子供の名前が危ない/牧野恭仁雄著

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「子供の名前が危ない」  牧野恭仁雄(命名研究家)著
2012 年1月20日 KKベストセラーズ新書初版 ¥686+税

 

 人名は時代を映すとはいうが、平成以後に出てきた名前には読めないというだけでなく、親の独善的な命名が多く、本人が成長し、社会人となってからの周囲からの印象に関しての配慮が欠けている点が特徴。

 (現代の親の世代が知能的にべレベルダウンしているとしか思えない)。

 平成に入ってから、自然に飢えた印象の命名が増えてくる。たとえば、女性には、穂、空、麻、香、萌、花、海、葉、陽、梅、桜、葵、杏、翼、羽、彩、茜、果、月など、男性には大輔、大樹、大輝、大吾、航大、修大など「大」という字が盛んに用いられるようになった。親が性格も社会的地位も小さいための反動ではないかと思わせる。女性には、優花、優香、優奈など、「優」を意識した命名。これも親が劣だった反動?

 かつて、悪魔という名前で子供の誕生を役所に届けようとした親のことが話題になったが、「酒鬼薔薇聖斗」という殺人鬼もいた。奇妙な名前の持ち主は結局なところ、ろくなことにはならないことを知るべき、一つの例。

 珍奇な名前をつけられた子供の将来を考えるべきで、人格形成にも強く影響することを知るべきだ。

 2007年の産経新聞には、「近頃の子の命名には「陽翔」と書いて「はると」とか、漢字ならぬ感字のような文字が選ばれる向きがある。漢字に限らず、文字というものは昔からいま、いまから未来へと継承されていく、時代を超えた約束事である。それが守られてこそ、過去の文物をいま読むことができ、いまの文物を未来の人が理解することができる。

 「命名が自由」という先には恐ろしい混乱が待っている。誰にも読めない名前が増え、本人しかわからなかったら、もはや名前をもつ意味などなくなってしまう。

 格好いい名前、洒落た名前などを意識した命名でも、誰にでも読めて、意味がわかる名前である限り、それはそれで受容可能だと私は思う。

 「親が自己顕示欲や自己矜持をベースに、自己満足に浸る目的だけの名前は、その名前をつけられた子供の生涯に悪影響を及ぼすであろう。重要なのは、名前そのものではなく、名前をつけたときの親の気持ちである」という作者の結論は納得の一語。

 本書の内容にはまったく同感。ほかにも縷々書かれているが、本筋は以上に尽きている。


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