父親/遠藤周作著

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書評:ためいき色のブックレビュー-父

  「父親」  遠藤周作(1923-1998)

  副題:愛する娘の不倫の恋/切なく暖かな家族愛を描く長篇

  1979年ー1980年まで連載

  1980年 講談社より単行本

  2009年6月30日 集英社より文庫化初版  ¥743+税

 1980年前後、つまりは30年前の日本社会における家庭と企業の状況がほとんどありのままに描かれている。企業で働く者たちの心理や家庭における親子のあり方が30年後の現代の若年層に受け容れられるかどうかは別にして、「人間の心」という点に絞れば、それほどの違和感や隔絶感はないのではないだろうか。ただ、内容的には今となっては、かなり平凡という印象も拭えない。

 「男親と娘の関係に基づく問題は古くて新しい問題であり、世代を超えて共通したものであることも事実で、身につまされた読者も僅かではないだろう」とは、解説者の言葉。

 30年前の父親の特徴は現代の父親よりも強権的で、家庭にあっては強者であり、男としての威信があったことは間違いない。

 「自分の考えだけが正しいと信じている者、自分の思想や行動は決して間違っていないと信じている者、そして、そのために周りへの影響や迷惑に気づかぬ者、そのために他人を不幸にしているのに、一向に無頓着な者、それを善魔という」との言葉が父親の口から発せられるが、「そう言うあなた自身が善魔だと考えたことはないんですか」と問いたくなる。なぜなら、誰だって、己が信ずるところが正しいと思って行動しているのだから。他人への迷惑や影響ばかりを思慮の中枢に置いていたら、あらゆる言動を控えなければいけなくなってしまう。

 本書の主人公である父親の娘は妻と二人の子のある別居中の男と不倫関係に陥るのだが、男は執拗に娘に言い寄り、結婚を迫り、ついには娘と軽井沢の別荘で二泊を共にするが、まともな男なら自分と妻との関係に決着をつけてから、そうした言動に出るのではないか。でないとしたら、こういう男は男の風上に置けないというだけでなく、やり口が卑劣で汚いと、私は思う。

 作者が紡んだ言葉のなかで、私の心を惹いたのは、「太平洋戦争で多くの若者が南の海に散っていったのは、日本人がエコノミック・アニマルになるためでも、物の豊かさや金銭だけを求めるのが倖せだという価値観を創造するためでもなかった」という下りで、この言葉が妙に胸の底に張りついてしまった。

 正直な感想だが、本書の文体にも文章にも、遠藤周作らしい繊細さや清冽さが欠けているだけでなく、読む者の心をぐさりと突き刺す、この作者らしい哀切な迫力にも欠けているように感じた。

 


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