「立花隆・対話篇」宇宙を語る/立花隆著

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書評:ためいき色のブックレビュー-宇宙

  「宇宙を語る・立花隆対話篇」 立花隆

  1995年10月15日 書籍情報社初版 単行本  ¥1600+税

 書籍の表紙に「我々は宇宙船『地球号』の乗員でありながら、この宇宙船をまだよく知っていない。宇宙船の外を取り巻いている宇宙という環境についてもまだよく知っていない。これまでのところ、この宇宙船はたいした故障なしにやってきたが、それは奇跡的な偶然に支えられてのことであり、これからもその幸運が続く保障はない」とあり、同感というほかはない。

 本書は上記したように1995年の作品であり、宇宙のことは日進月歩であるため、内容的に現在の学者間の知見に合致しているのか否かについては私の判断を超えているが、間違っていないと思われる部分から目を惹いたところだけをピックアップしてみる。

 本書は対談形式をとっているが、スペースシャトルに乗った経験者、SF作家、心理学者、歴史小説家などが対談の相手になっている。また、以前に書評した「宇宙からの帰還から」とも連動している。

 ソ連は1957年に人類史上初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、1961年にはガガーリンが初の有人飛行を行い世界に衝撃を与えた。アメリカが月世界にアポロを着地させたのは1969年。アメリカはソ連に10年は遅れていた。

 「地球環境の変化は必ずしも人為的なものに限られるわけではなく、太陽活動のゆらぎ、地球自転のゆらぎ、海流、気流の変動といった自然現象にあると考える学者もいる。それは、過去に、人為的活動とは一切関係なく、地球的な規模の異常気象変動が何度も起きてきたし、これからも起き得るからだ」とは作者の言葉だが、今夏の本来なら降雨が終わっているはずの中国、バングラデッシュ、トルコ、日本における豪雨と土石流、一方で従来なら豪雨になるはずのアメリカでは旱魃という異常な気象の変化は太陽系球体としての自然変化ではなく、明らかに人為的な気候変動があるとしか思えない。また、立花氏の言う「地球を温暖化し、汚染するものは他の惑星に運ぶことで地球環境を守るという発想は理解はできても、間に合う話だとは到底思えない。

  

 毛利衛は、「太陽のすさまじいエネルギーから地球を守っているのは薄い大気圏という膜であり、これがなかったら人類も生物も生きられない。大気圏は地上から僅か100キロの幅で、地球の生命圏の脆さを」を痛感したという。また、「無重力状態になったとたん、体液が上半身に上がってきて、体内バランスが崩れるが、体内で細胞レベルから体液レベルからホルモンレベルから、すべてのものがバランスを組み替えて、新しい平衡状態に順応しようとする。二日目には新しい環境に慣れてしまう。人間の順応力はすごい」とも語った。

 「重力の影響のない空間では、わけのわからない二次、三次の力が働いて、表面張力によって起こる特殊な対流が認識される」という。

 「人類の時代になると、自然の形態変化による環境適応より、テクノロジーによる環境適応のほうが大きな意味をもつようになった。人類は物理的な生息可能域を拡大し、生物界における生態学的ニッチを拡大してきた。一方で、人類の生命力は生活環境が快適になればなるほど脆弱になる。だからこそ、宇宙への挑戦は人間社会を活性化し、脆弱への偏向を抑制する鍵となる」と作者はいう。

 向井千秋は「地球で見る黒は光の反射した黒だが、宇宙で目にする黒は文字通り、暗黒の世界、吸い込まれそうな気持ちになる。だから、暗闇にぽつんと浮かぶ地球の青さ、雲の白さが際立って美しく見え、感動的である」と語り、さらに「宇宙酔いは無重力感覚の混乱が平衡感覚の混乱につながる『感覚混乱説』と、無重力が体液の移動を促し、血管がむくむなどの『体液移動説』がある。胃の内容物が体内で浮きもする。こうした状態をスペース・アダプテーション・シンドローム(宇宙適応症候群)とNASAで呼称するようになった」と。

 「宇宙では食物の味が薄く感じられる。動植物には重力を感知するレベルがあり、地球上の3分の1~4分の1で、ほとんどの種類が反応する。無重力だと、植物の根は下に向かわず、てんでんばらばらに伸びる」という話も当然の現象ながら面白い。

 さらに、「長期滞在には、遺伝子の機能低下、カルシウムの流出、宇宙放射線を浴び続けることの危険が恒常的にあり、これらにどう対処するかが依然として問題。Gがかかっているとき、肺から100%空気を出してしまうと、Gがもろにかかって、次の呼吸ができなくなる。宇宙から地球に戻るとき、Gが強く、気圧が高くなってくるため、ダイビングの耳抜きと同じことをして耳を守る」という話も傾聴に値する。

 SF作家であり、科学論者でもあり、預言者でもあるアーサー・C・クラーク(イギリス人)は、「太陽系のすべての天体は小惑星の衝突を受け続けているし、今後も受けるだろう。地球も例外ではない」といいつつ、一方で「地上から静止衛星を繋ぐ3万5千キロの宇宙エレベーターは『C60』という特殊な素材を大量に生産すれば可能であり、いったん構築されれば、維持や運営にたいしたコストはかからず、数百年の使用に耐える」という。

 さらに、同氏は「宇宙空間における移動推進力として『ワープ』、『反物質』、『核融合』など考えられてきたが、『ゼロポイント・エネルギー』が最もエキサイティングな可能性を秘めている。1センチ四方の真空に含まれるゼロポイント・エネルギーは地球上の海の全部を沸騰させるに充分。実現するのは100年後になるだろう」とは、本書が出版されて10年以上が経過した今日でも信じられない話。

 心理学者のJ・B・S・ホールデンの「宇宙の謎は私たちの想像を超えているだけではない。私たちが想像することのできる範囲を超えているのだ」という話には説得力がある。

 東京大学の物理学者、松井考典は、「宇宙開発に関心のないのは政治家と官僚、そこに一般庶民とのギャップがある。政治家は科学音痴ばかり。科学技術庁は宇宙科学的なことは何もやっていない」と怒りの表現。

 京都大学の名誉教授で心理学者の河合隼雄は「宇宙から帰還した人の話を読むと、宇宙体験は戦慄と魅力との両方を含んだ神秘的で、聖なるものを感じたという例が多く、古典的な意味での宗教とは離れている」ことを指摘。

 作者は最後に、「人類は宇宙人としてのポテンシャルを本質的に持っている。人類にとって、なすべき選択は宇宙全体を活動圏とするような未来を目指すこと。1千年、1万年という単位で人類の未来と可能性を考える礎をいまつくっておくこと。コストはかかるが、冷戦時代にかかった軍事費を宇宙に向けることで補える」と結んでいるが、日本なら霞ヶ関の官僚らによる予算の無意味な分捕り合戦をなくし、あらゆる無駄を省けば、宇宙開発へのコストは充分に出てくるだろう。むろん、それには科学音痴の政治家の頭脳を切り替える必要があるけれども。

 率直に感じたことを言うなら、宇宙とはいえ、宇宙飛行士が達したところはたかが地球から300キロ前後のところを周回しただけであり、宇宙の無限性や深遠が解ったような気になるのは、「地球から離れて地球を見た」というあたりに原点があるのではないか。

 司馬遼太郎は「あらゆる宗教の興りはきわめて土俗的だ」と言っているが、アストロノートが感じた驚異もその延長線上にあるのではないのだろうか。つまり、ある意味で、土俗的だった自然への驚異から宗教が芽生えたと同じ理屈が宇宙のほんの一部を垣間見たアストロノーツらにも繋がっていて、この感覚を打破するために、人類はさらなる宇宙探検に乗り出し、宇宙をさらに深く知ることで、科学に裏打ちされた新たな哲学が生まれるのかも知れない。

 要するに、人類に必要なのは宗教ではなく、哲学である。


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