(新編)日本の面影/ラフカディオ・ハーン著

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「(新編)日本の面影 」 ラフカディオ・ハーン(1850-1904)著
池田雅之訳  角川ソフィア文庫  2000年9月初版

 

 ハーンは小泉八雲という日本名をもつイギリス人作家だが、来日したのは1890年(明治22年)で、54歳で死去する1904年まで14年間を日本で過ごした。

 外国人で、この人ほど日本と日本人を愛した人物は古今にいないだろうと思うが、本書の大半は松江で過ごした時期の出雲を中心とする旅日記の体裁をなし、代表作の一つである「怪談」からも知れるように、作者は荒唐無稽な、根も葉もない民間伝説、昔話、神話、幽霊話などに異常ともいえる好奇心を持ち、耳を傾けた姿が彷彿する。

 作者が初めて横浜港から日本に降り立った頃、目に映った風景は、日本人の知識階級は西洋かぶれが激しく、日本古来の迷信や超自然的なものを軽視するあまり、日本人的情緒や心理を学問的に研究する姿勢に欠け、古い信仰を恥と考える狭量さが目立つと指摘、時代を考証すると、都会と田舎の事象への姿勢には相当の落差があったのだろうと推察される。作者も、「日本人のたぐい稀な魅力も美徳もむしろ庶民の生活のなかにある」と、端倪している。

 さらに、「近代化した日本の批判精神は日本人の素朴で幸せな信仰を破壊し、それに代えて西洋の知性ではとっくに廃れてしまった残酷な迷信、寛容さの欠けた神と永遠の地獄とを心に抱かせようとする迷信を広めようとする諸外国の執拗な試みに対抗するどころか、知識階級ほど同調し、間接的に加担している」と批判し、「160年も前にケンペルが日本人のことを「美徳の実践、汚れなき生活、信仰と儀礼において、日本人はキリスト教徒をはるかに凌いでいると言った」ことを紹介している。

 ハーンは世界に稀な長期間を、鎖国状態にあった島国における封建社会から民主的な新しい社会へと変わりつつあるときに、当事国がしばしば遭遇する、美しいものの衰退と新しいものの醜悪さの台頭、相克に出遭ったということだろう。

 現代の日本人が既に忘れしまって久しい、昔々の迷信や神事、何にでもお供えをして祈願したり、謝意を示す習慣がこと細かく観察されていて、「非合理的だ」と指摘しつつも、そういう日本文化を温かく見守っている姿勢は現代の日本人にも失われており、そうした態度は作者の特異な性格から発するもので、奇人、変人の類を想起させる。ことに、幽霊話への傾倒は過剰にすら思われる。「--と信じられている」とか、「呪文を唱えると、たちまち」とか、そういう話が多いことにはやや辟易する。

 「西洋人はみずから優越意識をもっているかも知れないが、西洋人の野蛮で大雑把な目には、日本の活花(華道)の自然な魅力を引き出すための花、葉、枝、茎それぞれの配置関係が作り出す微妙な美を理解できないだろう。西洋人が「ブーケ」と呼ぶ花束などは花を生殺しにする無粋な行為であり、色彩感覚に対する冒涜であり、野蛮で忌々しい限りだ」と断言する書がアメリカで出版されたとき不評だったというのも頷ける。

 ハーンはいみじくも、「昔ながらの日本に存在した安らぎと趣がこの国からいずれは消えてゆく運命(さだめ)のような気がする」と、日本の将来を見通している。

 日本人特有の「微笑」についても、外国でしばしば「Japanese smile is enigma」(日本人の微笑は謎だ)と言われる所以をイギリス人の謹厳実直に対応する姿勢と比較しつつ、「日本人の微笑はイギリス人が忖度するような偽善でもないし、虚偽でもないし、挑戦でもないし、諦めでもない」と説明する。イギリス人からすれば、日本人が落胆や苦痛や恥辱の場合においてすら微笑をみせる態度に不審の念を抱く。そういうイギリス人の気質を知った横浜港の日本人はあえて微笑せず、一様にむっつりするようになったという。

 また、「日本人は一見穏やかで、おとなしそうに見えるが、たとえ身分が低い者でも、不当な仕打ちに対しては容赦しない。あえてそうした愚挙を犯した外国人で命を落とした例は幾らもある」と警告しているが、その一例として島津藩の行列の前を馬で通過して無礼討ちされたイギリス公使のヒュースケンが想起される。

 「人生の喜びは周囲の人たちの幸福にかかっていることを日本人ほど広く一般に理解している国民は他にはない。だから、皮肉や、陰湿や、意地の悪い機知などは通用しない。そういうことをするのは洗練された、まともな人間ではないからだ」と結んでいる。(皮肉、諧謔、意地の悪い機知といえば、それはイギリス人の得意とするフィールドであり、日本人がそうした挙に出ないのは、あくまで農耕民族としての仲間意識であって. 悪くいえば、没個性の社会だということもできるだろう)。

 ハーンは松江に1年7か月居住した後、熊本に転居し、日本人妻とのあいだに3男1女をもうけるが、本書で自分の家族のことに触れる部分は全くない。


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One Response to “(新編)日本の面影/ラフカディオ・ハーン著”

  1. withyuko より:

     松江にいらっしゃるんですよね?確か。
    松江のおうちが記念館として公開されていて(2回行ったんですけど記憶が定かでなくてスミマセン、もしくは、記念館は別にあったかも?)その館長さんが確か子孫の方だったような、、、。松江に行くと「怪談」が読みたくなります。お堀めぐりの船の船頭さんも「怪談」の中のお話をしてくれたりします。

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