女殺人者/アレクサンドル・パパディオアマンティス著

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書評:ためいき色のブックレビュー-女

  「女殺人者」 原題: The Murderess(英語で出版されたときの原題)

  著者:アレクサンドロス・パパディアマンティス(ギリシャ人/1851~1911)

  1903年ギリシャにて初出版

  1977年イギリスにて初出版 

  訳者:横山潤(1935年生)  

  2010年5月31日 近代文芸社 ¥2,000

 ギリシャは欧州各国にあらゆるフィールドで影響を与え続けた先々進国であり、欧州にある限り、どの国もギリシャ古典からの遺産は計り知れない恩恵であったに違いなく、長期にわたり欧州国家間でどの分野においても互いに切磋琢磨しつつ哲学、科学、歴史、地理、物理などへの造形を深め、ギリシャあったればこそという信条には変わらぬものがあるだろう。

 (ギリシャばかりでなく、ローマから受けた恩恵も計り知れないものがあるに違いないし、それらは東洋の島国で隔絶されたエリアで生きたきた日本人には想像を絶するものがある。)

 そういう歴史的な背景とは別に、いったい近代のギリシャ人はどう生きたのか、どう自己顕示欲を表出したのかに興味を持ち、本書を紹介されたとき、入手することに逡巡しなかった。紀元前のギリシャ人と現代のギリシャ人とは全く別の人種であるとはあちこちの文献で言われていることではあるし、そのうえ、最近になって、せっかくEUのメンバーに認められ、EU通貨であるユーローが使えるようになっているのだから、国家破産をしたとはいえ、それなりに「もどってきたギリシャ」が窺えるのではないか」という期待もあった。

 (まさか、国家のトップが財政状態を虚偽提示していたとは、ソクラテスやプラトンが生きていたら、なんと言っただろう)。

 ただ、作者が生まれたのは日本でいえば、まだ江戸時代で、明治維新を迎えるより17年前に生まれている事実から、単純にわが国の実情や同じ時代の西欧諸国と比較してしまうことには無理があり、ノンフィクションとして書かれた一人の女性の人生と、なぜ女の子を次から次へと殺害することに至ったのかを真正面から見据えつつ読むしかないことに気づく。

 当時、ギリシャでは(インドでは金塊)女の子が生まれると、嫁にやるとき必ず日本でいう持参金を、ときにオリーブ園を、ときに果樹園を、ときに家を、ときに現金をつけてやるのが慣わしになっていて、女の子が多ければ多いほど、母親の心労は大変というより悲惨で陰鬱なレベルに身を悶えさせることになる。なにせ、持参金と称するものの金額が日本の比ではないことに注目せざるを得ない。

 とくに不治の病気にかかっている少女を抱えた母親の立場は大変で、見かねた主人公のおばさんは少女の口にニ本の指を喉元まで挿入して窒息死させてしまうことで、若い母親の将来に負うであろう過酷を排除してやる。

 (指を他者の口の中に無理やり入れれば、必ず噛まれて痛い思いをするはずだが・・・)。

 主人公はこのような方法で、一人は井戸に突き飛ばしで殺し、一人は産後すぐに窒息死させたりして男社会のギリシャでなんとか女が生き易い状況づくりに手を下すが、最後は疑いをもった警察官に追われ逮捕される。もちろん、少女を殺された母親のなかには、このおばさんの思い切った行為に感謝している女性もいる。

 作者はこの時代のギリシャ社会が抱えた不条理な世界を真面目に描きたかったに違いなく、そのこと自体は読者にひしひしと伝わってくる。過去、日本国内でも、生まれてきた赤児が身体障害者であれば、母親も承知の上で産婆が座布団を赤児の顔の上に載せ、尻で敷いて窒息死させた例などは幾らもある。殺されなかった場合は他人に知られぬよう座敷牢に終生入れられるか、貧しい家庭ではサーカス団のような組織に売ってしまい、本人はサーカスで見世物として他人の好奇の視線を浴びるなど、戦後しばらくまでそういうことはあったと仄聞するし、そういうなかにはハンセン病の人も含まれていたという。

 本書で気に入らないのは、著者よりも訳者で、「訳者のあとがき」が妙にしつくどいことにも辟易したが、訳者が本書の「序文」を書く必要などさらにないと私は感じた。

 (それにしても、ギリシャ人の著作に触れたことは初めてだけに、私としては充分に満足している。ただ、ギリシャの国家破産がイタリアやポルトガルやスペインに広がらぬことをひたすら祈りたい。尤も、日本のほうが借金を減らす術がないというのだから、潰れるのは日本のほうが早いのかも知れないが)。


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