横濱みなとの唄/五十嵐英壽写真集

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横浜みなとの唄

 最近、大判の本で「横浜みなとの唄」というのが手に入った。

 1988年に「かなしん出版」(神奈川新聞社)による第一刷発行とあるが、横浜港が米軍による接収解除された年から24年間にわたって撮り続けた港の風景ばかりの写真集である。

 これが、懐旧の情をくすぐる。

 私もかつて横浜はおろか、神戸三宮埠頭、長崎埠頭まで出かけ、海外から、といってもほとんどはアメリカからの乗船客のためのツアーのケアをしたことがある。

 まえもって準備を終え、税関とイミグレーションの職員が同行するランチ(小型ボート)に乗せてもらい、ときには新聞記者もプロカメラマンもいたが、港外乗船というのをやった。

 「港外乗船」とは、ランチで沖合いを埠頭に向かって走っている客船から、ときにはタラップらしきものが降ろされ、ほとんどはロープラダーが落ちてきて、それにしがみついて船に上がり、それぞれが船が桟橋に到着する前に職務を全うするという目的の仕事である。むろん、客船は船足こそ港が近いという理由から減速はしても、我々のために停止などはしてくれない。

 なかには、ラダーが風で振られた瞬間、ドキュメントの入ったアタッシュケースを海に落としてしまったやつもいて、上司から、「アタッシュ落とさずに、おまえが落ちろ」などと怒鳴られていた。小さなランチが巨大な客船に舷側を揃えつつ接近するのさえ、操船を間違えば、沈没を免れないという危険がついてまわる。

 客船上階の一隅には必ずコーヒーが用意され、そばにトーストが、ときにクロワッサンが、バターと一緒に置かれていて、港外乗船は決まって早朝だから、それが朝食代わりになり、誰もが舌鼓を打った。1ドルが360円という、貧しい時代、バターつきのトーストやクロワッサンがどのくらい贅沢に感じられたかは、何でも入手でき、何でも食える現代の若年層には理解できないだろう。

 本書の写真はすべて白黒だから、写真が撮影された時代というものが理解できるが、それにしてもよくこれだけ撮りまくってコレクションをしたものだと感心するばかり、圧倒される思いともに、「港の見える丘」という歌謡曲が脳裏に踊った。

 昭和初期といっても、たぶん35年から55年くらいまでの写真であろうが、人々の着用している服装が古いし、髪型も古い。それでも、人々の様子、周囲の風景が「こんな時代があった」事実を彷彿とさせてくれ、しばらくは呆然たる気持ちで写真の一枚一枚に見入った。

 なかには、日本の女優、高峰秀子が新婚旅行から帰ってきたときの写真、チャップリンが来訪したときの写真、イギリスのサマーセット・モームが来日したときの写真、当時のイケ面俳優のジェームス・スチュアートが夫人を同伴して訪れたときの写真、マリリン・モンローがデマジオとハネームーンで来日したときの写真(このとき、指圧のプロ、波越という男性だったと記憶するが、マリリン・モンローにマッサージを施し、世の男どもはそれを羨望した。)、なかには、駐留軍の黒人とできてしまった後、アメリカで離婚し、一人で帰国してきた日本婦人の寂しげな様子を撮影した写真などなどが、数えきれぬほど満載され、一つの時代を明確に映しとることに成功している。

 自分が豪華客船を相手に、ツアーのケアをしていた頃の、あれこれが想起されもし、感慨を深めるばかりだった。

豪華客船 横浜港


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