地獄変・偸盗/芥川龍之介著

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地獄変・偸盗「地獄変・偸盗」
芥川龍之介著 (1892-1927年)
新潮文庫 1968年文庫化初版 (2001年で78刷目)

 本書には大正6年から11年までに発表された作品(短編6編)が収められているが、「王朝もの」といわれる作品としてはごく初期のものである。

 高校時代、作者の文のもつきれの良さ、頭の良さに痺れ、兄弟の多いなかで育った私には本篇の一編「偸盗」にことのほかの親近感をもち、共鳴するところがあり、武者小路実篤の「友情」とともに愛読書の一つとして他言もした。兄弟で同じ女に惚れ、「女をとるか、兄弟をとるか」のぎりぎりの選択のなかで「女を捨てる」ことで決着する場面にいたく感動した記憶をなお強く持っていた。そうした心情は少年特有の純粋すぎる思念だったことには、自分が大人になってから気づいた。

 この作者の作品を再読したのはそれ以来のことで、期待に胸ふくらませてページを繰ったものの、あらためて、これら短編が「今昔物語」と「宇治拾遺物語」に素材をとっただけでなく、西欧の著名な作品から拝借したものを混在させた、現今の言葉でいえば、いわば「パクリ」であることを納得させられ、読み継ぐ気力を萎えさせた。

 ことに、「六の宮の姫君」は原作の筋をそっくりそのまま現代文に直しただけにも拘わらず、当時、芥川の作品中で「白眉」のものと絶賛された経緯について、当時の文壇のありようが不可解であり、後日、独自性の高い作品をものしたとはいいながら、30代で自死してしまった、こういう人物の名を、文壇への登竜門に冠したことにも納得できないものを感ずる。(後日知ったことだが、芥川は梅毒に苦しんでいたというから、やはり当時の青年と同じく遊郭に通った一人であったのだろう)。

 現実に、文学界には「賞」と称されるものは幾多も存在するが、「芥川賞」「直木賞」はともに他を圧し、これらの賞と縁をもち得たか、無縁に終わったかは、作者の一生に影響したし、現にしている。

 芥川はもともと「人生への懐疑者」であり、「芸術が道徳と相克し矛盾すること」に深い悩みをもっていた。「藪の中」という作品では一つの事件を三人が証言するが、三人が三様の意見陳述をし、各人各様の感情や心理によって真実は幾つもの姿を呈することを表現しているが、現代社会においては常識であり、単純に科学的推敲能力の欠落に思われる。

 人間の眼ほどあてにならないものはなく、同じものを見ても表現が異なることはしばしばであり、目にしたもののうち何が衝撃だったかも人によって異なる、そういう人間の動物的な感受性に作者は気づいていない。 どうやら、彼が生まれた時代、日露戦争の10年以上前という時代背景にも影響されたように思われる。西欧から著名な作品がどっと入ってきた時代であり、日本はその影響下、現代文学が新たに芽を吹き出した時代でもあった。

 そうした時代と社会、そして作者のキャラクターを無視しては、芥川の真の姿は見えてこないのではないかと、ふと思った。ただ、「パクリ」とはいえ、高校時代には徒然草、平家物語、源氏物語、方丈記、枕草子などには触れる機会の多かった私たちにとって、芥川の王朝物は学校で一般に教えない古い作品の現代訳としては他を圧して屹立するほどの印象があった。

 要するに、芥川は真面目すぎた、真摯に物事を考え、いいかげんにできなかった。悪くいえば「小心」、良くいえば「繊細」な性格の持ち主だったということではないのか。


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