日本語はなぜ美しいのか/黒川伊保子著(その1)

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「日本語はなぜ美しいのか」 黒川伊保子(1959年生)著
集英社新書  2007年1月初版

書評:その1 「母音語と子音語との相違」

 作者は奈良女子大で物理学を学び、コンピューターメーカーで人工知能開発に携わって、「脳と言葉」を研究したという、やや複雑な履歴の持ち主、「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」を書いた人としても広く知られている。

 本書は上記タイトルよりも、むしろ「日本語の本質」あるいは「母音言語と子音言語の違い」といったタイトルの方が内容をよりよく表現しているように思われた。

 以下に、作者の言い分を列記するが、(  )内は私の意見。

1.言語はそれぞれの土地に根ざしており、土地のもつ特性と無縁ではない。たとえば、日本語の「朝」はローマ字に直せば「ASA」であり、口を大きく開けて発音するAが二つも入っていて、陽光の眩しさを浴びつつ、悦びを表現し、「おはよう」にも爽やかな解放感がある。

 一方、英語を生んだイギリスは、地理的に日本より緯度が高く、霧の発生率も多く、薄ら寒い印象の土地で、Good Morningには弾むような感じはなく、むしろ互いをいたわりあうような、くぐもったイメージがある

2.意識は語感を選び、語感は意識をつくる。何世代にもわたって使われた言語はますますその土地の情景を映し出す発音体感に似合ったものになってくるし、人々は互いに暗黙のうちに情感が共鳴しあうものであり、それは優劣の問題ではない。

3.イギリスと日本には相似の部分がある。それはいずれも島国で、神話の時代からその土地に根付く言葉を使ってきた。世界的にも安定度の高い言語であり、相互に深い情感の世界をもっている。イギリスにファンタジー作品が多く生まれるように、日本にもアニメ、ゲーム、コミックが生まれ、双方ともに世界を席巻している。

(欧州の言葉のほとんどはラテン語の変形、あるいは方言として、育成された)。

4.日本人は「ン」から始まるアフリカ人の言葉に違和感をもつが、尻をスウィングしながら生きている人にとっては、たとえば「ンドゥール」などという名は自然である。

5.アメリカ人に欠落しているのは「結論をうやむやにするのも教養のうち」という意味が理解できない点である。

6.日本人はむかし漢字を受け入れたとき、その音を日本人好みに変換している。顕著な例は中国語の口唇破裂音(PとかB)を息の音に変えたこと、歯を擦る強い音(ツァ、ツィ、ツォ)を弱い(チ、ツ)に変えたこと。母音で成立している日本語にとって、母音をやわらかく制動できない音は乱暴で下品な音だと感ずるからだ。(日本にも、「オトッツァン、オッカツァン」と呼ぶツァは厳然として存在する)。

 砂漠や、砂煙の上がる土地では、口をあまり開けずに強い音が出せ、かつ多用される。世界には吐き出すような音を基本とする母国語をもつ人たちもいる。

7.子音の多いドイツ語のもつ尊大さ、厳格さは軍隊で命令を下すのに合っているという説がある。

8.日本語は母音を主体に音声認識する、世界でも稀な言語。僅かにポリネシア語族(ハワイなどもこの仲間)に同類が存在するが、世界では絶対的少数派である。西欧諸国、アジア諸国の言語はすべて子音を主体に音声認識をする。子音を主体とする国語をもつ人々は母音は言葉の音として認識されず、右脳のノイズ処理領域で聞き流されてしまう。日本人は母音を左脳で聞くが、西欧人やアジア各国の人は右脳で「音響効果」としてぼんやり聞いているという決定的な差がある。

9.日本語は欧米やアジア諸国からは特異で、世界の言語群のうちでは大変な異端児であり、このため日本語の使い手だけに見えるものが世の中にはあって、国際社会では、そのことが奇妙に映り、嘘つきにされやすく、かつ魔女狩りの対象にもされかねない。

10.言葉と所作と情景とがしっかりと結びついて出来上がるのが言葉のセンス。幼児は三歳まで母親とのコミュニケーションを通して、用語を段々に脳に築いていき、一生の知性の基盤をつくる。以後八歳までには母親の仕上げの臨界期であり、社会性を身につけさせるために子共パブリックと同じレベルの言語を家庭で使ったほうがいい。八歳からの3年間は感性と論理をつなげ、豊かな発想と戦略を生み出す脳に仕上げていく、いわば脳の完熟期。だから、母音を主体とする日本人が幼児の時代に英語などを学ぶことにはリスクが伴う。

11.母音を主体に聞く人類と、子音で聞く人類のうち、前者は絶対的少数派であるが、両者には脳の使い方にも明瞭な相違があり、言葉と意識の関係性とコミュニケーションの仕組みが全く異なっている。だから、日本人が多少英語が上手だからといって、下手に英語を駆使して議論すると収拾のつかないことにもなり得る。

12.脳が二つ以上の異質言語のモデルに堪え、破壊されずにすむ年齢は12歳であり、この年齢以下の場合には同じモデルの言葉だけならばリスクが発生しない。だから、子音をベースとする欧州人が英語、ドイツ語、フランス語を幼児期に混在させても問題はない。日本人は12歳になるまでは脳を一つの言語モデルに閉じ込め、大人の脳になるまで感性を育て、温存しておかないと、想像力も創造力も育たず、発揮もできない。小学校で英語を教育科目に採用するなどはもってのほかで日本の子供の脳を破壊しかねない。

13.英語は子音を軽やかに流す、リズム重視の発音体系で、外国人にとって最も親しみやすい言語である。たとえ、ネイティブのように話せなくとも、英語を母国語とする人間には自分の国の言葉を覚えてくれる外国人の存在は歓迎すべきことで、未熟な英語であっても、聞こう、理解しようという心構えがある。12歳から英語を学んでも遜色はなく、日本語を話せない環境に数年置いてやるだけでも、ほとんどネイティブイングリッシュに近い英語を話せるようになりもする。

14.M音はおっぱいをくわえたときと同じ形の口腔に、やわらかく息を満たして発音する音で、世界中の子共が授乳期のうちから発音する。このため、世界中で母をM音で呼ぶ習慣がある。英語ならMother, mammy, mama, mam、フランス語ならMere(メール)、ドイツ語ならMutter(ムッター)、イタリア語ならMadre(マードゥレ)、スワヒリ語ならマーマ、韓国語ならオムニ(幼児語でオンマ)、中国語ならムーチン(幼児語でマーマーで、女偏に馬と書く)である。

(Mといえば、海に面した都市や島にもMを冠した名前が多い。Manila(マニラ)、Marseilles(マルセイユ)、Manado(マナド、セレワシ島)、Macao(マカオ)、Madagascar(マダガスカル)、Madeira(マデイラ、大西洋の群島の一つ)、Madras(インド、ベンガル湾に面す。現在はチェンナイと名を変えている)、Majorca(マヨルカ島、スペイン領、地中海)、Malacca(マラッカ、マレーシアとインドネシアの海峡)、Maldives(モルディブ)、Malmo(マルメ、スウェーデン南部)、Malta(マルタ島、地中海)、Manhattan(マンハッタン、NYC)、Isle of Man(マン島、イギリス)、Mapto(マプート、モザンビーク)、Maracaibo(マラカイボ、ヴェネズェラ)、Marshall群島、北太平洋)、Mauritius(モーリシャス、マダガスカル当方の島国)、Mediteranean Sea(地中海)、Miami(マイアミ、フロリダ州)、Mindanao(ミンダナオ島、フィリピン)、Minorca(ミノルカ島、地中海、スペイン領)、Molokai(モロカイ、ハワイ州)、Maui(ハワイ)、Midway(太平洋、ホノルルの北西)、Mombasa(モンバサ、ケニア南部)、Monrovia(モンロビア、アフリカ、リベリアの首都)、などからの推量だが、哺乳類をMammaliaということもあり、人間の祖先は海からやってきたこととの関係があるような気がしてならない)。

15.発音体感という言葉の属性、脳の認知構造の基礎に深く関与している言葉の本質について、2003年に「人工知能学会」で作者が指摘するまで、言語の世界では、話題にすらのぼったことがなかった。(子音語族の側からこうした指摘が出てくるはずはなく、母音を祖語とする作者が会議で発言することで、新たな課題が提供されたのであろう)。

16.英語をはじめ欧米各国語はインド、ヨーロッパ祖語と呼ばれる、チベット高原で9000年ほど前に生まれたとされる言語に端を発し、この言葉がもつ音韻がラテン語やゲルマン語などを経て、現代の欧米諸国各国語に派生、英国は幾つもある言語を経由して様々な語彙がたどり着いた最果ての地である。

17.最近になって、脳は地球の自転、公転を感知していることが指摘されている。古代チベットで生まれたインド・ヨーロッパ語の祖語が東へ向かわず、西に流れたのも、そこに原因があるといわれる。都市も建設されると、あとは西に向かって拡大する例が多い。さらに、情報も東から西に流れやすいという。西に居住する人間は東を意識し、東からの情報には脳が素直に受け容れるという説。その点、日本はその東に意識の向く憧れの土地をもたなかった。また、何かの通過点にされるような経験ももったことがない。おかげで、言葉をはじめ、音韻も一環して同じ土壌で培われた。その意味では、日本は純粋培養された無垢の国といっていい。

 戦後、明らかに、東にアメリカという大国が近い存在となり、民主主義と自由主義を手本とし、ホームドラマに憧れ、電化製品に憧れ、自動車に憧れた。核家族化も、離婚の多発も、後を追うように増え続けた。うぶな田舎娘が都会のナンバーワンホステスに憧れたようなもので、この関係が今後も継続すれば、日本の政治家も経済人もアメリカの論理を無視しては立ち行かなくなる。

18.日本語をはじめて耳にしたフランス人は「タタタタタタ」と拍子を刻む言葉に太鼓や機銃の連打を想像したという。「サクラ」という三拍子の言葉も、彼らには三拍子には聞こえず、Sack・lerと、二つの音節に区切って理解される。逆に、イギリス人がChrist・masと、二つの音韻単位でしゃべっているつもりでも、日本人の耳には「クリスマス」と一つの単語に聞こえる。

19.アルファベットは僅か26種類の記号で音声を一通り表すことができ、そのことは素晴らしいことだが、音韻単位と表記単位が一致していないため、聞いたように記載しても、文字記号にならない。ある一定数の単語(文字列)を知らなければ識字ができない。

 中国人の場合、音声認識の単位に複数の漢字がリンクしていて、聞き取れても、意味を理解したうえで漢字を駆使しないと識字できない。日本人は数十の仮名を覚えれば、なんとかなるが、中国人は400を越える単位に何千という漢字がぶら下がっていて、その体系を知らなければ識字ができないのである。

20.日本人は「話せばわかる」としきりに言うが、母音語の使い手が子音語の使い手との相違を理解し、境界線を決めて話さないと、話せば話すほど関係は対峙してしまい、母音語族が意図する対話による融和はもたらされない。この相違は自然を相手とした場合に明確、子音語族は自然は対峙し、支配するものであると考えるのに対し、母音語族は自然との融和、調和を重んずる。

21.インドの古代語ヴェーダ(サンスクリット語とほぼ同じ)には、人間の生理に即した多次元の表が存在する。「言葉の音が神経系に影響を与える」という明確な基本哲学があり、分類した表までがある。日本の五十音図は天台宗の僧侶が提案したらしいが、ヴェーダの音韻律も日本語の五十音図に影響を与えている可能性はある。むしろ、日本人がこれを参考としつつ、みずから工夫して創ったとも考えられる。

 22.最も子音に偏っている言語はアラビア語である。砂嵐が舞い、乾きの激しい砂漠は、口を開けてゆっくりしゃべる習慣が欠落している。アラビア文字も、通常の文書では母音記号を記述しない。母音は音として認識されていないからだ。環境が言葉をつくり、言葉が人をつくる。いったん言葉を採択すれば、今度はその言語の発音特性が人の意識をつくりだす。意識はエスカレートし、止まらない潮流となって人々を飲み込んでいく。

 以下は「その2」に続く。


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