無名/沢木耕太郎著

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無名

「無名」 沢木耕太郎著  幻冬舎文庫
2003年に単行本初出 2006年8月文庫化初版

 

 入退院をくりかえしていた89歳になる父親の、さいごは自宅でその時を迎えたいとの希望に添い、家族の総意も得たうえで、自宅で臨終を看取るという内容だが、父親と長男である作者との「父と男の子」の関係についての在りかた、距離感、間合い、双方の心構えといったものが軸となっている。

 酒と本さえあれば倖せだったという父親の子を見る目の優しさと、子である作者の澄明な、透徹した目で凝視する心情、作家としての哲学的な観察が拮抗する形が、この作家らしい作品に昇華している。

 私自身も例外ではなかったが、一般的には「一家に帝王は一人で足りる」という感覚があり、男の子の成長とともに父子間に相克、葛藤が始まり、家庭内に一種の変容が起こるのが普遍的だと思っていたのだが、本書を読むことで自分が通念としてもっていた考えがものの見事に履(くつが)えされた。こうした「父と子の関係」を「新しいタイプ」と、解説者は指摘するが、私はむしろ「珍奇なタイプ」という表現に固執したくなった。

 本書に格別に惹かれたのは、私自身が5人男ばかりの長男として育ち、父親が48歳の若さで胃癌で逝去したとき、私はまだ23歳だったが、私がまだ高校生で18歳のころ、私の友人の一人に当時流行していた裕次郎の髪型や服装を真似ていた男がいて、一見した父が「あいつは不良だな」といったのに対し、即座に「人の好みはいろいろだよ。ごちゃごちゃいわないでくれ」と反発して以来、父は私に対し命令口調をやめ、大人として扱うようになったという経緯があり、その場面が昨日のことのように思い出される。

 筋トレに明け暮れていた当時、たとえ殴り合いの喧嘩になっても負けないという自信がそういう厳しい言句を私に吐かせたのは明らかだった。

 また、父が病院で亡くなったとき、著者がそうであったように、泣きがらヒゲを剃ったのも私であり、兄弟の末っ子が病院で泣きべそをかくのを見て、「人前で泣くな」と一喝したものの、遺体を自宅に運んだあと、兄弟のそれぞれが別の空間で慟哭したことも知っている。なにせ、私が社会人の一年生、二番目が大学生、三番目が高校生、四番目が中学生、五番目が小学生という家庭であり、父としては死ぬに死にきれなかったという心情が黙っていても伝わってきて、これからの生活苦と悲惨とを思えば、かえって人の前では泣けなかったというより泣いてはいけなかったのであり、そうした心境が家族全員に以心伝心で、共有できていたからだろう。亡くなった父は生命保険にすら入っていず、母はおそらく茫然自失しただろうし、家族には絶望的な前途しか見えなかった。それでも、私は兄弟全員に大学まで行くことを勧め、アルバイトをしつつ、育英資金を借りつつでも、卒業までもっていったことを誇りとしている。

 父を失ったあと、作者は父が生前に凝っていた俳句を取捨選択して句集を自費出版するが、私自身にも俳句の才能がどの程度あるのか自己認識するために、まる一年を俳句づくりに専念した時期(一千句以上をつくった)があったので、季語の難しさや、類句に陥る危険など理解できる部分は少なくなかったが、残念ながら、自分に句作の能力が希薄であることを認める結果となった。当時、私は「旅俳句」と称した江國滋さんの本ばかり読んでいたから、いわば師匠に習って、「大乳房これみよがしのビキニかな」などとやっていたから、下手さ加減も判ろうというものだ。

 まったくの私見だが、俳句の名人に、いわゆる「平均的な社会人」や「いい人」はいないこと、必ずどこかに「ねじれ」や「他人との違いを強調したがる癖」や「平均的な生活を厭う性格」や「癒しがたい不遇」や「他人には到底いえない嗜好」「へそまがり」あるいは「ひねくれたものを持つ、ある意味では陰険な腹黒い部分」などがあり、それがバネとなって良句に結果すると思っている。小林一茶も芭蕉も基角も子規も高村光太郎も角川春樹も江國滋も寂聴も、富士真奈美も、そうした人たちの仲間であろうと信じている。もっとも、この範疇に属する人がみな名句をつくれるかというと、そういうものでもない。

 作者と父親のあいだには緊張感、憎悪、不快感、コンプレックスなど、そうした現世的ないやみな部分がなく、あるのは敬愛と畏怖であり、そうした、むしろ淡々とした関係のなかで、沢木耕太郎という作家の潔く、清々しいまでの文体や、心の構えが生まれたのだということを推測した。

 確かに、解説者が指摘しているように、同じ年代の他の作家(たとえば中上健次、村上春樹、高橋源一郎)より早い段階(1970年代)で、作品を発表し、出版されるという幸運を掴んではいる。

 初期の作品はスポーツに関するものが多く、解説者は「自分は沢木の良き読者ではない」とはっきり断っている。中上や高橋らは左傾化していたため当時の東大紛争や安保闘争からの精神的立ち直りに時間がかかり、作品を発表できるまで10年余を要したのに比べ、沢木にはそうした苦悩の時期を過ごすことはなかったからだという説明があり、それが私の心に引っかかった。解説を担当した加藤典洋という男がなにほどのものかは知らないが、いまノーベル賞候補に挙がっている村上春樹や、陰鬱なまでに人生を掘り下げる中上健次らを文学作品の作家として高く評価していることは理解できるが、沢木の作品が早く世に出た幸運への嫉妬を感じずにはいられなかった。だいたい安保闘争などに現(うつつ)を抜かした連中が阿呆なのだ。

 左傾化した連中に共通していたことは中途半端に利口だったために、マルクス理論にはまった輩であり、ユダヤ人の「ロジック」の陥穽に落ち込んだのだと私は思っている。いまとなれば、あの騒々しさも戦後の「一過の光景」でしかない。

 世の中には、私のように、「沢木が大好きだ」というファンがごまんといることは、まぎれもない事実であり、沢木を評価することに「文句あるか?」と喧嘩を売りたくなる。


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