資本主義はなぜ自壊したのか/中谷厳著(その1)

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書評:ためいき色のブックレビュー-資本

  「資本主義はなぜ自壊したのか」 中谷厳(1942年生/一橋大学名誉教授

  副題:「日本」再生への提言

  帯広告:構造改革の急先鋒であった著者が記す「懺悔の書」

  集英社発刊 2008年12月20日初版  ¥1700+税

 書評・その1

 著者はかつて小泉内閣が推進した構造改革の一翼を担った学者の一人だが、今日アメリカ発のサブ・プライムローンに端を発した金融危機が世界を撹乱する要因になるとは予測できなかったことに悔恨の念を込め、本書を世に送ったもので、すでに多くの人の読むところとなり、ベストセラーになっている。

 私自身、2008年9月には「恐慌前夜」上下巻を二度に分けて書評し、その後の経緯にも触れ、2008年11月には「ソロスは警告する」を書評、部分的に相似の関係にある「文明化した人間の八つの大罪」を2009年1月に、さらには「破綻するアメリカ・壊れゆく世界」を2009年2月に、「日本は悪くない・悪いのはアメリカだ」を2009年2月に書評した。 

 現在、世界を席巻している危機的状況は過去に人類が経験したことのない未曾有の苦しみを伴うものであり、我々はその変革期を目の当たりにしている、稀有の事態に遭遇しているとの認識があり、この事態の今後と、結末とをしっかり見ておきたいとの思いに身も心も掻きむしられている。

 さらに、私はかつて本ブログに「社会共産主義が瓦解したからといって、現行資本主義、自由主義が人類が到達した最高の社会形態だとは思っていない」と、大胆な発言をしたこともあり、この危機的状況を黙視できない立場にもある。

 今年に入って以降、わが国でも家電、不動産、建設、自動車、精密機器、デパートなど経営不振が深刻化し、不定期社員の馘首、正社員の辞職公募、操業時間の短縮、賃金カット、ネットカフェ難民の急増、犯罪の凶悪化などなど、枚挙に暇がないほど、社会は変貌している。企業にとっては、サイズに拘わりなく、死活問題となっていることも否めない。

 そこで、この問題に関する纏めとして、本書を中軸に据え、この書評を「その1」とし、幾つかに分けて記したいと思う。以下にエキスを抽出するが、言葉や表現には、私が換えた部分のあることを諒解願いたい。また、(  )内は私の意見。

1.グローバル資本主義は世界経済の活性化の切り札であったが、結果的に、世界経済の不安定化、所得や富の格差拡大、地球温暖化など、人間社会に様々な「負の効果」をもたらした。グローバル資本が自由を獲得すればするほど、この傾向は助長される。

 グローバル資本は自ら増殖するための栄養源だから、さらなる自由を手にしたものは、その自由によって身を滅ぼす。規律によって制御されない自由の拡大は資本主義そのものを自壊させてしまう。

2.「改革なくして成長なし」とのスローガンは財政投融資にくさびを打ち込むなど、一定の成果をあげたが、一方で新自由主義の行きすぎからくる日本社会の劣化をももたらした。この20年間、貧困率の急激な上昇は日本社会に様々な歪みをもたらし、救急難民や異常犯罪の増も「負」の範疇に入る。「改革」は必要ではあるが、人間を倖せにできなければ意味がない。現実は「人を孤立させる」改革になってしまった。

 (日本政府が各銀行に不良債権の減少を指示したことや資金支援を行なったことも、今回の恐慌を迎え、西欧、とくにEUにとってモデルケースになっている)。

3.現在のアメリカはかつて持っていた「豊かさ」「寛大さ」を失い、替わって「粗雑さ」が蔓延している。 

 自由市場原理を最優先させる経済構造を是とするなら、弱者の切り捨ては必然であり、社会を二極化させ、中流階層の消失は1981年に登場したレーガン政権による政策の転換によって惹起され、アメリカ全体の0.1%の超富裕層がアメリカ全体に占める所得シェア全体の7%に達した。「自己責任」との名目のもとに、富裕層への減税はしても、貧困層には手を差し伸べることさえしなかったことの結果である。

4.サブ・プライムローンがらみの金融商品を保有していたのは欧米に限らず、ロシア、中国、インド、ブラジル諸国も保有し、世界全体にどれだけの不良債権が発生し、最終的にどれだけの公的資金が必要になるかは予測もつかない。

 今回の危機により、アメリカの主要金融資本が金融持ち株会社の形態に移行したため、これまでのような「リバレッジ(テコの原理を用いるの意)」で膨大な資産膨張を可能にする手法は事実上不可能となり、これまでの自由放任主義の暴走はその勢いを大きく削がれることとなった。

 (石油が一時信じられないような高騰をみせ、その後、下落したのはリバレッジの一例。また、デリヴァティブは金融派生商品をいう)。

 米国投資機関の考え出した「リバレッジ」は投資資金が10倍、20倍に化けてくれるという、賭博の通念ですら理解しがたいシロモノで、市場が上向きのあいだは笑いが止まらないほどの巨利を生む。好調が継続した数年間、アメリカ型のビジネスモデルは正しいという信頼と認識が生まれ、さらに好調が続き、世界経済の、とくに金融関係のフィールドに、過去に経験したことのない膨大な利益をもたらした。

 ところが、サブ・プライムローンの失敗から、歯車が逆方向に回りだした途端、負の連鎖を呈し、10倍のリバレッジをかけて投資していた金融機関は投資対象が10%減価するだけで元本の部分は消失してしまう。値下がりに歯止めが効かなくなってくると、損失は天文学的な数字にふくれあがり、そこから発生する負債を清算するために、所有する資産まで手放さざるを得なくなった。

 このような状態に陥った投資家や投資機関には、資金の融通をしてくれる銀行はなく、結果、倒産が相次ぐ。すると、予めそういうところに融資していた金融機関も不良債権を抱えることになり、一大金融危機へと繋がっていく。

 これは、「リバレッジ」が宿命的に孕(はら)むリスクといっていい。

 どの金融機関が倒産するかとの疑心暗鬼から、インターバンク市場が凍結状態となり、どの金融機関にとっても資金調達は著しく困難な状態に陥り、そして、ついにアメリカで四番目に大きな投資銀行、リーマン・ブラザースが倒産した。

5.この期に及んでも、多くのアメリカ経済学者は「所詮は資本主義の自律的な調整のプロセスであり、国境を越えて資本やものが動く自由の枠は今後も続く」と楽天的に考えている。

 (いったんグローバル化した経済は単一の国家だけで処理できるレベルを超えてしまっていることは事実)。

 グローバル資本主義がもつ本質的な欠陥は:

 1)世界金融経済の大きな不安定要素となる。

 2)格差拡大を生む機能を内包し、結果、健全な「中流階層の消失」という社会の二極化現象を生む。

 3)地球環境汚染を加速させ、グローバルな食品汚染の連鎖の遠因となる。

 4)地下資源の争奪戦を不可避とする。(逸早く気づいて行動に出ているのが中国)

 国境を越えて経済資源が自由に移動できる世界がベストだという「基本哲学」は再検討される運命にある。はっきりいってしまえば、アメリカ主導のグローバル資本主義は自壊しはじめた。アメリカが産み出した肥大に肥大を重ねたグローバル・マーケットというモンスターにアメリカ自身が翻弄されている。

6.かつて、イギリスの経済学者、アダム・スミスは、人間を「ホモ・エコノミクス」として定義し、近代経済に登場する人間は自らの満足を最大化する目的をもって合理的に行動する動物であると言ったが、、そこには社会という概念の入り込む余地がない。

 人間は自分の個人的な満足だけを目的に行動するのではなく、ことに日本社会においては、人心の安定、仲間意識の醸成、人と人との絆に重点を置いてきた。アメリカは階級社会であり、階級意識が強いが、日本人にそうした意識は希薄である。

 アメリカは機会均等の国でもないし、平等社会でもない。エリートが一般大衆を支配し、搾取することの可能な、もっともらしい制度や仕組み、ルールをつくること、それこそ階級社会におけるエリートたちの暗黙の思惑なのではないか。だとすれば、アメリカ人一般も、これに追随する日本人にも、幸福になれる素地はない。

7.グローバル資本主義は消費者や投資家、あるいは途上国経済の発展には一部恩恵をもたらしたが、先進国労働者や市民には逆に大きな被害をもたらした。「自己責任」が合言葉となって、救急医療が受けられない、救急難民が生まれ、医療サービスの質が落ち、日本では「後期高齢者医療制度」のような高齢者にとってありがたくない制度が導入されることともなった。環境破壊も、食品汚染の拡がりも、グローバル資本のコストといってよいだろう。人と人との連帯意識も絆も希薄となり、人心がすさんで、凶悪犯罪が多発するようにもなった。

 (老人の孤独死も、自殺も、訳のわからない犯罪も増えている)。

8.経済学における最重要前提の一つは、完全競争であり、次の四つの条件が同時に満たされる状態をいう。

  1)経済主体の多数性

  2)財の同質性

  3)情報の完全性

  4)企業の参入、退出の自由性

 現実には四条件は幻想であって、充足されることはない。たとえばネットで入手できる情報はオープンだから誰にでも得られる情報であり、投資情報の価値としてはほとんどゼロに近い。本当に価値のある情報は一部の人間に握られているだけで、ネットに流れることはない。

 

 むしろ、逆に、有力な投資銀行や機関が情報を捏造して流すという手法を採り、マーケットに揺さぶりをかけ、巨利を得るといった図式があるだろう。でなくて、ゴールドマン・サックスの社員の平均年俸が七千万円というのはあり得ない。

 公平な所得や富の配分を実現するためには、民主主義的な政治のメカニズムが働くことによって適切な税制や社会保障制度が構築されなければならない。アメリカ型資本主義は政府はできるだけ、そういうものに関与しないようにすべきだと考えてきた。

 (自由放任主義が大義名分)。

 自由の枠の制御の仕方を学ばず、適切に抑制することを怠るならば、結局はより多くの自由を失う羽目に陥る。

9.民主主義やマーケット・メカニズムを拒否している国家として、ブータンとキューバが挙げられるが、国民は決して豊かではないし、両国ともインフラは先進国とは比べものにならないレベルで、貧しい。むろん、物資も豊富ではないけれども、人々の顔は明るく、現実の生活に満足している。

 

 この両国に共通するのは、人々の気持ちがすさんでいず、人を騙して何かを目論むといった卑しい雰囲気が全くない社会の安定感、そして貧しさが精神をむしばんでいない健全さである。

 

 欧米なら、旅行中にカバンを置き引きされることはあるが、キューバやブータンでは決してそういうことは起こらない。物乞いはほとんどの途上国に見かけるが、ブータンにもキューバにもいない。(奇跡的な現象といっていい)。

 

 GNP最貧国の人々の社会が明るく温かいのは一体どういうことなのか。貧しいはずのキューバでの乳児死亡率はアメリカのそれを下回っている。キューバはアメリカと違って教育費も医療費も無料である。ブータン、キューバには先進国が失った人と人との信頼関係、社会との繋がりが確固として存在する。

 ブータンの国王は1972年、「国民の幸福は決して経済のレベルでは測れない。国民総生産より国民総幸福量の向上を目指す」という国家理念を掲げ、国民もその方針を支持している。

 資本主義の発達は、人間が社会的動物である事実を軽視する結果を招来したといえるのではないか。人間は自分の利害にだけ左右され、行動する動物ではない。場合によっては、自己犠牲の精神すら発揮する。

 たとえば、伝統の喪失は当事国にとっては損失ではあっても、損失量を金銭では測れず、経済学の対象とはならない。これが経済学のもつ限界であることを認識しておく必要がある。

 (日本語ではホモサピエンスを「人間」と、「人と人との間」と書くが、それこそは「人間は社会の一員」であること、一人では生きられないことを認識しているからこその言葉)。


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