沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男/キン・シオタニ著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男」
キン・シオタニ(1969年生/イラストレーター)著
2005年7月10日 集英社より初版 単行本
¥1400+税

 

 本書を入手したのは、あくまでもタイトルの異常なイメージに惹かれたためで、内容に関しては全く予測を超えていた。

 帯広告には、「25歳のキンは吉祥寺の路上で絵や絵葉書のゲリラ売りをし、夏は南へあてどもなく放浪する、夜行列車、野宿、ヒッチハイク、貧乏旅行だからこその出会い。絵を描く詩人、キン・シオタニ初の実話的物語」とある。

 正直に感想を言えば、文も構成も軽い印象、それだけに誰もが気軽く読める内容になってはいる。かねてから、バックパッカー旅行に憧れ、国内外を貧乏旅行する若年層が増えているが、最近は世界的恐慌の影響があり、どこに足を向けても、治安は悪化している。

 本書の作者はあくまで国内におけるヒッチハイクに徹し、沖縄の石垣島を含めた八重山諸島の一島、竹富島の雰囲気に感動、そこで海の水をペットボトルに詰め、北海道の宗谷岬まで運んで、東シナ海の海水をオホーツクの海に流し込むという発想を得て、本書の構成へのメドが立ち、結実したと推測する。

 イラストレーターらしく、本書のかなりのページを使って絵を描いているが、この種の絵に対する嗜好は各人各様だから、喜ぶ人もいるだろうし、邪魔だと感じる人もいるだろう。私は邪魔に感じたほうである。

 作者は「観光で生計を得たいがために、わざとらしく昔の街並みを残している観光地は好きになれない」と言っているが、作者がお気に召した竹富島ほど観光地として成功するために、意図的に昔の面影を現代に残すべく住民すべてが赤瓦の屋根に一対のシーサー揃えるという努力をした結果、現状のような、他県から来た人に喜んでもらえる風景が目論みどおり完成したことを知らなかったのであろうか。

 稚内を「国境の街」という言葉に、私は抵抗を感ずるし、納得もいかない。国境の街というからには、国境を接しているか、あるいは海を隔てていても遠距離ではないという条件が欠けていると、国境という言葉が似合わないように私は思う。だから、私の脳裏には日本に国境の街などというものはない。沖縄の与那国島からだっておよそ200キロといわれる台湾が見えるときもあるが、「日本最西端の島」といい「国境の島」などとは言っていない。

 私が作者だったら、竹富島の海水ではなく、竹富島のビーチの白砂を小瓶に詰め、それをもって宗谷岬に行き、付近のビーチにでも撒くという発想をしたであろう。私の知己に世界中のビーチの砂を集めている男性がいて、それぞれに採取年月日と採取場所の名前が入っていて、見事なコレクションになっているが、当然ながら、奥さんも子供もそれを評価しなかった。

 この作者の発言のなかで納得させられたのは、大抵の場合、「人は見かけによるもの」だが、ごく稀に「人は見かけによらない場合がある」との言葉。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ