大山康晴の晩節/河口俊彦著

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「大山康晴の晩節」  河口俊彦著
新潮文庫刊2006年4月初版  定価¥552

 

 大山という棋士のすごさ、人間味などに触れる機会にはなったが、現在の名人、羽生の本を読んだとき同様、正直な感想としては、やや隔靴掻痒というべきか、踏み込み不足が感じられて、天才らしい強烈な人間味がじかに伝わってこない。勝負の世界に君臨する者を、いわば負け犬(著者は格下のプロ棋士)が書いたための遠慮といった印象が捨てきれない。

 大山は大天才、引退するまで、木村義雄、升田幸三、加藤一二三、塚田、丸田、米長、中原などという強豪があふれるほどいたなかで、黄金期を三度もつくり、名人位も中原に奪取されるまで18年連続で守り抜いた。

 通常、棋士は45歳前後から、それまでの冴えや勢いを失い、タイトル戦はもとより、A級からB級へ、B級からC級へと降格する棋士が多い。大山だけは69歳で死を迎えるまでA級を死守するという快挙をなしとげた稀有の棋士。この世界も、例に漏れず、女の問題でスキャンダルを起こした棋士がいるが、大山にも特定の女がいたらしく、頭脳を酷使したあとの、癒しを求める風潮があったのかも知れない。謹厳実直な容貌からはちょっと想像できないが。

 名人位をとった中原のほうは名人位を失ったあと、タイトル戦には縁がなく、成績もふるっていない。大山がいかに豪の者であったかはそのことからも推し量れる。

 なかに、山田道美という36歳で急逝した若者棋士が出てくるが、この若手との将棋に大山が相当に苦戦した様子はおもしろく、この部分が盛り上がりとなっている。

 将棋は日本独特の、グローバリズムの気配のないゲームである。チェスに比べ、取った駒を使え、相手の陣内に入れば金と王以外は昇格するという複雑性が、ゲームのあり方をより難しくしてもいる。もし、主たるスポンサーである新聞社がこの世から消えたら、インターネットが棋士たちの生活を救うのであろうかとふと考える。 新聞の購読者数は年々減っていることは事実だからだ。

 羽生という天才が出ても、これに外国人がぶつかるという話は聞いたことがないし、外国人の強者というのにもお目にかかったことがない。

 一方、囲碁のほうは黒と白という一見単純なゲームで、といっても盤が広く、決してやさしいゲームではないが、外国人にも解りやすく、現にレイモンドという八段の白人をはじめ、中国人、韓国人も棋界にあって、覇を競うというより、角界同様、事実上君臨している。レイモンドは海外への囲碁普及活動にも熱心で、たとえば「シチョウ」のことを「ラダー」(梯子)と訳したり、囲碁独特の言葉の翻訳に工夫を加え、白人社会に囲碁の面白さ、深遠さを伝えることに意を注いでいるそうで、拍手を送りたい。

 私自身は囲碁は素人2段だが、将棋は駒の動かし方を知っているというレベル、それでも、日曜日はNHK3チャンネルを楽しみにしているのだが、なぜか将棋ははじめから終わりまる見ているのに、囲碁のゲームがはじまると知らぬ間に居眠ってしまう。

 欲をいえば、棋界の将来について、踏み込んだ話が欲しかった。 そして、なぜA級、B級、C級などという、むかしからのやり方を変えず、戦後から現在にいたっても将棋界には九段が少ないのか、その理由が知りたかった。


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