科学鑑定/石山いくお著

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科学鑑定

「科学鑑定」
副題:ひき逃げ車種からDNAまで
石山いくお(1931年生・法医学者)著
2002年11月20日 文芸春秋社より新書初版  ¥660+税

 法医学に関する研究、歴史、発展過程、犯罪に使われるプロファイリングなどまでを纏(まと)めあげた労作であり、且つ学術書でもある。

 以下は個人的に関心を持った箇所だけを抜粋した。(   )は私見。

☆法医鑑定の原形はユダヤ文化に発した。(さすがはユダヤ人)

☆最古の司法解剖は1302年、毒殺を疑われた遺体がイタリアのポローニャ大学の内科教授によって行なわれた。

☆日本における近代的な人体解剖は明治維新を迎えてからで、ベルリン大学解剖専門講師、デーニッツ博士が日本人研究生を薫陶、解剖術を伝授した。

☆警察が介入するような事件や事故が人体解剖を必要とする場合、ミスジャッジが相当ある。(本書では、それらの例を具体的なケースを挙げて説明している)。

☆個人識別を必然とする人体解剖ほど難しい解剖はない。

☆足利時代、戦国時代まで、武将の遺体の首実検には世間に流布していた特徴(例・ほくろ、瞼、目つき、体の傷、人相、歯、刺青)などに頼るほかはなかった。西南の役で首を斬らせて死んだ西郷隆盛は右肘の古傷と巨大な陰嚢(いんのう)という特徴で識別された。

☆指紋が個人に固有のものであることは17世紀には知られていた。文政6年(1833年)、わが国でも被疑者の指紋照合を被疑者自身が望んだ例がある。

☆指紋の分類はイギリスのエドワード・ヘンリーのアイディアで、弓状、蹄状、渦状の三つが主たる形、手指による絞殺でも指紋はとれる。

☆血液型による検査は1901年、ウィーン大学の病理学者のカール・スタイナーがABO式血液型を発見、ノーベル賞の対象となった。(血液型は国により土地によって偏りがある。日本人が言う各血液型のもつ性格判断は海外で通用するところは多くない。日本国内ですら、沖縄のA型は本土のO型と変わりない)。

☆DNAを行なうようになって、今後の問題はDNAを行なう前にABO式血液型のチェックをまず行なうことにあり、そのときあまりに多くのDNA用に使う血液が喪われぬようにすること。

☆毒殺は古代エジプト、ギリシャ、ローマ時代から大人物の死には常にまとわりつく問題だった。

 健康人の血液を冷蔵庫に保存しておくと、自然発生的に大量の青酸が生成されることを最近まで知られていず、毒殺でない死まで毒殺と判断されたケースがある。

☆一般にDNAチェック上の材料は髪の毛、尿、汗、精液などだが、ひき逃げ事故の場合、現場には車の外板から剥離したミリ単位の塗膜が落ちていることが多い。この塗膜片から犯人を正確に割り出すことが可能。自動車の塗膜は単一の層ではなく、基本的には下塗り、中塗り、上塗りの三層から構成され、車種、型式、部品などとは別に三層に塗られたペイントも異なることから、ひき逃げ犯を探し当てることはさして難しくはない。

☆アメリカにはプロファイリングが早い時期からあるが、それは犯罪が多いからというだけでなく、犯罪が複雑化し、凶悪化もし、行動範囲も拡大、精神異常としか思えぬ犯罪も増えており、銃社会であることも見逃せないが、FBIが存在する意味が理解できる。

☆DNAは個人識別のビッグバン。この鑑定登場は1985年だが、間もなくPCR法によって実用面でのミスがなくなり、簡素化もされ精密にもなって、レベルが飛躍的に向上した。技術には(1)サザンブロット法、(2)PCR法、(3)シークエンス法、(4)遺伝子組み替え法とある。

☆DNAチェックで最も有名なのはロシア最後の皇帝一家の遺体を鑑定したもの。皇帝のニコライ、妻のアレクサンドラ、四人の皇女、一人の皇子、3名の召し使い、1人の侍医が言われていた土地から出土した。

 皇帝一家が殺されてから70年後に土から掘り出され、DNAによるチェックが可能だったのはシベリアという大地の保存性によるもの。火山灰が土地に含まれているようなところではダメだっただろう。

 こういう話の好きな向きには面白い本。


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