日本辺境論/内田樹著

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書評:ためいき色のブックレビュー-辺境

 「日本辺境論」 内田樹(1950年生/神戸女学院大学文学部教授)

 2009年11月20日 新潮社より新書版として初版 ¥740+税

 「日本という国と、そこで暮らす日本人に関して本質的なところをえぐり、露わにしてみせる」という点で、本書が際立っていることは間違いない。また、だからこそ養老孟司氏も本書を絶賛しているのであろう。

 以下に琴線に触れたところ、虚を衝かれたところを抜書きしてみる:

*極東の島国にほとんど隔離された状態で長年生きてきた日本人には辺境で生きる人間特有の宿命的な特殊性がある。

*「和を以って貴しとなす」と日本最初の憲法に掲げられて以来、それが千年以上この国の伝統となっている以上、精神文化が外来のものによる影響によって変化することはあっても、変化の仕方は恒常的に同じ。集団としての自己同一性を保持するためで当然の姿勢。

*自分が自分であることに自信がもてず、常に新しいものにキャッチアップしようと浮き足立ち、ふらふらきょろきょろして最新流行の世界標準に飛びつくという、病的な落ち着きのなさこそが日本人に共通するナショナル・アイデンティティ。

*日本人は日本を語るとき、必ず他国との比較に熱中する。日本という国は建国の理念があって国づくりがなされてはいない。よその国との関係で自国の相対的な地位を定めるのが病的なまでの癖。

 (日本人は外国人にどう見られているか、どう思われているかには関心が高く、TVの番組にすらなるが、自分が他国をどう見ているかという話はあまり聞かない。私自身もご指摘の通りで、ブログに書評した書籍には外国人が日本滞在経験を書いた内容の著作がかなりある)。

*日露戦争に勝利した後に日本が満州、韓国でやったことは、もし帝政ロシアが勝っていたらやりそうなことだったという単純な発想にベースしており、よくいわれるような「軍部の突出や暴走」などではない。

*世界標準に準拠して振舞うことはできるが、世界標準を新たに設定することは日本人にはできない。それが辺境の国、日本の限界。だから、日本の知識人のほとんどは日本の悪口しか口にしなくなる。「政治がダメ、官僚がダメ、財界がダメ、メディアがダメ、教育がダメ」と。

 (耳が痛い)。

*日本人は外部に正しさや上位者を求める。「教育ならフィンランドがいい、少子化対策ならフランスが先生になる」などなど。こういう精神は1500年間の長きにわたって変わらずにあるのだから直しようがない。すでに血肉になっている。

*どの国も国民も、それぞれ固有の民族誌的偏見の虜囚となっており、それぞれがそれぞれ固有の仕方で病んでいる。例外はない。

*北方領土、竹島、尖閣列島、それぞれの問題につき意見を訊かれても答えられないのが日本人。そういうことが自分自身の問題だという考え方がもともと欠落している。意見を述べられるように考えておくことが自分の義務であるとも考えていない。

 心臓にずしんとくる話は本書の3分の1ほどで、3分の2はよけいな話という印象。とくに、武道や宗教に関する自説の開陳は不要。「無神論者の傲岸」などという言葉からは信教の自由のない世界が理想だというような不快なイメージがついてまわる。いやんや「霊的成熟」などという言葉に至っては「どこを押せば出てくるのか」と言いたくなる。

 


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