江戸川柳・花秘めやかなれど/蕣露庵主人著

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江戸川柳・花秘めやかなれど

「江戸川柳・花秘めやかなれど」 蕣露庵主人著
帯広告:江戸のエロスを現代に蘇らせた画期的なバレ句集成
三樹書房  2003年10月初版

 エロチックで艶笑的な川柳を「破礼句」(ばれく)と称したらしいが、江戸時代の主に男たちの好色度が赤裸々に伝わってきはするが、本書一冊すべて、そうしたエロチックな内容の川柳が並び、段々に辟易してくる。

 以下は、脳裏に残った部分だけを列記する。
 (  )内は私の個人的な意見。

1.「気もやった あとで未来の 恐ろしさ」(という句には同感。「気をやる」とは当時の言葉で「頂点に達する」「射精する」という意味であり、たとえば未通女(おぼこ)をやってしまって、当時ならば、その責任を感じ、恐ろしくなるという気持ちはよく理解できる。また、この句は他の句と異なり、エロチックな印象がないところが悪くない。

 
2.現代句で、加賀千代の「罪深し、女の帯の 暑さかな」という句がある。女は秘所が興奮して、しとどに濡れているくせに、男と違って、その事実が外見に表れず、陰険で罪深いとの意味らしいが、加賀千代にこういう句があったことは知らなかった。

 
3.女が情を催して出す愛液はまず初めがバルトリン腺液、次いで膣壁から染み出る半透明な膣液、クライマックスに達したときには白濁した子宮頸管液がある。

 (これには異論あり。白濁した子宮頸管液は、ほかの愛液が酸で満たされているのと異なり、カリウムであって、一回程度頂点を極めて出る液体ではなく、最低でも、二三度のクライマックス後にしか出てこない。かつて本ブログに紹介した「ヴァギナ」でも、これが出てくるまで男は三度相手がいくまで我慢するのがよく、カリウム質の液体は形の整った、自己の欠陥を補ってくれる精子を選択して包みこみ、子宮内に送り込むのだとの解説があり科学的である)。

 
4.「機織は遠道よりはよく濡れる」「指先で名所を探す開行脚」(の二句はまずまずの句。一句目は機を織る運動は遠い道を散歩するより、女性器をよく濡らすとの意味であり、二句目は男が指先で女性の秘所を探すのを行脚という言葉を使ってしゃれている。「開」とは「ぼぼ」と読み女性器のこと)。

 
5.男も興奮すると勃起した性器の先からお先走りの水が出る。これを当時は「涙ぐむ」と表した。クーパー腺液と呼ばれるもので潤滑油としての働きがある。

 
6.江戸時代にはクリニングスについては稀に出てくるが、フェラチオについてはほとんど出てこない。クリニングスする男も「どすけべ」とされた。明治時代に入ってからしばらくして、「女閨訓」が出版され、月経などで本番が不可能な場合「股間性交」「肛門性交」「口取り」(フェラチオ)を行い、夫の欲望を受け入れるのが女の心得べき技法として奨励され、かつ普及する。

 
7.女のよがり声を当時は「嬌声」「魏声」「淫声」「騒声」「叫声」「叫春」などと称した。

 
8.女を交合で喜ばすためには男は一回の射精で終わってはだめで、2,3回は続けて行ったほうがいい。

 (2、3回継続して射精することは男にとって、若い頃を別にして、大変というより不可能であり、作者がいくら精力絶倫だとしても、こういう考えを正当化するのは不当。なにも、いちいち射精しなくても、女をアクメに達してやる手法はいくらもあり、2、3回といわず、10回でも20回でも頂点をきわめさせることは可能。絶倫を誇る男は何度も射精できることを誇るあまり、技巧的な面で稚拙)。

 
9.女上位を「茶臼」といった。(現代、相撲をとる関取衆は茶臼以外の体位はとれないだろう)。

 
10.色の道の奥義として、交接には、仰ぐ、伏せる、座す、立つ、側臥する、背後からの7つの好みありと書かれている。

 
11.畳に座居する生活をしている日本人の女には上付きが多く、椅子やベッドでの生活をする西欧人には下付きが多い。

 (西欧では十字軍を何度も中近東に送っているが、兵士が女に飢え、仕方なく羊をバックから攻めて射精する癖がつき、西欧の女の膣は段々に下付きが多くなったとの説もある)。

 
12.江戸の男は上付きを好み、「極上は臍(へそ)を去ること遠からず」と、女性器と臍の位置が近いのがよいとの句を残している。

 
13.俗にいう「蛸壷(当時は「たこびつ」と発音)は男根への密着度が強く、くわえ込まれる感じ。

 
14.「数の子天井」とは、膣内の襞が幾重にも重なっている名器。さらに、膣の内壁が輪を描いたような襞をつくり、交合時にみみずが無数にうごめくように扇動して男性性器に刺激を与える女性器を「みみず千疋」といい、珍重された。

 
15.クリトリスのことを江戸時代には「吉舌」「雛先」「玉舌」「紅舌」「塊舌」と呼ばれていたが、明治期に入って「陰核」「陰廷」と呼ばれるようになった。

 
16.当時は毛じらみが多く、陰毛に発生することがあり、線香の火で陰毛を一本ずつ焼き去ったという。

 
17.女性の陰毛が男性器にからまって傷つけることがあるが、江戸期、銭湯では「毛切れ石」を用意し、客は二つの石で陰毛をこすり切って短くした。

 
18.後背からの性交を「ひよどり超え」と、義経の「ひよどり超えの逆落とし」から名づけたり、「搦手(からめて)」と言った。

 
19.「張形(はりがた)」は女性用自慰の道具で、男性器を模して作られ、根元に紐がつき、一人の女性が男役となって、それを恥骨のあたりにつけ、紐で腰を縛り、相手の膣に先端から挿入、相手が頂点を極めると、交代して同じやり方を繰り返したが、この道具を主に使ったのは大奥の女や孤閨に悩む寡婦などだった。「張形」には「互形」というものがあり、張形が二つ角度をつけて作られ、二人の女が挿入しあって、頂点を求める式のものだった。

 
 本書で知る限り、当時のセックスは稚拙で、愛撫についての詳細が語られず、女体の感度のありどころや個々人の差異についても触れてはいず、また、杉浦日名子さんの書いた江戸の風俗からは、一部の金持ちや武家が妾を置く習慣があったため、多くの若者が女に飢えていたため、夜這いや人の女房に迫ったりする社会的事情があったとされるが、それらについても明らかにされていず、「花秘めやかなれど」というタイトルに魅了された愚かさを痛感するばかりで、自己嫌悪に陥った。

 内容は、ただの「エロ川柳」との印象が強い。

 

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