数学を愛した作家たち/片野善一郎著

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「数学を愛した作家たち」 片野善一郎(1925年生)著
新潮新書  2006年5月初版

 

 結論からいって、数学に関する知識が作品に寄与することはあっても、数学そのものの出来、不出来が作品に影響することはないように思われた。

 本書によれば、司馬遼太郎も白山三郎も数学は全然ダメだったというし、一方、野村胡堂、安部公房、立原正秋などは数学を得意としたという。また、海外の作家では、スタンダール、ポール・ヴァレリーが数学への傾倒の強い作家だったという。

 初めて知ったことは、明治初期、日本には数学の教科書がなく、ために数学の授業は英語でなされたということだ。これに正岡子規らはかなり参ったらしい。とはいえ、現在のベースボールに関する言葉、「野球」「野手」「打者」「走者」「直球」「死球」などの野球用語は正岡子規らが作ったという。

 また、当時、英、仏、独、の国語は学術語として想定され、中国語、ロシア語などは商業語、通弁語として扱われた。二葉亭四迷が「逢引」を訳し、ロシア文学に造詣が深いのはロシア語に堪能だったからだが、ただの商業語だとの政府の評価には納得できないものがあったであろう。

 日本の江戸時代には「和算」というものがった。研究者の多くは武士で、「筆算式代数」を発明した関孝和をはじめ、西洋数学の翻訳など明治初年に活躍した川上などが歴史に名をとどめているが、和算などに拘わることは周囲からつまはじきにされる対象になった。和算は華道、武道、などとおなじように流派をつくり、おのれの新発見を隠し、秘伝とするような、囲碁や将棋にもあるような、姑息なことをしたため、日本の科学が世界に一層遅れをとったのだとは、藤原正彦(「国家の品格」の作者)の親、新田次郎の言葉。ただ、和算に算用数字が使われていたら、日本の数学はもっと伸びていただろう。

 ただ、「算盤」も、「九九」も、奈良時代、中国からの輸入だったから、中国に和算の基礎を学んだことは事実。

 西欧人はインスピレーションから新しい発見に至る例が多いが、東洋では情操的な思いつきが多い。

 高木貞治の言葉、「数学の本質は扱う内容が論理的であること。仮借しない論理、妥協を許さぬ論理、そういうものが数学の本質だから、一見、頑迷で融通の利かないもののように聞こえるが、限定された狭い範囲内にとどまるから、その点において、数学はなはなだ謙虚である」。

 日本人の、「文系」「理系」という二つの分野に分けたがる性格は理に合わないのみならず、学術の発達を阻害する」との言葉は重く捉えておいたほうがいい。


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