日本語の力/中西進著

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「日本語の力」
中西進(日本語について語る会座長)著
2006年7月 集英社文庫化初版 ¥500

 

 作者は1929生まれで、現時点で77歳。現代の若者の言葉遣いには、おそらく、相当の憤りとともに唖然たるものを覚えているだろう。

 終戦を迎えたとき、すでに16歳ということは、基本的な教育は戦前のスタイルだったはずで、そのままでは現代の若者に受け容れられる内容のものを著すことは難しい。

 新しい世代が本書に触れて、「なるほど」と唸ったり、納得する機会は確率的にきわめて低いと推量せざるを得ない。

 「ごはんをよそう」は、化粧して「粧う」と語源が同じ、「慎ましい」は「包む」が同源だと、いまさらいわれても、「だから?」といいたくなるし、平安期の大和言葉にいまさら戻れるわけもない。だいたい発音そのものがまるで違う。

 また、明治期、奔流のように日本に入ってきた西欧文明と、それに基づく語彙を、福沢諭吉らが懸命に工夫、考案したことに敬意こそ感じはしても、「曖昧」などという言葉は中国からの借り物で、本来は「暗いという意味だよ」と教えてもらっても、これにも、やはり「だから?」と応ずるしかない。また、そうした知識が何かの役に立つとも思えない。ただの薀蓄に終わるのだとしたら、専門家でもない読者がそれを知ったところでなにもはじまらない。

 断っておくが、私個人は、語源への興味は尽きずにもっている、たとえば「阿漕(あこぎ)なことをするんじゃねぇ」などというときの「阿漕」がサンスクリット語からきていることも知っている。

 とはいえ、「人の心を掴む言葉、詩、歌、句、などは時代を超え、あるいは国境を越えて伝わるし、人々に愛されるかぎり、歴史の推移や文明の侵犯に対抗して、人間の心の聖域が保たれ、常に人々の心に聖域を再生化し続ける欲求に結びつく」という考え方に、グローバリズムが拡大する現代でも日本人の心、「もののあわれ」や「無常感」を世界に発信できるという積極性が感じられ、知らぬ間に唸らされていた。

 日本文学は和歌の影響を過剰に受け、そのために日本文学は小説としては未熟。志賀直哉は近代文学の巨峰の一人だが、その「城之崎にて」にしても、もう一人の巨峰である川端康成の「千羽鶴」にしても、両者の小説は共に和歌的だという説にはなるほどと思い、かつ卓見だとも思った。川端の「千羽鶴」は長文な散文詩ともいえ、和歌のもつ伝統から逸脱していないと強調。

(花鳥風月に対する感性は日本人が独特の四季に恵まれて得たもの、上に記したことと矛盾するかも知れないが、外国育ちの人間、ことに熱帯に居住する人々に伝えることには無理があるような気がする。数十年後の日本の地理的ロケーションが地球温暖化のために熱帯に属することになったら、平安朝から伝わる花鳥風月は夢のまた夢となるだろう)。

 日本人は太古より「清明」であることを好み、そういう倫理観のもとにやがて「もののあわれ」を本質とする物語を紡ぐようになった。民族の性情によって詠嘆をこととし、物事を凝視するよりは眺めるという姿勢である。このあたりの言説には、先般ブログに書評した藤原先生の「国家の品格」に通ずるものがある、ドイツ人による西欧を席巻した哲学的思考とは赴きを異にするものだ。

 それぞれの民族にはリズムが違っても、それぞれの詩歌があり、言葉が紡がれる。作者は「21世紀は心の世紀」だと希っているようだ。だれもが21世紀は「地球破壊の世紀」だと、ひょっとしたら「地球破滅の世紀」だと思っているのに。

 中国から「死す」という言葉が入ってきたのは紀元前300-350年(おそらくは秦の始皇帝の時代?)、日本は弥生式文化の時代、それまで日本人は「死す」の代わりに「絶ゆ」あるいは「枯る」を使っていたという。(「だから?」というのは、この際、やめて言葉を聞こう)。

 白と雪をいっしょにして「白雪」、初と霜をいっしょにして「初霜」、春と霞を一緒にして「春霞」など、8世紀にはおびただしい新しい語彙を日本人は創造し、それが平安文化に引き継がれた。

 現在はおびただしいコンピューター用語が入ってきている。英語も理解できず、スペルすら知らない人が新しい英単語(コンピューター用語)を当然のように口にする。文明語、認識語、自国化語のうち、これらは(たとえばアイデンティティという言葉にしても)三番目の「自国化語」の範疇に入る。今後、どんなに外来語が流入しても、この三つの範囲で収容できると作者は断言する。

(日本語の動詞は弱いから、動詞をダブらせて、たとえば、「立ち上がる」「投げ飛ばす」という類の言葉多い)。

 いまの世界にはさまざまな言語があるが、文字をもっているのは地球上では全体の25%というのは驚愕の事実。古代に遡れば、なおのこと文字などはない。「文字の創造が文明のスタート」という言葉に子供のころから納得してきた自分はいったいなんだったんだろう。そして、そのことを教えてくれた先生は? 現代でも、地球上の75%の人間は文字を持たず、読めず、生活しているという事実を教えてくれた先生はいなかった。

 人間の頭脳の肥大化、2足歩行、左右の手を自由に使えるようになり、発声が可能となり、それが発語に結果し、言語の文法化と語彙の豊富さに繋がっていったという話は、いったいなんだったんだろう?

 文字というものの最初の目的は紀元前3、4世紀かに、秦の始皇帝が人間を支配したり、社会を秩序化したりする道具として生まれた。日本で文字が使われだしたのは西暦600年頃(中国に比べて900年という遅れ)、文字がなければ、書く動作は生まれない。木簡や竹簡や紙があっても、日本人は土器の表面を「掻いて」文様をつけていたから、「書く」という言葉が生まれたとある。

(本書とじかには関係ないが、この著者も、われわれの祖父母以前の日本人も中国を「支那」と呼んでいた時代がある。これは決して侮辱語ではなく、英語ですら「CHINA」といい、マレー語でも「CINA」(チナ)ということからも判る通り、秦が中国を統一したときに、その事実をみずから外国に発信したことにそもそもの原因がある。その音(おん)がCHINだったのかSHINだったのか確かなことは忘れたけれども、日本では「支那」に、マレー語圏では「チナ」に、英語圏では「CHINA」になったのだということを歴史書で学んだ記憶がある。「中国」「中華」などという言葉は傲慢にして尊大、「産業廃棄物を垂れ流す中心の国」というのなら解るが)。

 万葉集は中国の呉音が基本の音で、それから漢音が、そして唐音が入ってきた。

 万葉の時代の日本語の語彙(和語)は8500語で、そのうち外来語はたったの16だった。古事記、日本書紀が受け容れた中国からの漢字を、後代に編まれた万葉集はそれらを意図的に排除、忌避したらしい。その16語も、すべて仏教語で、しりぞけようがなかった言葉、たとえば「法師」「餓鬼」「塔」「香」「檀越」「功徳」「布施」「婆羅門」「金剛力士」などがそれにあたるという。

 中国語は文法的には英語に近く、助詞がないし、活用語尾がなく、孤立語である。日本語はニカワのように語と語のあいだがべたつく「膠着型」。日本語は系統的には蒙古語を引くし、だから、モンゴルから来た力士は日本語の習得が早い(?)。連体形も、終止形も北方系の特徴。だから、中国言語は文法的に英語に近いものがあるため、中国人は英語に習熟するのが早いのに、日本語はひどく下手。

(日本語は基本的に母音を主体する言語で、同じ系列の言語はポリネシアの一部にしか存在しない)。

 本書は国語審議委員会の委員が作者で、いっていることは部分的にはかなり難しい。また、各種の雑誌、新聞などに書きちらし、シンポジウムなどでしゃべりまくったものを、多少の無理は承知のうえでまとめ、文庫化したという印象が否めず、内容的に首尾一貫したものが感じられなかった事実に多少の不満が残る。


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