毒の話/山崎幹夫著

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毒の話

「毒の話」 山崎幹夫著(1931年生)
千葉大学薬学部卒業
東京大学大学院化学系研究科博士課程終了
薬学博士、国立放射線医学総合研究所主任研究
千葉大学生物活性研究所教授
現在、東京薬科大学客員教授
中央公論新社 新書
1985年10月初版(99年までに23版を重ねる)

 

 作者の「あとがき」に、「ここに採り上げた15の毒の物語には必ずしも毒の代表ばかりが登場しているわけではない。手もとにあった資料のなかからそれとなく拾い上げ、思いつくことを書きとめたメモのようなものが順不同で並んでいると思っていただければ間違いない」と、のっけから、読者としての知的欲求を無視するかのような言葉がある。

 内容的に緻密と杜撰が並存している部分もあり、なんどか読書を継続することを放棄しようかと考えつつ、結局、最後まで読んでしまった。それは、本書のもつ、テキスト的な科学的知見が私を捉えて離さなかったからかも知れない。

 以下は備忘録を兼ね、エキスをまとめてみた。

1.ジャガイモがペルーからヨーロッパ(スペイン)にもたらされた時期は1500年代の半ばであるが、コロンブスが持ち帰ったタバコやサツマイモと比べ差別待遇された。

 一部では、ジャガイモは毒であり、豚のエサにしかならないといわれ、貧乏人の食い物だと蔑まれた経緯がある。それは、たぶん、地中から掘り出される不揃いの、かつコブ状の塊根の形への忌避感にそもそもの原因がある。

 18世紀に入っては、イギリスに苛められ、西欧でとびきり貧困者の多かったアイルランドの農民たちは率先してジャガイモを栽培、常食とした。結果として、人々は健康であり、飢饉においては最高の救済植物となった。次いで、ドイツ東部において、プロシアのフリードリッヒ1世、2世ともにジャガイモの栽培をしきりに奨励した。人民が納得して栽培に精を出したのは18世紀終わりの頃といわれる。

 フランス人の薬剤師アントワース・パルマンティエがプロシアとの7年戦争時に捕虜となり、ジャガイモを食す機会を得、その効用を見抜き、帰国するなりルイ15世に栽培の奨励を進言、栽培への道を拓(ひら)く。

 1789年、フランス革命勃発。フランス国内は極度の食料難に陥り、ジャガイモはますます重要性を増し、フランス人の常食となった。

 1845年6月、ジャガイモの疫病(カビによる植物病)があっという間にヨーロッパ全域を冒し、翌1846年にはアイルランドを襲い、ついには、この地方のジャガイモは壊滅した。アイルランドでは100万人の死者を出し、100万人を超す人間が祖国を後に、イングランドやアメリカに逃避した。

(作者は以上のように、ジャガイモのカビによる毒性を強調するあまり、これとの対抗手段や手法、問題解決についてはなんの解説もない。また、ジャガイモの新芽に毒性があるとの話もあり、それについても触れていない)。

2.人類は多くの毒と触れ合いつつ長い歴史を歩んできた。おかげで、現代の我々は毒について膨大な知識を有している。

3.古代、人類が矢に塗った毒は土地によって異なり、東北アジアではトリカブト、東南アジアではイポー(アンチアリス)、アフリカではストロファンツス、南アフリカではクラーレなどなど。他にアカエイ、蛇、サソリ、昆虫など動物の毒も使われた。

4.世界が拡がり、食性が変化し、社会が変貌するにつれて、我々は新しい毒に出遭う。工学(産業)廃棄物も、その範疇に入る。我々が未だ知らざる毒も今後発見される可能性は十分にある。(シイタケの毒は未だに人をたぶらかしている)。

5.現代では、毒と薬の作用はいずれも「生物活性」という言葉で表現される。(毒がしばしば薬用として効果があるという、二律背反の性質をもつから)。

6.インド大麻にハシシュ(hashish)があるが、これがAssassin(暗殺者)、あるいはAssassination(暗殺)の語源であるという説が一般にゆきわたっている。Hashish は英語で Hemp という。インドでは、雌株の花の咲きはじめた草頂部が刻まれ、タバコに混ぜ、これが Marihuana(マリファナ)になる。もともと、ポルトガル語の Mariquango(中毒)に語源の由来がある。

7.マリファナの精神作用は個人的な性格やその人の教養、環境、雰囲気あるいは期待感などによって大きな影響を受け、あるときは多幸感を、あるときは不安感や恐怖感に苛まれもする。暗示にかかりやすくなり、狂信に陥りやすくもなる。

 一体に、感覚は鋭敏になり、視覚は敏感になって、色彩が鮮明となり、残像は延長する。形に歪みが出て、壁のシミが顔に見えたり、雲が神に見えたりする。

 大量摂取では、幻覚を生じ、音を視覚的に感じ、音楽が絵になって見えたり、考えていることが形になって出現したりする。また、身体が宙に浮いたり、手足が縮んだり、ばらばらになったような感じを持ったりする。

8.インド大麻は内服するより喫煙する方が3倍も強い効力を持つ。有効成分の50%が煙と一緒に体内に入る。大昔のスキタイ人が大麻を赤く焼けた石の上で加熱し、その蒸し風呂に入って酔ったというギリシャのヘロドトスの記述のみならず、マリファナが喫煙の形でもちいられてきたことは現代の知見にも理屈にも合致している。

 スキタイをはじめ、中近東からインド、東地中海海域、北アフリカなどでは、インド大麻が麻薬的な使われ方をしたとの歴史的な記録があるのに比べ、東アジア、中国、日本にはそのような記録は残っていない。

 ただ、「甲子夜話」(かっしよわ)には「麻の初生の芽を食せば発狂す」との記述があるが、その作用を積極的に利用したという記録はない。

9.マリファナ(THC)の毒性は強くなく、また、常用者が喫煙摂取を中止しても禁断症状を示すこともないし、習慣性もないのは事実で、その意味では、ヘロインやヒロポンとは違っている。とはいえ、THC の作用についてはまだまだ不明なところが少なくないため即断は許されない。

10.フグは漢字で「河豚」と書くが、これは中国では海ではなく、揚子江でフグが獲れ、この漢字がそのまま日本に伝わったらしい。日本の貝塚からはフグの骨が発見され、かなりむかしからフグが食されていたことが判る。「山海経」(中国の地理書)からもフグが猛毒の持ち主であることも同時に判っていたらしいことが理解されている。

 フグには19種あり、13種が食用にされている。毒性が強い部分はだいたい肝臓と卵巣で、一般に肉は無毒だが、例外は「ドクサバフグ」で、この種は肉に強い毒性を有する。毒の強さや毒をもつ部分が種類によって異なるし、同一種でも個体差が認められている。また、産卵の時期に毒が強まるが、この時期のフグが最も美味というのも皮肉な事実。ちなみに、最も日本人に食されているトラフグは1月が最も強い毒をもつ産卵期である。

 フグの毒は昭和27年に日本の津田恭介博士により大量分離法の開発があり、テトロドトキシンという化合物であることが判ったが、このトキシンはそれまでに経験した自然の化合物とは全く違った性質を示し、構造の解明は困難をきわめた。最終的には、昭和39年、京都での天然物化学国際会議で化合物の構造が明確になった。

 むかしはナスがフグの毒を消すといわれ、しばしば用いられた。アルカリによるトキシンの分解、硫黄を含むアミノ酸のシステインの注射による解毒などの研究があるが、いずれも決定打とはなっていない。

 テトロキシンはフグだけでなく最近10年間にツムギルゼ(コスタリカの三種のカエルの皮膚)、ヒョウモンダコの後部唾液腺などから次々に分離され、トキシンがフグだけのものでないことが判ってきた。フグ毒テトロキシンは食物連鎖により、有毒のプランクトンを貝が食い、貝を見つけたフグやヒョウモンダコが貝を食いというふうに伝わり、フグやヒョウモンダコの卵巣や肝臓に貯めこまれたものかも知れない。

 一方、養殖されたフグに毒性が弱いという事実は、将来、養殖の継続によって無毒のフグがつくりだせる可能性もある。

(海中生物の毒については以上のように、フグとヒョウモンダコについてだけ解説されていて、カツオノエボシ、オニヒトデ、海蛇、芋貝の数種(アンボイナ、タガヤサンミナシなど)、カサゴ、エイ、クラゲ(オーストラリアのキロネックスは世界最高の毒性をもつクラゲとして知られる)、一般的なニラ(海中生物)など色々な毒性を含む生物が現実に生息するが、それらについては触れられていない)。

11.欧州の有毒植物に「ベラドンナ」というナス科の植物があり、紫色の釣鐘型をした可愛いらしい花を夏に咲かせる。ベラドンナは「美しき婦人」との意味だが、語源の由来は中世のヨーロッパ貴婦人たちがこの植物のしぼり汁を眼にさして瞳をぱっちりと大きく見せるために用いたという歴史がある。アトロピンには副交感神経を抑制する作用があり、瞳孔が散大するために括約筋が弛緩し、眼球が大きく見える現象。

12.江戸時代、欧米に先がけて全身麻酔による外科手術を行なったのは華岡青洲(はなおかせいしゅう=1760-1835)。世界で初めて乳癌の手術を行なったのも青洲で、用いられた麻酔薬は「通仙散」(つうせんさん)、主薬は曼荼羅華と附子(ぶし)。前者はチョウセンアサガオの葉、後者はトリカブトの根。

 青洲の弟子、本間玄調(1804-1872)は長崎でシーボルトに会った後、シーボルトの医師としての能力は青洲を超えるものではないと明言している。

13.富士川遊博士の「日本免疫学」によると、コレラが日本に初めて上陸したのは1822年、九州から侵入して関西地方に進み、京都、大阪を襲ったとある。蘭方医、大槻玄沢、佐々木仲沢らは、ときのオランダ使節であるブロムホフからもらった書物によってコレラを知った。羅病すると、悪寒が全身に走り、烈しく嘔吐、胸苦しく、羅病後三日で死に至る経過から、これを「三日コロリ」と呼んで恐れた。

 コレラはインド、ガンジス河流域にあった地方病で、1817年以前に、この病気がインドから出た形跡はない。1817年にイギリスの艦船乗組員によって外国に運ばれ、世界的流行をみた。日本へは九州の長崎から入った可能性が高いが、一方で、インドから北進、中国、朝鮮半島を経て侵入という経路も否定できない。

 オランダ使節に確認したところ、オランダ人はジャワのバタビア(現ジャカルタ)でコレラが流行し、オランダ人も原住民も多数が死んだという。

 ペリー来航後、日本はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスなどと相次いで通商条約を結んだが、1858年に長崎に入港したアメリカの蒸気船ミシシッピー号のクルーと出島の住民のなかにコレラにかかる者が続出し、この第二次流行は広い地域にわたって患者が発生、江戸、奥羽まで猛威を奮い、50日間で3万人が死亡、3年間で10万人以上が死亡したとの記録が残っている。

 このとき、江戸幕府の勝海舟は外国には「カランテーレン」(英語ではクォランティーン)といって国外からの病気の侵入を防ぐための検疫所が設けられていることを学んでいたが、学んでいただけではなんの効力もなく、当時これだけの被害を出した裏には患者を隔離するという思想がなかったという事情もある。

 コレラ菌の発見は1866年、23歳のロベルト・コッホがエムミー・フラーツと結婚し、東プロシアの片田舎で開業、なんの変哲もない生活に退屈、27歳の誕生日に妻のエムミーがコッホに顕微鏡を贈ったが、このことが彼を「微生物の狩人」とか、「微生物に関する世界的権威」へと導くことになる。

 まず、家畜が炭素病で死ぬことに着目し、病気にかかった家畜からの試料には小さな棒状の微生物が発見され、それが炭素病の原因であることを確認。1880年、コッホはベルリンに呼ばれ、病原菌の微生物の研究に専念することとなった。そして、ドイツの錚々たる学者の前で結核菌の発見を発表し、実質的に「世界で最高の権威」と呼ばれるようになる。

(もっと早く調査が完了していれば、アメリカ南北大陸、オーストラリア、アフリカ大陸の植民地住民をあれほど大量に羅患死させずにすんでであろうに)。

 そのころ、アジアで突発したコレラの流行がエジプトに侵入し、アレキサンドリアで死者が続出、コッホがエジプトに出向いたときはすでに下火になりつつあり、エジプトで採取したコンマ型をした奇妙な細菌の標本だけ持ちかえり、帰国するなり、インドへの派遣を申し出た。インドでの調査で、アレキサンドリアで捕えたコンマ型の菌が同様に存在することを把握、「予防はコレラ菌の生息するような不潔な環境をなくすことによって可能」と主張。1884年に帰国したが、衛生学のマックス・ペッテンコーフェルに真っ向から反対されるも、コレラの菌の発見自体を損なうものではなかった。

 コレラには抗原の相違によって、日本では稲葉型、小川型、彦島型と三種が医学界に発表されているが、倦怠感、四肢のだるさ、不快、下痢、発熱、脈微弱、胃痛、嘔吐が続く。下痢は米のとぎ汁のように濁り、ときに血便も混じり、致命的な結果となり得る。

 (これがコレラ菌の確実な補足を意味しているのか疑問。1994年に起こったバリ島コレラは、これにかかるのは日本人観光客ばかりで、他のどこの観光客も現地に居住する日本人もかかっていない。現地人が「腹痛プラス下痢」という現地特有の病気で数日で治ってしまう病気をコレラと勘違いしているのではないかと指摘、日本医療関係者への不審が渦巻いた。オーストラリア医師団もバリ島にやってきて、コレラ菌の有無を調査したが、結局失敗に終わっている。当時、日本の新聞によると500人前後がかかったらしいが、法廷伝染病だというのに、一人も死亡していない不思議なコレラ菌だった)。

14.タリウムはアルミニウムの合金。1861年にイギリスのクルーキスとラミーによって硫酸工場泥濘のなかに発見され、緑色を呈するところから、ギリシャ語のタツノコスにちなんでタリウムと名づけられた。空気に触れるとすぐ酸化して灰色になる。毒性は強いので、ネズミや虫を殺すのに利用された。タリウムの中毒症状の特徴は主として神経系の障害を惹起、多発性神経炎、視神経障害、失明もあり得る。食欲減退、体重減少、運動に不自由をきたし、痙攣を起こし、脱毛することが多い。

15.亜鉛の欠乏は皮膚を変質させ、脱毛症状を生ずる。1日の必要量は10-15ミリグラム。鋼板を亜鉛でメッキしたものをトタンと呼び、錫でメッキしたものをブリキと呼ぶ。

16.現在、白粉には亜鉛華や二酸化チタンが使われるが、むかしは鉛白が使われた。鉛白は白鉛鉱として産出し、すでに紀元前4,000年ころ、エジプトで装飾用顔料として用いられていた。が、鉛白の使用は中毒を起こし、厚化粧する歌舞伎役者や遊女たちを冒し、ときに授乳する母親の白粉が乳幼児まで中毒症状を起こさせ問題となった。鉛は主として血管系への強い毒性を持っている。

 インドのボンベイや西欧では、鉛管水道から発見され、水道水中毒がしばしば発生している。(中国は鉛製のミニカーを外国に輸出、幼児がこれを舐めるために、被害が続出、中国製品への信頼感に傷つけた)。

17.ザクロは、果実は淡紅色をした美しい種が可食部分。インド、イラクが原産地。幹や根の部分を石榴皮と呼び、漢方薬として条虫(サナダムシ)駆除に使う。果皮はタンニンを含有し、下痢止めになる。

18.明治34年にアドレナリンを結晶化したのは日本の高峰博士で、エクエドリンはまた側鎖にある水酸基(OH)ひとつ取り除くだけでメタンフェタミンに変換される。この化合物はメチル基の少ないアンフェタミンとともに白い粉の恐怖として世間を騒がせている覚醒剤、薬のなかの悪の親玉。交感神経興奮作用より、むしろ精神興奮作用が挙げられる。カフェインより少量で効果をもつ。眠気、疲労感を除去し、多幸感をもたらし、精神発揚につられて耽溺(たんでき)し、中毒を起こす。また、精神分裂症状も惹起、幻覚をみる。凶暴、妄想、人格欠損が特徴。いちどきに大量に摂取すると、急性中毒症状として眩暈(めまい)、震え、不眠、幻覚、錯乱を生ずる。

19.タバコに関して:
 イギリス、ジェームス1世がスチュアート朝(1603-1649)を開くと同時に国教制度の改革を推し進め、「煙草排撃論」を展開、それまで伝えられたタバコの薬効論を真っ向から否定し、目に忌まわしく、鼻にいらやしく、脳に有害で、肺に危険があり、吸いすぎれば死に至ることさえある毒なのだと指摘、こきおろした。

 コロンブスは中央アメリカのサン・サルバドル島に達し、ここの原住民からタバコを得たらしい。スペインに持ち帰られたタバコはポルトガル、フランス、イギリスに伝わった。16世紀半ばころには西欧の全域で栽培が始まっている。

 タバコは元々、アメリカインディアンにとって一種の霊薬。これによって万病を治した。水兵らは咳、喘息、頭痛、胃痙攣、痛風に効能があるといってヨーロッパにタバコを広めた。

 17世紀のはじめ、トルコ皇帝ムラード4世はタバコを吸った者を片っ端から死刑に処し、残忍王と呼ばれた。同じころ、ロシアのロマノフ朝のアレクセイ・ミハイロヴィッチも、父ミハイル皇帝、祖父総主教に倣って、喫煙禁止令を発し、違反者はシベリアへ追放、鞭打ちの刑などを用い厳罰に処した。

 タバコはこれを喫煙せず、20本ほどをいっぺんに食べてしまえば、致死量となる。筋力弛緩を生じ、横隔膜、呼吸筋の麻痺を起こすことにより呼吸障害から死を招来する。

20.砒素は原子量74.9216の窒素族半金属であり、砒素金属自体に毒性はないが、三価と五価の砒素化合物は毒性をもち、とくに亜砒酸の毒性はかなり強い。硫砒鉄鉱を砕いて粉状にし、水でこねて団鉱をつくって焼くと、無水亜砒酸が白煙状に昇華してくるので、これを冷やして集めると、白い粉末状になる。

 この化合物は無味、無臭、温水によく溶け、猛毒である。大量では、胃の激痛、嘔吐、猛烈な下痢を起こして死ぬ。

(完全犯罪を目論み、砒素を長期にわたり少しずつ摂取させて殺害するという犯罪も少なくない)。

 古代ローマ時代、薬学の祖といわれるディオスコリデス(紀元40-90年)の「ギリシャ本草」には「雄黄」との記載あり。東洋でも、西暦1世紀には「雄黄」が五毒の一つとして登場している。「雄黄」は砒素を指す。

 16-18世紀にかけて、砒素は毒薬の王様。ナポレオンもセントヘレナ島で砒素により毒殺されたという説が遺髪を調べることで証明されたが、これに反対の意見を口にする学者は今日でも存在する。

21.コカインはアンデスの西の急斜面を登り、巨大な山脈を越えた東部アンデスのアマゾン側の湿地帯に自生していたもので、原住民はここからコカの葉を採取、遠い道のりを徒歩で運んだ。原住民はコカの葉を噛むことによって疲れを癒し、飢えを忘れ、勇気を得ていたという。

 コカ・コーラの前身はコカの葉とコーラ子(し)のエキスを混ぜた飲料だった。コカイン中毒の恐ろしさに気づいた米政府が企業に対し、コカの葉をエキスに使うことをやめるよう勧告、以後、コカは使われていない。

 中世、イタリアのコルシカ生まれのアンジェロ・マリアーニがつくったコカワインを愛飲する習慣が欧州のほぼ全域にあった。愛飲者には「ジキル博士とハイド氏」を1886年に書いたロバート・スティーヴンスン、「シャーロック・ホームズ」を書いたコナン・ドイル(1859-1930)などがいた。

 コカインは大量に摂取すると、毒は急速に効果を表す。失神、呼吸不全、心機能障害を惹起して死ぬ。また、局所麻酔に効用のあることは、精神分析医のジグムント・フロイト(1856-1939)によって発見されている。

 コカインには習慣性も依存性もある。コカインはかつては医薬に用いられたことはあるにせよ、毒性が強いことから現在ではコカインに代わってプロカイン(ノボカイン)やクドカイン(キシロカイン)がコカインの部分構造をヒントに合成され、局所麻酔に使われている。効力はコカインにほぼ匹敵しながらも、毒性は4分の1以下に抑えられているし、依存症も生じない。

 コカイン中毒者はアメリカの中高年者に多い。

22.笑い茸:「食用菌および有害菌」(1931年出版)の作者、川村清一博士によれば、石川県羽咋郡(はくいぐん)の夫婦が笑い茸と知らずに食したところ、二人とも、ときならず、酩酊状態を呈し、怒ったり、笑ったり、歌ったりはじめ、女房は羞恥心も忘れ、丸裸になって踊りだし、二人ともに狂態を尽くした。医師の診断では、命に別状はなく、脈拍は正常、腹痛も吐き気もなく、体温も平常、深夜に入って昏睡状態となり、沈静、翌朝の目覚めの気分は二日酔いに酷似と報告された。

23.メキシコのインディアン部落では「テオナナカトル」と称するキノコがあり、これはシビレタケ属、モエギタケ属、オキナタケ科のキコガサタケ属、ヒトヨタケ科のクライタケ属など何種類かのキノコの混成物で、研究者により成分としてシロシビンとシロシンが分離されている。

 症状は漆黒の闇のなかでも幻影を見、色彩の深淵に沈潜したような感じになり、あたかも四次元の世界に入ったような遊離感を覚える。

24.ベニテングダケはヨーロッパのラップランド、カムチャッカのコリヤークなどでは宗教儀式に使っていたらしい。水、果汁、ミルクなどに混ぜ、酒の代わりに飲んだらしい。シベリアではウォッカの酔いを深めるのに使う。毒性は弱く、いちどきに摂取しない限り死ぬことはない。蝿取りに使われるところから、英語では Fly Agaric という。

 キノコには変わった種類が多く、それぞれ個性的な特徴を持っている。

24.青酸カリは無色の結晶で、湿気を吸うと溶解する。水溶液は強アルカリ性を示す。青酸カリや青酸ナトリウムは金や銀の塩と可溶性の錯塩をつくるので、金、銀の冶金に使われたり、湿式写真の定着、電気メッキに使われる。

 ほとんどの動物は、200-300ppm(1リットルの空気中に0.2-0.3ミリグラム)の青酸が含まれている空気中では瞬間的に死に至る。

 人に対する致死量は60ミリグラム程度だが、青酸カリだと、150から300ミリグラムとなり、1グラムであれば個人差はなく、すべての人間を死に至らしめる。

 症状は頭痛、眩暈(めまい)、胸苦しさ、動機激しく、頻呼吸となり、喉をしめつけられる感じを受け、呼吸困難に陥り、不整脈が出、脈拍が小さくなる。そして、痙攣が始まり、麻痺を経て、意識不明となり、呼吸停止、仮死状態のまま全身麻痺、脈拍停止して死に至る。

 青酸は体内のフェリチトクロームオキシターゼの活性を抑えてしまい、ために体内呼吸が阻害され、とくに脳と心筋において阻害反応が鋭敏。

 青酸カリ、青酸ナトリウムはいずれも空気中に長時間にわたり放置すると、潮解現象を起こし、空気中の二酸化炭素と反応して炭酸塩に変化、無毒化する。

 青酸の毒は古代エジプトで用いられた形跡があり、砕いた桃仁(とうじん=桃の実の核種)の抽出液を宗教上の罪人の処刑に利用したと伝えられる。青酸は桃のみならず、杏、梅、バラ科の植物の果実の核種に含まれている。

 青酸カリと青酸ナトリウムが頻繁に使われるようになったのは近代で、工業的に大量生産されてからである。日本の犯罪史を見ても、青酸が使われるようになったのは昭和に入って以降。

 稲科のモロコシ、サトウキビ、ススキ、牧草に使うジョンスングラス、スーダングラスなどには、いずれも乾燥葉の0.03-0.1パーセントの青酸が化合物「ドゥーリン」の形で含有されている。現在では、1000種以上の植物に生産配糖体を含有することが知られているが、うち50種についてはすでに化学的証明がなされている。

25.珍しいものに「ビーシュ」がある。インドにしか自生しない植物で、致死の毒物である。人が食べれば、たちどころに死んでしまうが、不思議なことに、ビーシュ鼠という動物だけはこれを食しても死ぬことはおろか、なんの害も受けない。

26.毒消しについて:
 ある種のテングダケやアセタケ、カヤタケなどの毒キノコ中毒はムスカリンと呼ばれる成分によるもので、血圧が急速に低下し、発汗が激しく、涙、涎をしきりに流し、呼吸が急迫する。これらの症状は明らかにムスカリンによる副交感神経の興奮によるもの。したがって、この場合には、副交感神経を抑制する働きをもつアトロピンを注射すれば、中毒症状はたちどころに消えてしまう。

 アトロピンはチョウセンアサガオやヒヨス、ベラドンナなどに成分があるから、これらの植物を誤って食べた場合の中毒には、逆にムスカリン様の作用をもったネオスチグミン(アフリカ産のカラバル豆に含まれる成分フィゾスチグミンをもとに合成)を注射してやればよいことになる。

 カラバル豆は毒性が強い。主成分フィゾスチグミンの毒性は体重1キログラムあたり0.02-0.15ミリグラムを静脈に注射するだけで一匹の犬を殺してしまうほどである。この猛毒が薬理的には反対の作用を示すアトロピンやクラーレ、ストリキニーネなどによる中毒に対して解毒作用を示すのは、まさに、「毒をもって毒を制す」の言葉通りといえる。

 毒について、これだけ勉強したのは初めてのことだった。本書には、まだまだ他の毒についての記述があるが、これ以上書き続けるとエンドレスになりそうなので、このあたりで本ブログは終了とする。


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