日本人の顔/司馬遼太郎著

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「日本人の顔」 司馬遼太郎

 朝日新聞社刊  1984年文庫化初版

 本書は各界の知名人、分野を異にする専門家ら7人を相手に対談した内容を収めたもので、内容は必然的に多岐にわたる。

 なるほどと唸らされる部分と、対談の対象者が司馬遼太郎相手に緊張して、思い切った自説を展開できずに終わっているケースもあるかに感ずる。

 「日本人で人類に通用する人物」とのテーマで語られ、日本では空海が唯一の存在だという根拠に、空海が渡海して唐の都、長安に赴いたとき、ペルシャの白人女性が長安で踊っている姿を見て、「人類とは?」と考えたことに端を発するかのような印象の部分があるが、逆に、コーカソイドで人類に通用する人物とは一体誰なのかと問いたくなるし、こうした仰々しい設問そのものに馴染めない。

 また、1984年の時点はもとより、単行本として出版されたそれ以前の時点からなら尚更、中国の今日の姿を予測することは難しかったはずで、予測を超えるものが多々出現することは、さすがの作者も対談相手も推察できなかったであろう。

 芥川を受賞した大庭みな子が「日本に住むと苛々する」と江崎玲於奈(ノーベル賞受賞者)に高言したそうだが、アメリカに住んで苛々している日本人はもっといる。こういう自我自尊タイプの女は死ぬまでアメリカにいたらいい。もっとも、江崎氏も10年をアメリカで過ごしている。

 田中武彦氏は「むかし遣唐使が行くとき、一行は200人から400人だった」と言うが、あの時代に、一体何人が生きて唐に達し、何人が生きて帰国できたのか疑問が残る。

 ただ、「清の前の時代を支配した民が滅亡したとき、何十万人という漢人が日本に亡命し、亡命者を大量に受けた薩摩藩の藩士の中には、中国人を先祖にもつ藩士が意外に多い」という話が史実だとしたら、これは驚愕に値する。

 日本が島国であり、中国からの情報や影響が伝播されるのに時間がかかったこと、それを補ったのは朝鮮半島であったというのは真実。百済が滅亡したときも、日本への亡命者は多く、ときの朝廷はこれを暖かく迎え、朝廷の周囲に土地を与え、かれらから学んだことも僅かではなかったというのも歴史的事実で、現実に京都内に土地を所有する朝鮮人は現在でもかなり存在する。

 「日本書紀に書かれている「神功皇后の実在説や、朝鮮侵略説などはでっちあげの虚偽である」との見方は正鵠を得ていると思う。だからこそ、私は古事記や日本書紀を本気で読みたいとも思わないし、信じる姿勢を採る気にもなれない。いずれにせよ、天皇の権力を誇大に書いた意図が見え透いていて、神話とは所詮そういう類のものではあるが、国民は神話を鵜呑みにするほどバカではない。

 とはいえ、朝鮮半島と日本とは血縁的にも近縁であり、先祖をだどることができるならば、現在の我々が思う以上に朝鮮人を祖先にもつ日本人は膨大な数に昇ることが予測される。だいたい、平安朝初期の近畿の住民の30%は渡来人であったことは間違いないし、かれらの支援を得て、日本の古代国家を形成することに寄与したことは疑いようがない。

 「島津の斉彬が水力発電までつくり、電話も引いた」という話はどこまで信じられるのか判断を超えている。ただ、薩摩が渡来人を大切に扱い、朝鮮から朝鮮人参をはじめ密貿易をやっていたことは事実である。そのうえに、琉球をいじめぬき、黒糖やら毛皮やら大島紬やら花茣蓙などを持ってこさせ、琉球を経由して入ってくる海外の情報に耳を傾け、軍事を想定した貯えに意を尽くしたことも真実。でなくて、幕府をああまで簡単に潰せるはずがない。長州も、結局はそういう薩摩の支援を受けて、武器、弾薬を入手でき、共同作戦を展開できたのであろう。むろん、その時代に、薩摩に抜群の知恵者に限らず、豪胆で交渉に秀でた人物が排出したことも否定できない。

 肝心の本書のタイトル「日本人の顔」については、江戸、明治までは日本人の顔は面長で、以後丸顔、鼻ぺちゃになったという、それだけの内容で表題を決めてしまった編集者あるいは著者の意図がよく判らない。

 旗本には「昌平こう」はあっても、旗本を旗本として教育する場はなく、吉原に入り浸って、孔子も知らず、オランダも知らず、孟子も知らず、無知蒙昧に成り果てた一方で、幕府以外の諸藩には学問所があり、遠く長崎までオランダ語を学びに行かせる藩もあり、そこに大きな差ができ、徳川初期の目論見であった旗本八千騎が肝心のときに何の役にも立たなかったことは事実。

 「明治政府の失敗は土地の扱いにある。国の公有にし、所有権と利用権とを区別。よしんば土地個人所有を認めたにせよ、売った場合に入手価格と売買価格とのあいだに譲渡による儲けがあればしっかり譲渡税をとる、あるいは固定資産税を上げておく、もっといえば、売らなくても土地の値上がりで税を課すなど、しっかりやっておけば、投機対象にはならなかった」とは、一ツ橋大学名誉教授の都留重人氏の意見。(土地を単に公有化しただけでは、そこに官僚による許認可権生まれ、癒着、賄賂の温床になっていただろう)。

 「明治、大正ですら、互いが持っている言語の型や質が違っていたため、たとえば、東北人と九州人とではコミュにーションは出来なかった。ために、口語によるやりとりよりも、文章言語が優先されざるを得なかったし、文語が基本であったに違いない」という見方は当を得ている。

 私が唸ったのは江崎玲於奈氏が口にした「人生は一つのコミットメントである」との言葉。

 かねてより、日本人は外国人、ことにコーカソイドを雇用するに際し、日本で培われた、終身雇用をベースとする企業へのロイヤルティを期待したことに、海外での、そもそもの失敗がある。コーカソイドや中国人に忠誠心を求めるのはお門違いであり、相手のもつ文化をはじめ、意識、目標などに関する傾向だけでも知る努力をすべきだった。現代でも、日本人はコーカソイドを使うのが拙劣すぎる。そこには抜き難いコンプレックスと文化の違いがあるからだ。

 島国で長年純粋培養されてきた歴史的背景には、メリットもあれば、デメリットもある。


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