山の民/江馬修著

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「山の民」上下巻  江馬修(1889-1975)著
春秋社刊
1985年11月初版  上下巻共に¥1,800

 

 本書は小説というより郷土史に近い内容で、明治初年以降の新政府が描いた理想的国家の在り方に関する認識や理解が、日本の一般人に定着するまで、いかに混乱したかの実情を描いたもの。

 舞台は飛騨の高山、山深き、当時としては僻地といっていい土地での反乱、百姓一揆が、歴史的事実をベースに語られる。飛騨は江戸時代より、耕作面積の少ない山あり谷ありの土地であることから、幕府の直轄地であるとともに、年貢高が軽減されていたという事情がある。

 ために、新政府の意向を背に乗りこんできた新知事とのあいだに軋轢が生じ、ついには百姓一揆に至り、多くの犠牲者が出る。百姓一揆の類はこの頃、全国的に起こっていたが、新しい政策の実施をことさら拒んだという点では、飛騨という土地に住む百姓たちの貧窮度と、それに起因する一種やぶれかぶれの気分と狡猾さに関係していたかも知れない。新知事は明治政府が指示し目標としたことを忠実にどんどん遂行し、社会秩序の変革をできるだけ迅速に行おうとしただけだった。

 だいたい、人間というものには昨日と明日とは同じであって欲しいと願うところがあり、新規のものへは必ず抵抗感をもつ保守的な面がある。そのうえ、既得権への執心が強く、狡くもあり、利己的でもある。この物語は、そのあたりの人間性への洞察を含む、長編。

 当時、この土地のみならず、夜這いが日常化していて、父親知らずの子(テテなし子)ができたり、間引きはもとより、捨て子まであったことにまで触れ、民衆の生活の実態に立ち入った話には関心をそそられた。夜這いが公然たる事実で、周囲もそれを黙認していた事実の背景には、農民の若者たちの楽しみがほかになかったことを、それとなく暗示してはいる。むろん、遊郭などの風俗はこの土地にはなかった。

 ただ、本書の初稿が太平洋戦争の前だったため、左傾化していた著者には特高の監視がついてまわり、書いたものへの検閲も厳しかったらしく、存分に書ききれなかった思いが断ちがたくあったという。そのため、戦後になって以降、出版社も換え、数十年にわたり、本書は何度も改定、改作をくりかえされている。 改訂や改作をすると、作者の脳裏にはあれもこれもという対象が浮かび、筆を抑えるより、加筆が多くなって、文全体が冗漫になることのほうが多い。本書にもそうした兆候が若干ながらある。

  この村で起こった一揆は新知事の名をとって「梅村騒動」ともいわれるが、著者の父親が梅村の右腕であったことから、著者にとって、本事件は特別の意味をもつものであり、それでこそこの事件に関し妄執に近い思い入れがあったことは想像に難くない。

 ただ、19世紀末に生まれた人にしては、文章全体に古い印象がなく、現代文に近い事実には一驚した。

 幕末や維新を書いた書籍はごまんとあるが、本書のように、変革期に緊張し右往左往した一般大衆を描いた作品に出遭ったのは初めてで、その意味でも新鮮というばかりでなく、納得させられることも多く、本書との邂逅は幸運だった。


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