲田大学に進み、ドイツに留学し、現在は東大の教授。テレビでも穏やかな風情の、おなじみの顔である。

 さすがに、恨み辛みは僅かではないはずだが、そうした怨念を抑制した文章は清々しく、清潔感にあふれている。ただ、2ページ目に「・・のだ」で終わる文章がいきなり3度も出てき、「のだ」を使って文を強調する調子の嫌いな私には「いやだな」という気持ちに陥ったが、その後はそうした調子が継続されることはなく抑制の効いた文章で統一されている。2ページ目の「のだ」は本書から窺われる僅かな気負いというか、憤りというか、そういう気分の現れだったのかも知れない。

 作者が「おじさん」のことを書いた下りには、日本社会から虫けらのように扱われ、無視され、存在そのものが犯罪者のように思われ、埒外に置かれた境遇だったからこそ望郷の念に強く束縛されつつも、北から来ている以上、帰るに帰れず、一生にわたって寡黙を通し、一方で、犬が車に轢かれて死んでいるのを見つけるとそのままには放置できず、土手に穴を掘って死体を埋めてやる優しい姿が彷彿し、胸に響く。

 私の両親の世代の口からは朝鮮人をバカにし、「あいつは朝鮮だから」という、明らかに蔑みを込めた発言をしばしば耳にしたものだが、私自身が朝鮮の方と直接触れ合ったのは学生時代に肉体労働でアルバイトをしたときだけ、その方は張さんといい、真面目でおとなしい方だったと記憶している。

 両親やその世代の人たちからの話では、在日一世の方々の仕事は廃品回収か屠殺か、屠殺した動物から皮革製品を作るか、あとはヤーさんか、よくてパチンコ屋だと聞いたことがあり、さらには、戦前の関東大震災の折りには東京の北区か豊島区だったと記憶するが、「朝鮮人が井戸に毒薬を放りこんだ」というデマが飛び、実際にはそんなことはしていないのに、数人の朝鮮の方が日本人に撲殺されたという歴史もある。決して、彼らが堂々と生きてこれるような社会ではなかった。

 石原慎太郎都知事がかつて不用意に発して物議をかもした「第三国人」という言葉が、GHQ(アメリカ駐留軍のヘッドクォーター)が戦勝国でもなく敗戦国でもない朝鮮半島を指して「The third nation」と言ったことに起源をもつことを本書によって知った。

 尤も、日本人だって戦前戦後、貧しかった農家の方などが一家そろって中南米行きの移民船に乗って植民し、同じように辛い目に遭い、望郷の思いに駆られた歴史もあり、貧しいことから、東南アジアのあちこちで身を売った日本女性(からゆきさん)もいたわけで、恨み辛みを言いたい人は沢山いたはずで、朝鮮半島の人に限ったことではない。

 作者が小学校の高学年になったとき、歴史を学ぶ時間が嫌だったという話だが、自分が「歴史の屑(くず)」といったイメージ、根無し草としての否定的な思念が幼い心に暗い影を落とした」という気持ちはよく理解できるし、胸が痛む。

 1968年、日本の経済が右肩上がりに伸びていた時期、唐突にテレビ、新聞で躍ったニュースは在日の一人、金嬉老(きんきろう)という男が静岡県の北部にある寸又峡の旅館に入り込み、人質をとって、籠城事件を起こした事件。社会の底辺に追い込まれていた在日の怒りが暴力的な形で表出した犯罪だったため、在日の犯罪者的イメージが全国的に拡大する機会になってしまったものの、自分の心にはこの事件は一方で「在日のアピール」であり、もう一方では「犯罪者」という二律背反的な感情があったという。

 実は、昨年の秋、私は静岡市に住む叔母を誘い、寸又峡を日帰りドライブした。金嬉老がどんな道を必死になって走って逃げたのかを確かめたかったからだが、道路状態は現在でもほとんどが一車線であり、日光のイロハ坂のように曲がりくねっていて、ところどころに擦れ違いを可能にする場所が設けられてはいたが、周辺は鬱蒼たる森林で、青空や太陽が見えない場所が多く、しかも山を三つも越えなければならなかった。現地に辿りついたときは、ハンドルから両手を放せない運転だったため、7時間ほどはドライブした感覚だったが、走行距離を見ると、40キロ程度だったことに驚いたことが思い出される。

 作者がドイツに留学しているとき、「中国人、韓国人、台湾人には一様に悲壮感があり、真面目で、いわば刻苦勉励型の学生がほとんどだったが、日本人留学生だけは、遊び半分といったイメージで、どこにでも当然のように遊びに出かけていくことに驚いた」という。学生としての使命感、そして勤勉な姿に大きな相違を認めざるを得なかったからだ。「もし、こういう日本人が将来の日本を背負っていくとしたら、日本という国の将来に余り過剰な期待はかけられそうにないという印象をもたざるを得なかった」と語っている。確かに、日本人留学生はせっかく外国に在りながら、日本人ばかり寄り集まって、他国の人間との交流に積極的でない例が少なくない。日本人は同じ黄色人種に対しては優越意識をもつが、白人種に対しては劣等意識があり、一対一の堂々とした対話ができないところがある。

 留学時のドイツには、地中海沿岸の南欧系外国人労働者や、その子弟に対して抜きがたい蔑みや、差別感が根強かった。1992年(統一後)、ゾーリンゲンでトルコ人集団住宅に放火があり、数人のトルコ女性が犠牲になったように、ドイツ国内で差別待遇を受けてきたのは主にトルコ人に限っていたが、それは彼らだけがイスラム教徒だったからだろう。ギリシャ人に対しては差別や偏見が残ってはいたが、トルコ人に対するよりはましだったものの、ドイツ人一般は尊大で、人としての温もりを感じたことはないと言い切っている。

 だいたい、戦後、西ドイツは1955年にイタリアから移民を受け入れ、以来、60年代初頭以降、地中海沿岸地域に積極的な人集め政策を展開した。1960年にはスペイン人に継いでギリシャ人、1973年にはEU加盟国以外からの外国人労働者は260万人にのぼり、家族を合わせると400万人に達していた。それから10年後、ベルリンの壁が破れ、東ドイツから未曾有ともいえる大量の国籍移動が起こり、ユーゴスラビア人も入ってくるようになった。その後、EU加盟国民として、選挙権を除けば、内国民とほぼ同じ待遇を受けているが、これが契機となって、ドイツ経済はそれまでの繁栄から停滞への道をたどる。

 こうして留学を終え、日本に帰国したとき、「ドイツにはない超安定した社会が自分の神経を逆撫でした」という。エマラ・ボーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いたのは日本社会の夜郎自大の傲慢さが目立ち始めていた頃で、1980年代前半にはアメリカを抜いて巨大な経済大国となり、バブルの姿がここかしこに拡がりを見せていた。いずれ「この社会は報復の対象となる」との予感が胸を震わせていた。

 「従軍慰安婦問題は欧州でも同じ、戦争が起こるときの全世界的な現象に過ぎない」と、韓国の元従軍慰安婦のかしましい主張を一蹴している。しかし、国が分断されていることの緊張感、第二次朝鮮戦争の勃発の危機感、南北の関係は凍結されたままの仮の平和にすぎないという事実、こうした異常さに最も鈍感なのは日本人。そして、日本のマスコミの浅はかさ、奥行きのなさ。拉致問題が日本中を騒がせたとたん、マスコミが突然のように朝鮮半島を採り上げるようになったが、最も多くの人が拉致されているのは韓国人であって日本人ではない。日本のマスコミの事象の上面(うわつら)をさらっと撫で上げるようなニュースの流し方は、世界の常識からは不可解にしか映らない。

 「日本では国家としての意識を発揚するうえで最も重要な国旗が、戦後長い期間、日陰の存在であり続けたのは左翼を中心とする宣伝工作による『自虐的史観』の蔓延による、自律神経失調にある」との意見は正鵠を得ている。だいたい、この国に「共産党」という政治的党派がその名のまま今でも存在すること自体、私には不可解。

 作者の言葉どおり、「アジア的共同体」などというものは夢のまた夢だということはよく解る。西欧なら、言葉自体がすべてラテン語を起源とし、隣国の言葉を覚えやすいという条件があるが、他方、アジア諸国はすべて(インドネシアとマレーシアが唯一の例外)全く相似性のない言語を使っている。「アジアは一つ」という言葉は格好よいが、現実的ではない。

 作者は「南北の分断状態はいずれ必ず統一され、元に戻ることを信じている」という。しかし、あのドイツでさえ東から大量の人間がどっと入ってきて以来、経済は低迷。韓国に北朝鮮人の流民を受け容れる力があるのだろうか。しかも、韓国も日本と同様、今や、若い世代が社会を牽引する時代に変容している。韓国人全体が南北の統一を願っているとは限らないのではないか。たとえ、六カ国会議に米国代表として出席しているクリストファー・ヒル氏が「コリアン・エンドゲーム」と言ったとしても、統一が必ずしも、少なくとも、当面は倖せだけを招来するとは限らない。現実に、命がけで脱北することに成功しても、韓国では侮蔑の対象となり、仕事さえもらえず、悲惨な生活をしている事実が報道されている。

 作者の日本名は永野鉄男で、長じて、カン・サンジュンとしてカミングアウトすることを決意したとあるが、日本人一般が韓国人に対してのイメージを180度変化させたのはNHKが放映したドラマ「冬のソナタ」であっただろう。

 かく言う私の姪だって、今では韓国の人と結婚し、二人の子をなし、韓国で生活している。

 話は変わるが、沖縄人だって、かつては出身地を隠したり、名前を変えたりしたもので、これも安室ナミエや仲間由起恵などの活躍によって、隠す必要などなくなり、今日では多くの芸能人が沖縄からやってきて成功している。

 もう一つ言えば、作者が平然とカミングアウトできたのは東大の教授という、ほとんどの日本人でさえ望み得ないポジションを得ているからであって、在日二世がすべて作者と同じ姿勢を貫けるとは思えない。

 人間とはさもしい生物だとつくづく思う。日本人がかつて中国人を「チャンコロ」といい、朝鮮人を「チョウセン」と言って侮辱したように、イギリス人だって、オランダ人をバカにし、「ダッチ・ワイフ」だとか「ダッチ・アカウント」だとか言うし、オランダ人はベルギーを「歴史書の薄い国」とバカにするし、ドイツ人のことは森の中にこもって哲学ばかり考えているから海洋を知らず、植民地を持っていないというし、ドイツ人はイタリア人を浮薄で軽佻だというし、隣国は隣国の悪口をしばしば言うものである。英語圏の人々は、外国の各々の国民を侮辱する言葉がほとんどすべてあることも事実である。

 ことに、半島に居住する人々、人間の通過点になる土地に住む人々には、必ず悲惨な過去がある。イスラエルから追い出され、迫害を受け続けたユダヤ人もそうだったし、朝鮮半島に居住する人々も、ロシアや中国からいじめを受けた歴史がある。島国に居住する日本人には身にしみて感じられない思いがそういう国で育った人にはあることを、日本人は知らない。

 正直にいえば、私にも韓国人に対する偏見があった。本書を読んだことで、少なくとも作者は日本人一般がおよばない達観したものを胸にし、清潔感にあふれていることを知ったし、自己抑制の効いた執筆には、胸に響くものがあったことを強調したい。良い本にめぐり遭えた思いが脳裡に消しがたくある。


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One Response to “在日/姜尚中著”

  1. withyuko より:

     本屋さんで見てから、いつか読もうと思っていましたが、Hustlerさんのこの記事を読んで、買ってきました。まだ、全部、読めていませんが、思っていたより、読みやすいです。もっと、暗くて重い本だと思っていましたが、恨みつらみ、という感じは全然ないですね。

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