夜と霧(新版)/ヴィクトール・E・フランクル著

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「夜と霧」(新版) ヴィクトール・E・フランクル(1905-1997/ウィーン生まれ/心理学者・医師)著
訳者:池田香代子
みすず書房  2002年11月初版

 

 1956年に初版が出ていたものを著者本人が加筆、修正したうえで再版したものの新訳。

 第二次世界大戦のさなか、ドイツ・ナチスが行ったユダヤ人大量虐殺した折りの、著者(ユダヤ人)の体験を正直に綴った内容。つまり、著者は奇跡的に生き残った一人であり、心理学者であり医師でもあることの矜持を礎にしつつ書かれた著作で、世界的に知られている。

 収容所に送られたユダヤ人は仲間がガス室で殺害されたり、飢餓で死んだり、暴力で殺されたりしている事実を薄々知っていたために、常に「明日はわが身」との覚悟と、生き残りたいとの希みとのはざまに置かれる。作者は、過酷な環境下の人間がどのような心理的状態に落ち込むかを、冷静に、かつ淡々と描いている。

 「非収容者は無期限の暫定的な存在に過ぎないとの自覚、原始的な本能だけに導かれ、人間としての文化的心情の側面が冬眠してしまう」との表現は見事。同じユダヤ人同士のなかですら、抗争が起こる事実、親衛隊に世辞を言い、自分への扱いを寛大にさせようとしたり、仲間を売ったりする実態からの心理学者らしい観察。

 また、哲学者、ニーチェの「なぜ生きるかを知る者は、どのように生きることにも耐える」という言葉を紹介しつつ、絶望する者は死を早めるだけ、どのように過酷な状況下にあろうと諦めずにいたことが自分を救い、解放される日を迎えることが出来たと言いつつも、解放が収容所で苦しんだ毎日を帳消しにするほどの幸せとはなり得なかったという。自宅に帰れば、妻が、子供が待っているだろう、ドアを開けてくれるだろうとの期待は裏切られ、帰宅した自分を迎える人は誰もいなかった。つまりは、自分が収容所に送られたとき、妻も子供も別の収容所に送られ、すでに殺されていたことを知っただけで、長期にわたり茫然自失の心的状況に置かれた。

 ドイツ人がある時代、ユダヤ人に対し残酷なことをしたことは事実だが、残酷さはヨーロッパ人に共通するものではないかと私は思っている。イギリス人は隣国のアイルランド人をめちゃくちゃいじめた歴史をもっているだけでなく、多くの植民地で他文化圏の人々(異教徒と言い換えてもいい)を大量に殺害しているし、スペイン人もポルトガル人もアフリカや中南米で同じことをしている。

 大戦後、ソ連邦では、再びユダヤ人がホロコーストに遭っている。オランダ人は比較的穏やかではあったが、それでも、インドネシアを植民地化したとき、武力を傘に、場合によっては殺人、基本的にはコショウ、ナツメグ、コーヒー、ゴムなどの収奪に専念した。

 他民族への容赦のないあしらいという点では、ある時期の日本人にも言えることで、人類が誕生以来持ち続けている性(さが)なのかも知れない。

 本書は長期にわたり世界で読み継がれてきたし、今後もなお読み継がれるだけの価値ある著作である。


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