白鯨/ハーマン・メルヴィル著

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「白鯨」上下巻  ハーマン・メルヴィル(1819-1891)著
NYC生まれ(父をアイルランド人、母をオランダ人とするアメリカ人)
訳者:田中西二郎
新潮社 文庫化初版1952年1月
2006年まで66刷改版

 

 アメリカ人作家による著名な作品といえば、第一にマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」、第二にハリエット・ビーチャ・ストウの「アンクル・トム」、アーネスト・へミングウェイの「老人と海」と「武器よさらば」、第三にジョン・スタインベッグの「怒りの葡萄」、もう一人加えるとすれば、カポーティの「冷血」であろうか。

 本書は再読のつもりで入手、読み進むにつれ、内容を知るにつけ、読んでいたのではなく映画で見ただけだったことに気づいた。しかも、格闘の相手は鯨ではなく鯱(しゃち)だとばかり思っていたのも誤りだった。

 本書はイシュメールという、旧約聖書に登場するエホバの恩寵深いイスラエル人の祖、アブラハムとその妻との間に生まれた男の名前で、作者は主人公を語り部とし、その名を冠した。

 物語はイシュメールの目を通して、エイハブという、巨大なマッコウクジラとの闘いの最中に片脚をもぎとられた男が船長で、彼の復讐への執着、偏執、狂気にも似た憎悪にたまたま巻き込まれた同船者たちの思惑や行動を描きつつ、アメリカのニューイングランドにあるヘッドフォード港を出発し、ホーン岬を回ってインド洋からマラッカ海峡を通過、日本近海から赤道付近までの長旅を経て、ようやく目指す仇敵に出遭ったものの、結局は鯨を追う小型ボートはおろか、母船までがマッコウクジラの体当たりを食らって沈没し、イシュメールだけが助かるという設定で、ことの顛末を綴ったもの。

 作品は150年前に世に出たものだけに、捕鯨とはいえ、近代装備はなく、火薬を使っての銛打ちどころか、数艘のボートに分乗した人間が手銛(てもり)、手槍で鯨と格闘し、捕獲するという、江戸時代に高知沖や和歌山県沖で日本の漁師もやっていたのと、ほとんど同じ手法に依存、その旧式ぶりの、リスクが甚大という、眞の姿をあらためて認識することとなった。(現在でも、インドネシアの一島では、同じ手法による捕鯨が許可されている)。

 また、一方で、150年前の人智がどこまで真実を突き、どこまで信頼できるかという疑念が脳裡を去来した。即ち、本書に接する読者が書かれていることを誤解や誤謬なしにそのまま信じてしまわないかという懸念にも繋がっている。この時代、鯨、鯱(シャチ)、イルカが哺乳類であり、仲間同士がエコーロケーションによって広い海を遊泳していたことなど知るよしもなく、ことに海のことについては現時点でもなお未知が多く擁されている事実を知ればこそである。

 本書を読みはじめたのが10月7日、ブログに書評を記している今日は10月14日であり、上下巻でトータル1、100ページにおよぶとはいえ、時間がかかりすぎたことには我ながら驚きを隠せぬ思いだが、退屈きわまりない小説ながら、飛ばし読みをせず、しつこく文を追った結果で、元凶はひとえに作者のあまりに不必要な冗舌や、「ああ」「あっ」「さて」「それはとにかく」「そこでちょっと」などという特別意味があるとは思えない間投詞の多発にはじまり、力みかえった難度の高い語彙、頻繁に使われる仰々しい修飾語、形容語、そして無駄とも思える大仰な比喩などが読み手を疲れさせ、倦怠へと導くことにある。

 単純にストーリーだけを拾い出して繋げば、おそらく上下巻あわせて三分の一、多くても二分の一で書き尽くせるところを、作者は他に類例のない文章づくりに執心し、予め古今東西の書、資料、文献を手当たり次第に読み漁り、鯨の捕獲手法、効用、絵画、装備、料理、同船者の階級などのほか、聖書の言葉などを、まるで閑話休題といった態で章を区切って解説に努め、そのうえに、訳者の調べによれば、「聖書に言及しなかった章は全編136章のうち、僅か19章に過ぎない」という事実、加えて、作品の本筋とは無縁の古今東西の国、偉人、王様、学者などを大挙して文中に散りばめたため、作品が上梓されてから世に知られるまで四分の三世紀を費やすこととになったといわれる。要するに、当時の人々からは関心を持たれなかったのが現実だった。とはいえ、現代人からなら興味を惹かれるかといえば、それもあり得ないだろう。

 あるいは、当時の社会が捕鯨という職業に関して偏見があり、軽視されていた反動があって、それを弁護する目的で、あえて鯨についてこと細かに論文めいた解説を試みた可能性も否定できない。

 なお、本書の一方の雄である巨大な抹香鯨には白い頭と、突起したピラミッド型の白いコブと、シワだらけの額があり、そのために「白鯨」と呼ばれ、「モビー・ディック」というニックネームが供された。私の個人的な意見だが、本書を読了した今でも、抹香鯨よりも野生の鯱(シャチ)のほうが獰猛で猛々しいという印象が拭えない。

 ただ、語彙が豊富であるばかりか、文章そのものには余人の真似できぬ気高く、冒しがたい威厳、端麗さ、雄渾さがあり、東大の文学部教授がそのあたりの特色を把握したうえで、帯広告に「推薦」の二文字を掲げたようにも思われる。たとえ、本書のもつ高雅な香りが冗舌によって損なわれているにせよ。

 また、「死は見知らぬ国土に入る方法の一つに過ぎぬ。それはかの『絶世』の、『永界』の、『無辺』の可能性に対する最初の誘(いざな)いに過ぎない」という言葉。「科学は人間の玩具」という洞察。「友情は我執を忘却でき、嫌悪すべきことまで許せること。友の快楽を己の快楽として感じることができること」といった言葉には、はっとさせられるものがなくはないが、死が死後の世界に繋がるとの信仰は当時にあっては当然の思いだったのであろう。

 とはいえ、「鯨を捕獲したあと、体から必要な肉、脂を取り切って海に棄てると、無数の鮫が騒ぎたち、野生を剥き出しに、強欲無残に喰らいつき、跳梁する。自然界の憎むべき禿鷹的法則は、ときに鮫同士が肉を争って、互いを食いちぎり、共食いすら始める」という下りには首をかしげた。第一に、鯨を殺戮したのは人間ではないのか。第二に同種が互いに殺しあうのは、特殊な場合を除いて、人間だけではないのか。

 鯨を食用として考えていたのは日本人、ノルウェー人、インドネシア人で、日本人やインドネシア人は鯨には骨を含め棄てるところはない」との認識もあったのに比べ、アメリカ捕鯨はあくまで鯨油だけを採取していたことが判る。かれらはの捕鯨船は江戸時代、小笠原諸島にまで出張ってきており、そこで薪や飲料水、食料などを積み込んだという歴史もある。いまでも、この島には当時のアメリカ捕鯨員が居住し続けて、三代目、四代目となって島人となっていると仄聞する。

 ただ、猟師が故意に鮫の内臓を切断して泳がし、その内臓を餌として与えると、その鮫は死ぬまで自分の内臓を食い続け、食った内臓は再び切断された箇所から外に出てしまい、その凄まじい食餌が死ぬまで続くという話は事実で、これは石原慎太郎が外国でレモンザメの様子を描いたことからの知識である。

 この作品が書かれた社会的な背景として知っておかねばならないのは、人種差別が激しかったことで、指揮を執るのは常に白人で、黄色人種と黒人種はかしづくのが恒常的な決まりだったことである。

 また、海で悪いことが起これば、船中に罪人がいるからだと決めつけたり、身障者や精神薄弱者が生まれると、前世に大罪を犯した罰だとか、神が祝福していないとか、日本でも「親の因果が子に報い」などという言葉が盛んに使われていた時代である。このようなことは、現時点でも同じ地球上のどこかでは変わらずに、迷信のまま存在する。


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