奇蹟の正倉院宝物/米田雄介著

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書評:ためいき色のブックレビュー-奇蹟

  「奇蹟の正倉院宝物」  米田雄介(1936年生/元宮内庁正倉院事務所長)

  副題:シルクロードの終着駅

  帯広告:天平人は五弦枇杷の音色をどう聞いたか?

  2010年10月25日 角川書店より単行本初版  ¥1600+税

 著者は奈良の正倉院こそが、いわゆるシルクロードの終着駅であるとの信念の持ち主。(そういう見方もなくはないとは思うが、ペルシャ以東各地から発した色々な産物、創造物を見るかぎり、正倉院にあるものは一部は中国から、大部分は韓国からわたったきたもので、シルクロードのメインからは外れているような気がする。「はずれ」だとしても、はずれのはずれといった印象)

 正倉院建立は756年に出来上がった東大寺との関係が深く、律令国家成立とのかかわりを無視しては、正倉院建立の背景は見えてこない。以下の三点がベースとなっている。

 天皇を頂点とする中央貴族、豪族による一元的土地・人民支配体制の確立、中央集権的官僚制度体制の構築、東アジアにおける小帝国の樹立。

 渡来人から教えられた中国の漢詩を日本人も韓国人も懸命に真似をした時代。大宝律令の精神は新羅を中心とした朝鮮との新しい関係(この時代、百済はすでに滅ぼされている)や唐との関係を結果し、これも正倉院宝物殿の建立を促した。

 正倉院は南北に33M、奥行き11M、高さ14M,床下2.7M,、現在は火災を考えて鉄筋鉄骨づくりの場所に宝物の半分を納めている。

 中身は楽器、四弦、五弦枇杷、竿(ぅ)、尺八、新羅琴、笙(しょう)など。装飾は夜光貝による螺鈿細工(らでんざいく)、あるいはアカウミガメの鼈甲(べっこう)、琥珀(こはく)、トルコ石、ラピスラズリ。(鼈甲は同じ亀でも、タイマイという種類だけだと教えられたが)

 私が正倉院を訪れたのは修学旅行時の一度きりだが、螺鈿の入った碁盤の美しさに目を見張らされたことを思い出す。

 さらに、鏡、壷、杯、天皇による真筆書、屏風、帳などがあるが、屏風は日本家屋にあって場を仕切ったり、別の空間を増やしたりするのに効果的だった。本書は屏風に多くのページを割いている。

 なかに、ベッドがあり、これがせ聖武天皇と光明皇后のもので、長さ237cm、幅118cm、高さ38cmと、現代のベッド並みのサイズ。

 ただ、「平安時代の記録によれば、天皇も参列貴族官人らも礼服として律令で規定している中国風の装束を着用した」とあり、想像するだに不快感が抑えがたいものの、漢字や漢詩を必死になって覚えた時代、不快ながら仕方がなかったというしかない。

 本書には、夜光貝を使った螺鈿細工が遠くインドか中国沿岸から渡ってきたかのような記述があるが、旧琉球王国の海にはどこにでも夜光貝は存在し、それが朝鮮半島に輸出されて朝鮮における螺鈿細工の製作を支えたと私は理解している。

 第一、「夜光貝」という言葉自体、鹿児島の島津藩が屋久島の海で取れたため「屋久貝」と称して、参勤交代時に江戸の将軍に贈ったという話があり、それが時間の経過とともに夜に海底で光るわけでもないのに、「夜光貝」という名が正式名になってしまったという経緯がある。この貝は確かにインド洋にもあり、私はバリ島にいたときじかに見ている。ちなみに、琥珀はヴェトナムにもある。

 著者が言うように、正倉院に収められた宝物の大部分が1千年以上の時を経て現代に残されているのは、ほとんど奇蹟であり、その価値についてはまた何をか言わんやというところ。


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