巴里の憂鬱/ボードレール著

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巴里の憂鬱」 ボードレール(フランス詩人/1821-1867)著
訳者:三好達治(1900-1964)
新潮社文庫化  1951年3月初版 (2008年現在55刷改版)

 

 ボードレールという名はなぜか高校生時代から色濃く耳に残っていたし、タイトルには憧れを持っていた。とはいえ、接したことはなく、手にとってみたのは初体験。

 かねての憧憬心を嘲るかのように、ページをめくり、読み進む私の頭は過剰に不可解な語句が羅列する文章に、辟易するばかり。「詩なのか、散文なのか」理解できないというレベルではなく、作者が意図するものが全く見えてこない、文が文として成立していないことに立ち往生するばかりだった。あるいは、訳者の三好達治という人物の灰汁や癖のようなものが理解を妨げることになった可能性も否定できない。

 「狂人の詩」と称すべきか、このような内容のものが半世紀以上も読み継がれている事実こそが不可解で、一体どいう人間が、このような書を理解したのか、理解しているのか、訊いてみたいものだと思った。単に有名だから、タイトルが魅惑的だから、というだけでは納得しかねる。

 文章に難易度はあり得るし、難しいからといって文学のレベルの高低を云々できるスタンダードにはならない。本書は難しいというレベルではなく、何を意図しているのか、何を書こうしているのか、何を伝えようとしているのか、私には、詩人としての感性が欠落しているのかも知れないが、全く理解の埒外にある書物だった。

 尤も、三好達治が仏語から訳しているくらいだから、相当に昔の段階で、翻訳に挑み、当時の日本語を使って訳すことに腐心しただろうと推測はされるが、それにしても、私には文章全体にほとんど脈絡がなく、精神を病んでいる人が書いたものとしか思えず、最後まで読みきれずにゴミ箱に放りこんだ。

 マンやニーチェや山頭火のほうがはるかに解りやすい。


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