猫だましい/河合隼雄著

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猫だましい

「猫だましい」 河合隼雄(1928年生)著
新潮文庫  2002年12月文庫化初版

 

 はっきり言って、本書の趣旨が不可解。

 猫に魂があるといっているのか、古今の猫を題材にした書籍を紹介してもらっても、とくに猫に関心を持つわけでない人にとっては、読み続ける意欲を失う。

 それを、エジプト文明にまで遡(さかのぼ)って、「猫の神」の説明をされても、純粋に考古学の話でない以上、興が乗ることもなく、かつ魅力的な本だという印象も希薄。

 作者が京都大学の理学部を卒業して、今や名誉教授、ユング派心理学者としては日本の第一人者であるという専門分野から推量しても、非科学的な「魂」の世界をそれらしく説明しようとしているのか、説明しようとしているのだとしたら、内容的に不十分であるばかりか、不可解な部分が多く、猫が好きな人物が猫が好きだから読むのならば、それなりの意味はあるのだろうが、「魂」という素材をどう料理するのかというアングルから読み進む読者には辛いものがある。

 冒頭に、「1メートルの棒を二つに断ち、片方の端が50センチから1メートルまでとすると、もう片方は0から幾らまでになるのだろう。不思議なことに、ここには名前がつけられない。こちらも50センチとすると、もとに戻すと50センチの点が二つもあって、おかしい。そこで49.5センチにすると、0.1センチが抜け落ちてしまう。このことは数学では連続体問題と呼ばれていることで、粒子をひっつけて全体をつくるのではなく、最初から全体としてある『連続体』というのは、なかなか明確に割り切って考えられない」とあり、続いて、「一本の線分を二つに切断するとき、それぞれの端に名前をつけて明確にすると、必ず抜け落ちる部分がある。

 このことを、人間存在という連続体に当てはめてみよう。それを『心』と『体』という明確な部分に分けた途端に、全体性を失ってしまい、その二つをくっつけてみても元には返らない。人間という全体存在を心と体に区分した途端に失われるもの、それを『たましい』と考えてみてはどうであろう。それは連続体の本質であるが、といって、だから「魂」だけを連続体のなかから取り出すことはできない」という解説がある。

 「魂」というものをどう理解するか、一つの考え方を示してはいるが、すくなくとも「魂」に触れる部分はここだけで、あとは猫の書籍紹介に移ってしまい、魂というものの存在に疑いをもち、人間にだけそれがあるかのような世間によくある説明に人間の不遜を感じ、TVでしばしば死んだ人を呼び出す形でのお話にうんざりしている人間には、説明があまりにも不十分というしかない。

 ついこのまえまで地上に40億といっていた人口が60年経ったら80億に近づいているという。人間が生まれ変わるとしたら、この数値的なギャップをどう説明するのかと疑問を呈したことがある。むかしは、十歳までに死んだ数が多かったから、他の生物になってた人もいたから、昆虫は何十万種もいるし、などという言い訳が聞こえてきそうだが、なぜ人間は自分たちだけが地球上で特別の生物だと考えるのか、考えたいのか、よくわからない。

 正直いって、不可解な本だった。


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