指紋の神様の事件簿/塚本宇兵著

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指紋の神様の事件簿

「指紋の神様の事件簿」 
塚本宇兵(1936年生)著
著者は元刑事課を経て鑑識課指紋係、以来指紋ひとすじに30年の経歴をもつ。
新潮社  2006年12月文庫化初版

 

 「指紋」に関する鑑識の歴史が本書によって明らかにされるので、このような内容に関心の深い方々には面白い内容。

1.日本では、都内だけで1年に200名、全国で1,800名の身元不明者や死体が存在する。身元を調査する上で、指紋による調査は避けられないし、有効でもある。現在では、年間に90万人以上が外国人不法滞在者という実態もあり、指紋による人間の識別は一層必要となるだろう。

2.人間の指紋には(1)過剰紋(2)蹄状紋(3)弓状紋(4)変体紋と四つの種類があるが、(1)から順に50%、40%、10%、稀少であり、それぞれに平均して100個の特徴点がある。一卵性双生児といえども、指紋によれば、確実に識別でき、人間の識別という点で、指紋を凌ぐ有効手法はない。

3.指紋による個別識別法を確立したのはイギリス人医師(日本の土器時代から残る掌紋、指紋を押捺する習慣への関心と調査のために来日の経験あり)のフォールズやゴルトンという学者に負うところが大きい。ゴルトンはチャールズ・ダーウィンの従兄弟で、指紋を学術的領域にまで引き上げた遺伝学者。1892年に「指紋」という著作を世に出している。1900年に入るとすぐ、フランスを除く西欧各国では個人の識別にそれまでの身体測定法から指紋へと切り替えた。日本で、指紋による制度運用を開始したのは1911年で、ドイツの「ロッシェル法」をベースとした。とはいえ、日本の警察がコンピューターを駆使、膨大な指紋(約600万人分)の処理、活用を行い、犯罪捜査目的にシステム構築したのは1983年で、その意味では世界で最も早い着手。

4.指紋が存在するのは、指先にパッドと呼ばれる膨隆(皮膚、粘膜などの局部的な盛り上がりやふくらみ)が不可欠で、そこに汗腺のあること、この条件を満たすのは人間のほかはチンパンジーをはじめとする猿類、カンガルー、鼠が知られている。ただ、最も人間に近い猿には手の平にも膨隆があり、稜線もある。人間の手は退化して、膨隆は残っていない。樹上生活を放棄したための環境変化が原因。

5.初めは指先を刃物で切り、血液で血判を押す戦国作法が、時代が下がって、拇印となり、印鑑を発明させ、朱肉を誕生させたのではないか。

 (戦国時代、日本の武将は花押も用いたが、印鑑を個人識別に使用する手法は中国文明からの流れで、真似であり、この手法には欠点も多く、科学的な根拠がない。個人識別法としては世界で最低の手法で、今なお印鑑が残っているだけでなく、有効に使用されていること自体、不可解至極)。

6.指の皮は何度でも再生するが、紋は終生不変。指紋を排除するには、真皮を削ぐ以外にない。旧オウム信者はこれを実行した。

7.戦後、1948年(昭和23年)にGHQにより内務省が解体され、1954年都道府県別の警察組織が基本単位となってからは、本部にはそれぞれ刑事部が設けられ、鑑識課はその下部組織に組み込まれた。

 (都道府県別の方式が現在の境界をまたぐ犯罪に関しての捜査に遅れをもたらしたり、県警同士の縄張り争いを惹起することになったのではないか)。

8.現在でこそ、犯罪現場においては、どんなに小さな物的証拠も保全され、発見することに主眼が置かれているが、数十年前までは捜査員による雑な捜査で多くの証拠が破壊された例は枚挙に暇がない。現場の保全が優先され、まず鑑識課員が現場調査するようになったのは昭和50年から。

 (きわめて非科学的な捜査を長年やってきたという事実)。

9.暑すぎると、汗で検体が濡れてしまうし、寒すぎれば、皮脂を分泌せず、指紋の押収は不可能。

10.現場で採取される指紋のほとんどは指紋を明瞭に残す「顕在痕」ではなく、不完全なものばかりで、これを専門用語で「片鱗指紋」と呼ばれるが、いわば「破片」にすぎない。鑑識課のプロはこれから選別作業を行い、該当する指紋を絞り込んでいく。片鱗指紋であっても、そこに12個以上の特徴点さえあれば、確認を放棄することはない。こうした手法の対象になる数は年間に1万件以上に昇る。もし、5指の指紋が採取できれば、身長さえ推測できる。

11.1968年(昭和43年)の三億円事件は昭和の犯罪史に残る事件だったが、犯人は青色のバイクに白い塗料を塗り、白バイと見せかけて強奪に成功したものだが、塗料はまだ完全に乾燥しきった状態でなかったため、そこには顕在指紋があったにも拘わらず、当時は指紋そのものに重きを置く習慣がなく、採取して誰のものかを特定しなかったのは、かえすがえすも残念であった。

 (1995年になっても、先着の警察官がドアノブに触れてしまい、指紋検出が不可能だったという事実もあり、お粗末というしかない)。

12.指紋検出法には「粉末法」「気体法」「液体法」の三種類がある、慰留指紋の印象箇所や印象時期、検体の素材などによって、遣い方を分ける。粉末にはアルミ粉末、ついで石松子(せきしょうし)を用いられるが、石松子とはヒカゲノカズラというシダ類の植物から採れる胞子。湿度が高ければ、アルミ粉末をと多松子を5対5の割合に混合し、湿気がなければ、石松子の量を減らしてアルミを7割とする。ステンレス製のノブが対象だと、検体の素材が粉末とのコントラストを打ち消してしまうので、インジゴ(藍色)や光明丹(朱色)など独特の色合いをもつ粉末を添加する。

13.粉末の付着様式は「ハケ法」「軽打法」「ロール法」「ふりかけ法」などがある。

14.時代の変遷により、アルミニウムの粉末が加工され、さらにハイ二ウム、ウラトラ二ウムなどが開発、指紋の摘出に寄与。

15.人間の遺体はセメントで覆われると、液状化は免れるが、生前の面影はまったく残らない。(4年以上経過の場合)。このとき、1977年に佐賀県警の指紋担当者が開発した「シアレアクレリート法」(瞬間接着剤を使ったもの)を利用することができ、効果を発揮した。さらに、「微弱紫外線装置」が難しい検出、撮影を可能にした。

16.建築法の変化、新建材の使用は指紋を早く消してしまうことがあり、新しい建材に適応できる指紋検出法を考案、研究していく必要が生じている。

17.指紋押印の制度は現実問題として、国際犯罪が多発する状況下、当然の成り行きだが、日本ではむかし在日朝鮮人が外国人登録法に基づく指紋制度に反発し、外交上の問題にさえなったため、この手法を推し進める上での隘路になっているが、世界の趨勢として、回避できないだろう。(アメリカでは、9.11以降、外国人が入国する場合、顔写真と指紋は必ず採取する手法を採るようなっている)。国民総指紋登録制度の採用はもはや時間の問題であり、これがないと、逆に、日本人が海外でトラブルに遭った場合に救済できない。

18.国内外を問わず、自分が自分であることをパスポートや免許証なしで証明することは意外に難しい。そのために、自分で自分の身分証明書をつくる人もいる。(1)HBの鉛筆と紙片、シール、コーティング用透明セロハンを用意する(2)紙片に鉛筆の芯をこすりつけ、黒鉛で2センチ角の範囲を塗りつぶす(3)次いでその黒鉛を指先にまんべんなく付着させ、指先が黒く汚れたら、シールの粘着面に指紋を押印する。その上にセロハンを貼り付ければ完成。(4)あとは、氏名、生年月日、顔写真、髪の毛の一本を抜いてテープで貼っておけば完璧。(5)出来上がったものは信頼できる人に預けておく。

 以上、指紋を専門に研究してきた「指紋の神様」といわれる人物による解説だが、作者は組織への遠慮から意図して避けていても、行間からは日本の警察機構の保守性、因習に馴らされた環境、非効率的な業務処理、危険を報せても動こうとせず、人が死んでからはじめて初動に移るなど、公務員の親方日の丸的な性格や官僚体質が匂ってくる。世界の最先端をいく、もっと科学的で、近代的な機構に生まれ変わる必要があると思うのは私だけはないだろう。

 さらに言えば、不法滞在者による犯罪の多発化に備え、各種外国語に堪能な人材を各県警に配置する配慮も必要不可欠であろう。


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