玄そう三蔵シルクロードを行く/前田耕作著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 「玄そう三蔵シルクロードを行く」 前田耕作(1933年生/和光大学名誉教授)

 帯広告:時の彼方に失われた遥かな地平への旅

 2010年4月20日 岩波書店より新書初版 ¥760+税

 読了するまで時間がかかり、途中で何度か音をあげた。

 本書に示される土地名が漢音で当て字された文字のために、素直に頭に入ってこないことの上に、カタカナで表示される土地名も僅かな例外を除き、ほとんど接したことがないため、親しみがもてないことがある。

 本書は西遊記で有名な三蔵法師が仏教を学ぶために、(隋の時代が終わった西暦630年前後)、多くの艱難(かんなん)を覚悟のうえ、現在の中国西部(トルファン、高昌王城、パミール、天山山脈)からアフガニスタン、ホルムズ、タシュケント(突厥)、サマルカンド、トルクメニスタン、バーミヤン、ジェララバード、ガンダーラへと旅を続け、17年後に帰国するまでの旅の様子を書いたもの。

 三蔵法師が書き残した「大唐西域記」をベースとしつつ、主に欧州からの探検家が書いた資料、記録を併せ参考として、シルクロードをどのように動いたか、何を見たか、誰に会ったかなどを克明に追う著作。

 著者は「三蔵法師が後世シルクロードと呼ばれる道を誰よりも速く、誰よりも長い時間をかけ、誰よりも広大な空間を歩き通すことのできたのは、アジアとアラビア世界で生まれつつあった新世界への胎動と共振するものが心のうちに醸成されていたからだろう」と言っている。

 7世紀は都であった長安にやって来る異人が増え、西方の国からの情報が伝聞され、その一方で、隋が滅亡後、新しい国づくりが進む中、仏教界も世界の改造と連動して鬱勃(うつぼつ)とした変革の時期を迎えていた。西暦627年にはササン朝ペルシャでムハンマドが周辺を征服、イスラームが台頭してきたことも情報として伝わっていた可能性が高い。

 三蔵法師は梵語(ぼんご)を学び、国からの許可を得ずに旅立つ。

 三蔵法師はその博学ぶりが先々で知れ渡り、評価され、結果的に赴く先々で歓待を受けるという幸運にも浴した。滞在地は当時仏教を信仰する土地であり、それぞれの土地でかなりの日数を過ごしたため、言葉を覚える機会ともなって、以後の旅にも帰国後の仏典翻訳にも役立つこととなった。

 バーミヤンの壁に彫られた仏像はTVで見たし、破壊されるところも見たが、1400年前に三蔵法師はおそらく完璧な姿での仏像を目にしたであろう。

 三蔵法師は帰国後何年もかけ膨大な量の経典を翻訳した。(国の許可を得ずに海外に出たことは出国したことの理由とあわせ、持ち帰った数々の経典の翻訳をすることで許された)。

 本書は読み通すのに難がありはするが、この地域に関心の高い人や仏教に興味のある人には詳細を極めているだけに読み応えがあるかも知れない。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ