日本の「敵」/中西輝政著

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「日本の『敵』」 中西輝政(1947年生)著
2001年 文藝春秋社より単行本初版
2003年10月同社より文庫化初版

 

 作者は英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院終了、米国スタンフォード大学客員研究員を経、現在、京都大学総合人間学部教授。

 内容は作者が新聞や雑誌に書いてきたものをまとめたものであるため、ダブりやもってまわった言い回しが多く、インパクトを弱めている印象はある。

 作者の意図する「日本の敵」とは、日本人の戦後という過去にあり、その過去に関し心情と思想をあやふやにして国家意識を衰亡させた政治家たちの根性や私たち自身の心にあるということで、文字通り「敵は内部にあり」と言いたいらしい。

 端的にいえば、「戦後御用大切に守ってきた憲法9条を改正する必要性を説くもので、軍隊の保有と交戦権の明示をはっきりしつつ、アメリカとの安保を堅持するというもの」であり、目新しいものではなく、私が過去に本ブログで再々言ってきたこととも一致している。

 元米国大統領の国家安全保障補佐官が「日本はアメリカの保護国である」との発言に、「失礼な言い方である」とか、「内政干渉である」とか、一部の政治家が反発したけれども、それが現実であって、アジアの近隣諸国のすべてがそのように認識してもいる。もし、そう思われるのがいやならば、よけいなところに金をばら撒かずに、みずからの国を自らの力で守るような力強い国家意識をもつことだ。(同感)

 日本という国、国民のもつ大国としての潜在能力、軍事能力について恐怖と畏怖とを持っていた近隣諸国や西欧の人々は老齢化し、あるいは逝去する年代に入っている。とすれば、経済バブル以後、ふたたび低迷に喘ぐ日本を見る若い外国人層は「Japan is not the existence to be scared」(日本は恐れる存在ではない」という見方が固定し、むしろ、「威嚇すれば、びびる国である」との見方が特に中国、韓国、北朝鮮にはある。偏に、軍事力を強調できない背景がこのような脆弱性を国民にもたらしているといっていい。(その通り)

 戦後、60年余、バブルは崩壊し、政官財は癒着し、利権を追い、腐敗した。阪神大震災の5周年を迎えて、マスメディアは特集を組んでも、被災者の悲しみを訴えるばかりで、地震に対する備えについての日本ならではの考え方なりテクニックなりを披瀝しなかった。長期にわたる平和がもたらした高度成長が日本人をダメにしたそもそもの元凶は再び同じ被害に苦しむことのないような対応を工夫しないことだ。

 財政の建て直しには福祉や警察や教育の予算削減が伴う。それを言うと、マスコミや左翼を中心にそうした政策を引きずりおろそうとする「戦後民主主義の負の情念」が道を阻む。戦後日本の病根というべきもの。

 国家意識を持てなければ、いずれ、戦後民主主義日本は劇的な形で、国民生活を道連れにしつつ崩壊するだろう。

 マスコミに媚を売るような政治家に政治ができるわけがない。国民と一緒になった目線でしか政治ができないとしたら、誰が政治をやっても同じことではないか。(多数決主義が孕む負の効果)

 日本の当面の避けがたい風は西から吹いてくる。「教科書に文句をつける」これは明らかに内政干渉であり、許してはいけない。どんな国も、それぞれが、当事国の歴史感に基づいて教科書を作成しているのであって、一々、隣国の意見を聞くバカな国などあり得ない。

(過去をほじくり始めたら、エンドレスになる。中国や韓国の歴史書が必ずしも過去を正確に描いているとは限らない)。

 中国の市場経済への移行はシステムとして機能していず、いずれ、国家の中枢が腐敗し、構造が大混乱を起こす可能性もある。

(産業廃棄物の垂れ流しは、かつて日本が経験したように、自らの国民や隣国の人々を被害者にしてしまう可能性が強い)。

 欧州と東南アジアの古い地図を比較してみると、欧州では国境がなくなったりできたり、しばしばボーダレスであるのに対し、東南アジアでは朝鮮と台湾が日本に併呑されり、中国の北部がロシア領に強奪されたり、中国が西方に領土を拡大したりはあったが、基本的に欧州ほどの変化は経験していない。その上、言語は一国ごとに異なっている。このあたりの基本的知識をベースとせずに単にグローバル化といっても、言葉のレトリックに終わってしまうだろう。だいたい、中国はアジアの国のことなど思慮に入れてはいない。関心のあるのは資源を持つ国と兵器を買ってくれる国だけである。

(日本政府はアジア諸国のもつ、欧州にはない、文化の多様性を認識していない)。

 冷戦後の顕著な変化は日本経済の衰退、中国の膨張、ブラジル、インド、ロシアの経済的台頭である。

 国が滅びるのは必ずしも、常に外部からの攻撃や外圧によるものとばかりはいえず、内なる崩壊要因に為政者も国民も気づかずにいて挫折することがある。平成のシンボリックな現象はモラルの低下、教育の荒廃、(女性の男性化、男性の軟弱化)、少子化。全世界が永久に平和であるならば、それに超したことはないが、現実には、日本が戦後経験した長期の平和は日本人の心を蝕み、自らの大切なものを進んで投げ棄てるようなことになっている。そこに「愚者の楽園」として時代を越えて酷似したものをが見える。

(茶髪、ピアス、言葉の乱れなどは戦後を特徴づけるシンボリックな現象)。

 民主主義、個人主義、平和主義といった普遍的な原理にはダブルスタンダードがつきものであり、アングロサクソンにとっては自明のことを、日本人はそれをインチキだと短絡すた。だから、マッカーサーは「日本人は12歳だ」と評した。不完全な存在が集まって創る世界を一つだけの原理だけで貫こうとすれば現実との乖離が起こる。

 日本人は国際関係に対する透徹した認識に疎い。他国と国境を接していないために育った楽観的な見方が外交の本来あるべき姿に関し、鋭い洞察力を喪失している。また、国際秩序は普遍的なものと勝手推量し、激変する性質を孕んでいることを知らない。正義は力によって支えられて初めて意味をもつことを認識していない。

(かつて、ニクソンが日本の頭越しに突然中国と話し合いに入った歴史がある。アメリカに保護してもらっている状態がこのままいつまでも継続すると考えるとしたら、それこそ幼児並みの知能というしかない。誰が他国のために自ら血を流すことを肯んずるだろうか)。

 著者の書き方には遠慮を感ずる。もっと辛辣な言葉を用いて、表現すべきだ。


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