旅立ちのかたち イギリスと日本/懐徳堂記念会編

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「旅立ちのかたち イギリスと日本」 懐徳堂記念会(5人の学者による著作)編
裏表紙:それぞれの旅路の風景が見せるイギリスと日本の近代文化
2009年11月25日 和泉書院より単行本初版 ¥2500+税

 

 近代の文明社会がイギリスと日本とでどのように芽生え、発展したかをテーマに、二国の国情、文明度の違いなど、相互に存在する大きな隔たりに拘泥せず、「旅立ち」という言葉で解き明かそうとする著作。

 とはいえ、一方は産業革命を経験し、植民地争奪戦に勝利し、広大なドミニオンを構築、文明をリードした国であり、同時に異教徒、異文化を足蹴にしてきた国でもある。一方は西欧の先進的文明に唐突に遭遇させられて驚嘆し、学び、真似て近代国家を創った国である。この二国を並べての解説、編集には最後までしっくりこないものを感じた。

 なかから、本書のテーマとは別に、記憶に残った部分だけを以下に列記する。

*最初の本格的な世界地図は16世紀にフランドルの地理学者、アブラハム・オルテリウスによって出版されると、続いて各国語に翻訳出版され、大航海時代の立役者となる。

*同じ16世紀には、同じフランドルのメルカトルが正角円筒投影図法、「メルカトル図法」による大世界地図を完成させた。(ちなみに、フランドルとは現ベルギーの北部で、むかしからオランダ語を話し、一方、南部はフランス語を話し、ベルギーは浅い歴史のなかで南北に分かれ、内紛に陥ったこともあるし、現在でも政治体制が定まらない。南北を一国として治め纏めたのは、現EUのトップになったベルギー人。ただ、地球が赤道を若干ふくらませた楕円形であるというニュートンの予想を実証したのはロシア皇帝の援助を受けて測量したシュトルーヴェで、19世紀に入ってからだった。シュトルーヴェが三角測量に使った定点260箇所のうち34箇所が世界遺産になっている)。

*地図製作への情熱は人体(宇宙に対するミクロコスモスとして)の地図作成、解剖へという知的探究心と重なる。探検旅行への情熱、世界の拡張と獲得に向かう精神とも重なっている。(日本人には全くなかった発想)。

*「Discover」(発見する)には「CoverをDisする」、つまり「身を覆う衣服を剥ぎとる」との意味もある。ちょうど、「Discharge」が「Charge」したものを「Dis」する、つまり「充填したものを放出する」「溜まっている精液を射精する」となる英語らしい表現。

*大航海時代の先駆者たるスペインとポルトガルは他国が遅れていることをいいことに、互いに条約を結び、16世紀前半には世界を二分割し、二国で独占し、ポルトガルはアジアとアフリカを、スペインは南北アメリカを支配することを約した。

*豪州を最初に発見したのはオランダ人だが、タスマニア島を含めオーストラリアの一部しか地図化できず、それよりかなり以前、1771年にフランス人が作成した地図とほとんど変わっていない。完成度の高い地図を製作したのはイギリス人のクックで、1814年だった。むかしの地図には空白部分、未知の部分が多く、その事実が西欧人の想像力を激しくかきたてた。(オランダ人は植民地活動というフィールドではインド、マレー半島からイギリスとフランスにはじき出され、やむなく、インドネシア、マレーシアへ、ポルトガルはマカオと東ティモールへと南アジア地区では比較的弱い立場にあったが、インドネシアを抑えたことで、オランダは豪州を調べる地理的有利性をもっていた)。

*18世紀、イギリスでは既に市民社会が成立、民主主義が育ち、表現の自由が許容され、新たな経済制度が案出され、ジャーナリズムが起こり、母国語が辞書の編纂などにより整備され、ナショナリズムが高揚し、「ロビンソン・クルーソー」や「ガリヴァー旅行記」に代表される近代文学が萌芽するという、近代社会が他国に先駆けて形成されていた。これこそが「人類の近代に向かっての旅立ち」であり、国内の社会的整備が大英帝国の存在を支え、ブリティッシュ・ドミニオンの構築を可能にした。

*クックは都合三度にわたり世界周航の旅に出たが、動機は必ずしも植民地の争奪ではなかった。王立協会がクックを船長とする長期にわたる船旅に依頼した目的は以下であった。

(1)豪州の詳細な地図の作成

(2)豪州南方に未知の陸地が在るか否かの調査

(3)タヒチ島での惑星調査。金星の太陽面での通過の観測

(4)経度測定のための精密時計の航海中の検証

*日本では、からゆきさんが九州の港から南アジア各地へ旅立ち、明治以降には多くの貧窮者が南米に移民として旅立った。シンガポールにも多くのからゆきさんのお墓が存在するが、マレーシアのボルネオ島側にあるサンダカンの丘にも日本に背を向けた天草出身のからゆきさんの墓がある。(「からゆき」とは「唐行き」であり、唐は外国を指す)。

*日本人文学者の欧州への旅立ちのなかに多かったのは不倫関係からの逃避、妊娠した相手女性を置き去りにしての逃亡など。

(忘れていた情けない話が思い出され、不快。当時の文学者には「芸術至上主義」を強く意識するヤカラが多く、特殊な男女関係を無理やりつくって、それをネタに小説を書くという文学者もいた)。

 イギリスの植民地争奪の実態がオブラートで包まれている感が強い。現実にタスマニア島で先住民をほとんど皆殺しにした歴史があるし、クックが世界周航に出た頃には、イギリスはすでにインドを植民地化し、オーストラリアとニュージーランドを植民地化したことを宣言していたのではなかったか?インドで阿片を栽培させ、それを中国(清の時代)に持ち込んで、二度にわたって戦争を仕掛け、香港を割譲させたのも、ほかならぬイギリスである。

 ただ、イギリスが他国と違うのは、たとえば、オランダが抑えていたインドネシアで、ジョグジャカルタにあるボルブドール寺院が火山灰で埋まっているのを掘り返し(むろん、宗主国であるオランダから許可を得て)、ボルブドール発掘の手がかりを残したのは事実で、イギリス人がオランダ人に比べ、古代遺産への関心も執着も強いこと、ピラミッドでもそうだったが、異国の古い遺跡への学問的関心が他の国よりはるかに強かったのは事実だと思われる。オランダはイギリスの探検家がそこまで調査したにも拘わらず、戦後にユニセフが本腰を入れるまではボルブドール遺跡を修復することに関心をもたなかった。

 イギリスがフランスに比べ、はるかに早い段階で近代化が進んでいたことは再確認させられた。


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