女性の品格/坂東眞理子著

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女性の品格

「女性の品格」  坂東眞理子(1964年生)著
PHP新書  2006年10月初版  (2年間で54冊改版)

 

 作者は東大卒、オーストラリアのブリスベン領事長を経て、現在昭和女子大学長。

 正直に言うが内容はきわめて常識的なことで溢れ、これといって目新しい、首ったまを捕まえられるような思考や言葉にぶつかることもない。読者層を若い人向きに想定した感がある。

 ただ、本書の文頭に聖人君子のなかに、孔子はともかく、イエス・キリスト、源義経、豊臣秀吉などの名が挙げられ、その選択神経が不可解だった。後に判ったことは、「人の見ていないところで努力する」という欄に出てくるのだが、秀吉は信長への思いやりから草履を懐にいれて温めるという所作が評価対象になったらしい。採用する人物に注意したほうがいいと思うのは、秀吉は下賤な生まれ育ちであるとの意識が過剰ゆえに、家柄の良い女(たとえ部下の女房であれ)自分のものにし、荒淫に励み、ために早死にしたというイメージが強いことで、決して聖人君子というイメージの人物ではない。

 作者はブリスベンでの領事長歴を盛んに持ち出すが、日本の大使館、領事館がアメリカのそれに比較して、きわめて評判の悪いことを知っているのかどうか。アメリカの大使館、領事館はアメリカ人を守る姿勢に徹しているのに比べ、日本の大使館、領事館はパスポートを紛失した日本人観光客への対応はもたもたするし、対応そのものを口をへの字に曲げていやがるし、その一方で、本国から代議士や官僚の上司などが来所すると、態度を一変させ、出世のチャンスとばかりに誠心誠意、といっても国民の税金を使って接待に気を配る。日本から出向している外務省の吏員には生意気なやつが多く、一度などぶん殴ってやろうかと思ったことすらある。

 だいたい、本国が軍事力を誇示する国でないため、それをバックとした強行な交渉すら出来ず、ために主要な業務であるはずの日本国民を守るうえでも限界があるということで、作者は領事長の経験がありながら、そういう外務省の対応の実際について書くことを回避しているのが見え見え。

 歳暮、中元などの昔からの贈り物習慣はもうやめる時期がきていると思うし、冠婚葬祭に関する礼儀作法は基本的には親が教えるものであり、親が出来ないから、ホテルや業者などが換わって教えることになる。

 外国でのパーティに呼ばれる機会があったら、ウィスキー、バーボン、ブランデー、いずれか一本を下げていくのが礼儀だという作者の提案には賛成だが、外国に滞在経験のある人にとっては常識。

 「流行の言葉」については、よく見極めないと、すぐ消えてしまう言葉と、生き続けて辞書に掲載される言葉とがあるが、そのことは昔も今も変わりがない。「超」づけの言葉は、いわばバカチョンで、低能者向きの言葉でしかない。

 「枕草子と源氏物語が好きだ」というは勝手だが、花鳥風月を一年中話して飽きないという公家文化のいわば集大成で、そこには女はいいとして、男らしいなにものもない。光源氏があっちの女こっちの女に手を出しちゃ抱っこする話のどこがおもしろいのか、私には理解できない。そのうえ、「武士道」にはユーモアがないというに至っては、なにバカ言ってんだという気持ちになる。武士道はイギリスの紳士道と違うだけでなく、日本のユーモアは落語、歌舞伎、能、芝居などの世界で存分に発揮されている。ユーモアというものはそれぞれの文化によって異なり、他国のユーモアは理解できないというのはお互い様。

 肥満は自己管理能力の欠如とはアメリカのビジネス社会での評価とはいえ、アメリカに行くたびに、世界で「小錦」が最も多く生存しているのはアメリカであるという印象は消えない。食欲をコントロールすることが出来ず、魚介類よりも肉類が基本的に好きで、しかも安く入手できるという環境にあるからだろう。私はアメリカに行くたびに、過剰な肥満の醜さに反吐(へど)が抑えきれない。

 スチュワーデス(フライトアテンダント)に憧れる国の特徴はエアラインの数が少ない、国が小さい、発展途上国であるという点である。アメリカ人でフライトアテンダントに憧れる少女は皆無。中年過ぎのおばさんの仕事であるという認識がある。

 行きつけの医者、主治医も悪くはないが、当人が市会議員や県会議員を兼務、二股かけての、どっちつかずの業務遂行に明け暮れると、その姿勢に信頼感は希薄になる。

 日本人のブランド志向は自身の背景を確立するものがないため、せめてもの拠り所としてブランドを選択するのではないのか。だから偽ブランドにも騙される。もう一ついえば、むかしから継続する日本人の自信欠落というべきか、コンプレックスの裏書のような気がしてならない。

 「買い物は消費者の投票行動」との言葉は全くその通りである。中国産品の不買から、早いところ、すべての中国産品を日本から追い払って欲しい。怖いのは、ほかの素材と混ぜてつくられているもの、レストランで出されるメニューのなかに中国産の素材が紛れ込んでいないかとの疑心だ。コンビニやスーパーで出す使い捨ての箸はほとんどすべて中国産である。私はこれをいつも拒否している。

 とはいえ、日本企業の、賞味期限切れ、談合、手抜き、産地偽装、リーコールすべきタイミングを逸した自動車会社、警察の宴会費用、警察の警備体制の不備、インサイダー取引、役人と企業との癒着、賄賂、個人情報の流出、自衛官の機密文書保管の杜撰さ、こうした問題がニュースとして出るたびに、責任者がテレビの前に立って、「申し訳ありませんでした」と頭を下げる手法が習慣化されてきて、腹のなかでは「とりあえず、そう謝っておけば」という魂胆が透けて見える。たまには、テレビのまえでピストルで自分の頭を打ち抜いて死んでみせろと言いたくなる。

 今の女は昔の女のように、料理をする以外には、掃除機で掃除をする、出産する、子育てする、以外にはやることがない。ところが、その出産、子育てがいやだから、結婚しないというのが現代の風潮、当然ながら「少子化」は進むばかり。2008年3月24日に書評した「カメレオンは大海を渡る」に出てくるが、クローン人間の誕生と、クローン人間への依存は意外に早まって、100年といわず、50年ほどでそういう時代を迎えるのではないか。それとも、発展途上国から嫁をもらう日本男性が増えて、ハーフだらけになってしまうとか、社会というものは、どうやら、男が決めるものではなく、核家族化を含め、女が仕切っているような気がする。日本女性が結婚せず、仕事に邁進するうちに、海外の女性が日本に入り込んで、日本人男性と結婚し、ハーフを生み、日本の「少子化問題」を軽減してくれる図式になっても、日本女性は傍観するのだろうか?

 本書にはないが、日本人がいかにおしゃべりかを自覚すべきだ。言っていいこと、悪いこと、人のプライバシーを誰かに話さないでいると、腹がふくれるというバカが、とくに、女に多すぎる。そのくせ、大切な情報はしっかり伝えないという裏腹な言動は理解を超える。

 江戸っ子の「粋」(いき)と大阪の粋(すい)とは違った「いきがり」があって、私は江戸っ子でありながら、かれらの「粋」が気に入らない。「宵越しの金はもたない」というが、金をもたずして、どうやって、妻子を養うのか。値段が幾らするのか予め判らない、メニューのない寿司屋などは最近になって回転寿司のおかげで消えてしまった店が多いが、日本人の阿呆さ加減をこれ以上に表現するものはない。関西人の「一見の客」への対応と、顧客への対応の差などは、日本人の心の狭さを表して余りある。そのくせ、白人にはコンプレックスの塊で、対応する姿勢には卑屈が満ちている。

 作者が「テレビのワイドショーで、一方的に人間を評価する傾向があること」に遺憾の意を表明しているが、民放の大半は低能番組であり、それと知ってあえて見るのはその人の教養、人格の問題であり、いわば民度が決めることだ。民主主義が多数決で決まるように、民法の番組は視聴率で、つまりは多数決で決まる。つまり、愚民こそが民主主義のベースであることを肝に命ずべきだろう。多数決や民主主義が世界で最高の政治形態などでは決してないと、私は思っているが、「では何が最高なのか?」と訊かれても、確たる答えはない。

 「コーカソイドの欲望を肯定し、競争社会に歯止めがかからなくなった社会より、欲望をコントロールし、過剰に入手できれば周囲に配分するくらいの余裕が人間社会を幸せにする」という作者の言には首肯できる。

 日本の女は一色から多色に変貌している。品性下劣な女は一層下劣に、教養があり知性の高い女は一層高く、厚みにも変容が起こっている。「人間の個性は千差万別、これを野放しにしたまま個性を発揮せよは無責任。人間としての基礎的な力は、マナー、コミュニケーション、読み書き、挨拶、服装の当否などを身につけることで、それが当たり前の人間への第一歩であり、言動の芯である」は仰る通りである。

 外務省にいた経験者として、外務省の在り方、縦割り行政の欠点などについても、触れるべきだった。


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