戦禍のアフガニスタンを犬と歩く/ローリー・スチュワート著

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「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」 原題:The places In Between
著者:ローリー・スチュワート(1973年生・イギリス人/元外交官)
訳者:高月園子
イギリス王立文学協会賞/ニューヨーク・タイムズ年間最優秀賞獲得
2010年4月10日 白水社より単行本初版 ¥2800+税

 

 本書は戦禍の跡まだ熱いアフガニスタンを西のへラートから東のカブールまで、徒歩で、しかも冬に踏破するという自らの体験を語ったものだが、大げさな強調や装飾的な言葉を避け、淡々と書いているために、ノンフィクションとしての味わいを一層濃いものにしている。

 ちなみに、アフガニスタンは北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、西にイラン、東にパキスタンと、それぞれ国境を接している。

 最近の報道によれば、イギリスは「なぜイラク戦争に加担したか」、その経緯と正当性について、当時の首相であるブレア氏を呼び、文書の公開とともに、追求しているタイミングからも、国は異なりはするが、アフガニスタンは同じイスラム教国であり、本書を入手したことには意味があったという気がしている。

 また、ごく最近になって、アフガニスタンには大量の地下資源、金、銀、銅、リチュウムなどの埋蔵が確認され、価値としては日本円で何十兆円に相当するとの鑑定がアメリカの資源探査企業によって明らかになり、これが平和に繋がるか、欲深き外国の牙の対象になってしまうか、逆に国内における民族間の諍いの導火線になるか予断を許さず、今後ともこの国の動向を見守っていきたい。

 題名に「犬と歩く」とあるが、そのことが本書をさらに魅力的にしていることを、まず強調しておく。

 本書に出てくる犬は世界最古の犬種といわれる「マスティフ」そっくりで、アフガニスタンでの徒歩の旅が始まってしばらくしたときに、土地の人間から貰い受けるのだが、イスラム教徒が「犬は不浄の動物」であり、犬嫌いであることをインドネシアで仕事をしていた経験から知っていた私には不可解で、「犬と歩く」というタイトルの一部がことさらに私の気を惹いたと言っていい。

 インドネシアといっても、バリ島に限っていえば、ヒンドゥー教徒の島だから、犬に対して格別の好悪はないが、その代わり餌もやらず放し飼いで、深夜になると、犬を狩る若者が食料にするため街に出てくる。バリ島にいて犬を目にしない日はないが、一歩、隣のジャワ島やロンボック島に足を延ばすと、とたんに犬の姿はかき消したようにいない。インドネシアにはイスラム教徒が最も多いけれども、マイナーながらヒンドゥー教徒も仏教徒もいて、後者ニ教徒はいずれも犬を食料にしてしまうが、イスラム教徒だけは犬を飼わないし、食いもしない。

 「イスラム教徒ばかりが住むアフガニスタンを犬と歩く」こと自体が可能なのかという疑問と、なぜその土地に犬が飼われていたかという疑問がふつふつと胸に湧いてきた。

 著者が一緒に歩き、苦楽を共にするマスティフは65キロもある大型犬で、土地では軍用犬として、山地では狼対応としても使われていることを本書を通して知ったが、イスラム教徒圏に在っては、誰も犬の頭や腹を撫でたり遊んだりはせず、当該犬も貰い受けた著者を主人としては見ていず、対等の立場だと思っている雰囲気がたまらなくいい。

 著者はこの旅をする前に、イラン、パキスタン、インド、ネパールの4か国を16か月かけ、一日32キロから40キロのペースで踏破したあと、予定していたアフガニスタンが戦乱状態であったため、いったん帰国するが、2002年にタリバンが駆逐されたとの報道を聞き、冬期ではあったが、前回の旅で予定から欠落した部分を早く埋めたいとの欲求抑えがたく、へラートに乗り込んだ。

 へラートには古代ペルシャ人のタジク族が、ゴールの山岳地帯にはテント生活をするアイマーク族が、バーミヤンの高山地帯にはチンギス・ハーンの末裔であるハザラ族が、ワルダク州にはパシュトゥーン族がといった具合に、同じ国土で同じ教徒であるとはいえ、言語や習慣の異なる色々な民族が散在しつつ居住している。作者は「文化人類学的好奇心以上の何かが自分を突き動かしている」と言っているが、それだけにこの国を横断旅行することには苦難も危険もつきまとう。

 現実、この徒歩旅行はリスクに満ちた旅だった。同じイギリス人に「おまえは頭がいかれている」と言われるが、それは著者のアドヴェンチャラスな試みを賞賛する言葉であり、生命の危険を顧みない度胸と、どんなものでも口にできる繊細さのない味覚とがこういう旅を可能にしたのであろう。イギリス人らしい民族性に根があるのではなかろうか。でなくて、イギリス人が七つの海を支配することはなかったと私は思っている。

 イギリス人の味覚に関しては疑問符がつくけれども、イギリス人の潔癖さに関しては尊敬もし畏怖もしている。私自身の経験に基づいて明言できることは、世界で最も賄賂に強い、つまり買収されない民族こそイギリス人である。

 作者が敢行した旅には治安の悪さからくるリスクだけでなく、電気も水道も医療もない土地での病気もあるし、毒性の昆虫による咬禍もある。著者は予め抗生物質も鎮痙剤も用意したが、これらが有効に働かず、赤痢にかかり、脱水症状に陥る。さらには、冬の高山地帯では豪雪に見舞われ、氷点下20度に耐えねばならなかった。

 イスラム教徒には「旅する人を親身な世話で迎える」という共通の了解があり、旅の途次、毎夜眠る場所を提供されはするが、ほとんどはモスクであり、寒さは半端ではない。村の長の自宅に招待されもするが、戦乱が終わったばかりの国であり、貧しさは全土を覆っている。

 途中、古い墓がことごとく掘り返され、何世紀も前にモンゴル人が使った矢じり、腐食した槍の先端、彫りのほどこされたティーポット、骸骨の手首から抜き取った腕輪、鎧(よろい)、兜(かぶと)、花瓶などなどが出土している土地に行き着くが、当事者には掘り出したものの持つ歴史的な背景や価値に対する関心がない。「なかには、考古学者だったら垂涎のイスラム以前の品物もあり得る」との著者の言葉は、いかにも古い文明に関心の高いイギリス人の言葉だなと思わせる。

 西欧がアフガニスタンに興味を持ったのはタリバンの存在であり、バーミヤンの石仏であり、カブール動物園のライオンの運命ではあったが、それぞれの民族同士の殺し合いではなかった。

 「バーミヤンの石仏はインド仏教がアレクサンダーのもたらしたギリシャ美術と出遭って創造されたガンダーラ様式の遺産である」との言葉にはなるほどと思わされた。むろん、仏教はこの地に残ってはいない。

 さて、作者と大型犬はカブールに達し、ついで隣国のパキスタンに入り、飛行機の便があるイスラマバードに移動したが、へラートに入ってから20か月が過ぎていた。犬は翌日の飛行機に予約がとれ、帰国するうえで必要な予防注射もすませ、著者は一日早く帰国する。

 帰国後、思いも及ばぬ凶報がイスラマバードから届く。それについてはここに述べることを遠慮したい。


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