「性愛」格差論/斉藤環&酒井純子著

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「性愛」格差論
副題::萌えとモテの間で 斉藤環/酒井順子共著
中公新書ラクレ  2006年5月初版

 

 内容はタイトルから直に想像されるものとは異なり、現代社会における最先端の現象、「おたく」「ニート」「負け犬」「ひきこもり」「パラサイト」「電車男」「電波男」「ヤンキー」「腐女子」「萌え」「下流社会」「ちょい悪」などなどをテーマとした共著者の対談であり、これまで私個人としては全く無縁の世界に触れることができた。

 上記の斉藤環さんは「社会的ひきこもり」の著者であり、酒井さんは「負け犬の遠吠え」の著者で、対談を通じ、現象をロジカルに説明してくれる。正直いって、話の内容には解らない言葉も頻出するが、基本的にはバブル以降に変化してきた日本人の、ことに若年層の心のありようを真摯に受けとめ、解説を加えている。こうした現象の発端にアニメ、コミック、ゲームなどの存在があることも教えられたし、携帯電話の存在が人気のバロメーターともなっていて、「鳴らない携帯ほど屈辱的なものはない」という言葉、「いまの若者は大変だ」という言葉にも納得させらた。

 これら日本的な現象が外国人に理解されるかどうかは知らないが、著者の言によれば、「韓国では10年遅れで日本に似た現象が起こっている」という。とはいえ、韓国は中国の影響がはるかに強く残っているため、長幼の序がしっかり根づいていて、私の知己のところにきている韓国籍のお嫁さんは舅、姑によく従い、主従関係、上下関係に対する自覚があり、日本女性よりもはるかにつきあいやすく、扱いやすく、かつ、家庭内もうまくいっていると聞いている。やはり、「孝」の徳目が中国、韓国ではいまだに無視できない項目として生きているのだろうと察している。

 「性愛格差」という言葉は、ひきこもりの男性が人形やエロ写真を見て、性欲を満足させることや、愛情表現を直接的に口にできない男が増えていたり、男とセックスするより自分で処理をする女性が増えていたり、という現象面から、「性愛」そのものへの関心が薄れているのではなく、「性愛」は形を変えても、中心に存在するということらしい。要するに、生身の人間を相手とするのは面倒が避けられず、それがいやだという気持ちを代弁してのタイトルらしい。人間が人間を避け、ロボットを主な相手とする時代がやってくるのかも知れない。

 私にはこうした現象、というより症状は安定した経済状態と高度な文明が生み出しつつある末期的症状を暗示していようにも思われ、かつてこの国が経験したことのない暗闇を見せられた気持ちになった。過日もTVでシリコンを使った精巧な女性人形が紹介されていたが、女性が自慰行為にヴァイブレーターを使うように、男性もこういう人形を抱いて満足する事態が発生するのではないだろうか。かつて、オランダ人が遠洋航海に出るとき「抱き人形」(Dutch Wife)を使ったように。

 良かれ、悪しかれ、世の中は動いており、同一状態にとどまることはない。今後も、こうした変遷は継続するだろうし、所詮、人間の世界はなるようにしかならないという諦めに似た気分もなくはない。ただ、読後感として、あまり愉快な書籍ではなかった。


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One Response to “「性愛」格差論/斉藤環&酒井純子著”

  1. spork より:

    ハスラーさんの読書の幅、本当に広いですね。未知の世界に触れてみたくなりました!

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