日本語の奇跡/山口謡司著

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書評:ためいき色のブックレビュー-日本語

  「日本語の奇跡」 山口謡司(1963年生/大東文化大学准教授)

  新潮社より新書初版 2007年12月20日 ¥680+税

  副題:(アイウエオ)と(いろは)の発明

 本書は「日本語は、インドから伝わったサンスクリット語発音と中国からもたらされた漢字とを併せ利用することで完成した」という事実を丁寧に解説している。

 本書から学んだことは多く、なるほどと思わされた部分も僅かではない。以下にエキスを列記する。

*日本語は助詞、助動詞が付属する文法的関係から「膠着語」と呼ばれ、トルコ、モンゴル、シルクロードを通って朝鮮半島にいたる「アルタイ語系」に属する。

 (だから、モンゴルの力士は日本語を覚えるのが早いのかも知れない。韓国語には日本語と同じ意味で同じ発音の言葉が幾つもあるし、文法もほとんど同系列らしい。だからかも知れないが、韓流スターが日本語が上手なことにしばしば驚かされる)。

 ギリシャ語、ラテン語を基本とした「屈折語」の欧州、同じ屈折語のアラビア語とサンスクリット語。語の配列の順序で文法的な関係を示す言語に属するのが中国語。日本語の「瓦」も「旦那」もサンスクリット語が語源。 

*「聖徳太子は高麗に親類縁者がいた」という説がある。(ちなみに、高麗は英語の「Korea」の語源)。

 

*中国に初めて遣唐使を送ったのは西暦600年で、聖徳太子が没してから8年後、以来飛鳥、奈良、平安と時代をまたぎ、894年に菅原道真の建議によって終了するまで、264年間にほぼ20回行なわれ、804年には空海も遣唐使に加わった。

*日本人は仏教経典を通し、漢語のもつ表意性とサンスクリット語のもつ表音性とを柔軟に使いこなすことで、日本語の表記法を確立。

*奈良から平安朝にかけ、漢詩は対外的、政治的な教養だった一方で、「古今和歌集」の成立以降、和歌は日本人としての教養やセンスのレベルを問われる対象だった。

*万葉集が完成した頃の日本語の発音は現代とは異なり、たとえば、笹(ささ)は「つぁつぁ」であり、母(はは)は「ふぁふぁ」であった。

 (母をローマ字に直せば、「Haha」ではなく、「Fafa」であり、F発音がわが国にあったことが事実だということをあらためて認識した)

 万葉集編纂以後、10世紀の古今和歌集の成立まで、中国文化への過度な傾斜によって、それまでの伝統が消えてしまい、平安時代初期に至って、人々は万葉集が読めなくなった。ために、村上天皇は博学の者に解説を命じた。

*903年には日本語にとって重要な書物「伊勢物語」が成立し、まもなく「古今和歌集」が産声を挙げ、紀貫之によって「土佐日記」が著された。これらの書物は中国からの影響を脱したことをも表している。この流れが世界に誇れる「源氏物語」の誕生を促すことにもなった。

*「いろは歌」が10世紀後半につくられたことに異論はないが、誰がつくったかは不明。

*平安の初期から中期にかけて、「あ」が「安」から、「い」が「以」からといった具合につくられたが、当時は草書体を意識して「草仮名」と呼ばれ、「平仮名」との名称は江戸に入ってから。

*和歌の隆盛によって、次第に日本語らしい優しさを帯びた自分たちの文字を発展させることが可能となった。と同時に、日本語の語彙を発達させる大きな原動力ともなった。

*五十音図の基礎を築いたのは天台宗の僧。「あかさたなはまやらわ」になったのは江戸時代に入ってから。

 いずれにせよ、「色は匂えど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ・・・」は秀逸。

 


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