徳川将軍家十五代のカルテ/篠田達明著

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「徳川将軍家十五代のカルテ」 篠田達明(整形外科医)著
新潮新書 2005年5月初版  ¥680+税

 

 本書は初代の徳川家康から十五代目の慶喜まで、過去の資料、文献を参考にしつつ、1954年に行われた増上寺(東京タワーの傍ら)にある墓の発掘による学術調査を主なベースとし、将軍たちとその正室の遺体から、人物別に、知られざる病歴や人間味を白日のもとにする目的で、専門の整形外科医としてメディカルチェックをしたもの。

 江戸時代の平均身長は男が157.1センチ、女が145.6センチであったこと、平均寿命は45歳前後といわれる。

 将軍のなかで長命といわれるのは家康の75歳、十五代の慶喜の77歳、家斉の69歳、吉宗の68歳、綱吉の64歳、家慶の61歳で、平均は夭折した将軍を含めて51歳。

 江戸時代の衛生面の特徴は、蚊、蝿、ゴキブリ、ダニ、シラミ、回虫、サダナ虫が多く、また女親が白粉(おしろい)を顔、クビ、胸、背中などにべったり塗る習慣があったため、幼児が口唇に触れる白粉を舐め、鉛毒を起こす危険が常にあった。

 白米を口にするようになってからは、(むろん、上層階級)脚気(かっけ)に苦しめられたケースが多い。

 当時はワクチンがなかったから、乳幼児の年齢時、「疱瘡」「水痘」「痘瘡」などは避けて通ることはできず、これらの障害をいかにクリアするかが問題だったことがわかる。「痘痕」を「あばた」と読み、痘痕が顔面いっぱいに残る顔を「あばたヅラ」ともいったし、現実に、江戸期、そういう人が多かった。

 また、出産に成功しても、満一歳まで育つケースがわずかで、将軍職を長男が継ぐというルールを守ることは、現実問題として難しかった。 将軍の正室としてはほとんど皇室か公家か、大名の娘をもらい受け、あとは側室に囲まれてという生活のなかで、深窓で育った正室が後嗣を生むことに成功することは僅かであり、将軍らの母親のほとんどは農村の娘、町人の娘、武家の娘が圧倒していた。これを「雑種の強勢の原則」というらしい。

 これは宮家や貴族の育った環境にそもそもの原因がある。恒常的に内股で歩く習慣があり、運動不足から虚弱体質の女性が多く、そのうえに関西からいきなり関東への輿入れで、互いに言葉が理解できず、せっかく将軍と褥(しとね)を共にする機会がありながら意志の疎通がうまくいかず、そのうえ、いざ床入りすると、障子の向こう側では夫婦の愛の営みを逐一、係りの女中に記録されるなど、セックスに没頭できる雰囲気ではなく、オーガズムを追う気分になはならったかったであろう。将軍が射精に成功しても、女性の側がオーガズムに達していなかったケースが頻繁にあったに違いなく、そのことも、流産、死産を増やしたことの原因の一つだったかも知れない。

 また、正室が若いこともあり、せっかく受胎、出産しても、流産、死産はもとより、仮死状態だったり、黄疸が出ていたり、呼吸不全や感染症での死亡から、脳性麻痺が残るケースもあった。生涯に24人の子をなした最後の将軍、慶喜にしたところで、死産が2人、早世9人で、まずまず成長したのは13人に過ぎない。

 要するに、将軍にとっての最大の義務は「良き種馬」であること、健康な男子の継嗣をつくることに尽きていた。

 時代が下がるにつれ、将軍職も飾り物的存在と化し、儀礼や慣習にだけこだわる風潮が強まり、幕藩体制は次第にゆるんでいく。そのうえに、13代の家定時代にはペリーが来航、ハリスが初代アメリカ大使として家定に面会したときの様子には「首を大きく後方にそらし、右足で3、4度、畳をたたいた」という記述があり、それに対してハリスはコメントを避けているが、明らかに障害者(ダウン症?)行為であることが窺えると。

 作者が特筆しているのは、十五代のうち、9代目の家重と13代目の家定は障害者であり、幕閣の目には明らかであったにも拘わらず、この二人を将軍職につけたのは、身体的弱点に目をつぶり、障害者に対して差別をしなかったということが判然としており、日本史上特筆するに値すると。

 (将軍職が飾りと化していたこと、将軍に面会できる人間の数が限られていたことなどもその理由ではないか。あるいは、政治に口出しできぬ将軍のほうが合議制による政(まつりごと)を行なう上で都合がよかったのではないか)。

 以下はエピソード:

1.今川義元は美食と運動不足が祟って、ぶよぶよに肥満、乗馬が出来ず、外出時は常に多くの人間にかつがせて御輿に乗った。桶狭間で信長軍の奇襲を受けたとき、機敏に動くことができず、織田の兵士に難なく首を斬られたであろう。

2.家康は太閤秀吉の荒淫が命を縮めたことを知っていたから、荒淫をみずから諫め、その代わり老齢になると、若い女を同衾させ、女の若さをエネルギーとして浴びることを望んだ。セックスはしなかったとはいえ、若い女にとっては爺さんの口臭や体臭はたまらなかったであろう。

 (加齢と体臭とが常にイコールになるとは限らないけれども、肥満型の家康爺さんの体は体表面積が広かったぶん臭かったのではないかと想像される。白人や黒人は東洋人より汗腺の数が多いそうで、体臭がきつく、そのため、アメリカでは女の子が10歳くらいになるとデオドラントを使って体臭を消すよう母親が教えるという)。

3.肥満度は「羨望期」「滑稽期」「憐憫期」に分かれるという。 今川義元はおそらく「憐憫期」に入っていたのであろう。そして、おそらく、現代アメリカ人のかなりの人間が。さらには、TVでぶよぶよタイプを目にする機会が多くなっていることから、この国も滑稽期を過ぎた人が増えているようだ。

 最後に、学ぶことが多かった書籍であることを付記する。 


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