身体をめぐるレッスン1-夢みる身体「往還するジェンダーと身体/トランスジェンダーを生きる」(その4)

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身体をめぐるレッスン1

「往還するジェンダーと身体/トランスジェンダーを生きる」 三橋純子(1955年生)性社会史研究者/国際日本文化研究センター協同研究員

(書き手の名は女性だが、実際は男性。女装をし、髪、仕草は女性そのものだが、下半身にはペニスがついたまま。性別越境をこういう形で行なっている当人が首記のタイトルで自身を通し、前向きに、且つあからさまに解説するのは文字通りうってつけの人材。文中には本人の写真も掲載されている)

 「性器の外形転換手術を行ない、性的外観を異性のそれに似せるものの、ジェンダーロールやジェンダーパターンの転換は随伴的、二次的に位置づける人、そういう人を『Transsexual』(トランスセクシュアル)という。一方、社会的性別、ジェンダーロール、パターンの転換を行い、たとえば女装したり髪型を変えたりして、望みの性別で社会的認知を獲得することで違和感を軽減し、性別越境を達成しようとする人を『Transgender』(トランスジェンダー)という」(前者はカルーセル・マキ、後者はいわゆる「おねえ」を指す)

 「男性がペニスを切除し、女性性器への転換を図っても、定期的に器具を使って拡張しないと、周囲の組織が盛り上がって穴が狭窄してしまう。人口膣よりも、よくトレーニングされたアナル(肛門)の方が性愛器官としてはずっと機能が高い」

 「性器の異性化形成手術が世界で初めて行なわれたのは1931年、そうした知識が一般に知られるようになったのは1950年以後」

 「女装をしない、いわゆるオカマ(ホモセクシュアル)のカップルをゲイといい、そういうカップルの入室を断るラブホテルがあるが、一方が女装をし、ニューハーフとしての外観が整っている限り、入室を断ることはない」

 「脱男性化を促進するために女装だけでなく、女性ホルモンを投与したり、皮下注射や錠剤の服用によって定期的に摂取すると、全体的な身体のイメージが女性化する効果があるが、造精子機能の低下、血栓症、肝機能障害などのリスクがある」

 「女装した男と男との関係は、女装しないゲイの関係と違って、ホモセクシュアルではなく、ヘテロ(尋常な性意識をもつ人)に近いので、『擬似へテロセクシュアル』と呼ぶが、理由はそれが共同の幻想だから」

 「女装したニューハーフを好む男は女性的な身体ラインをもちながら、ペニスを持つ男に欲情し、アナルセックスをする。一方、ニューハーフに性的満足を与えるため、男は相手のペニスを勃起させ、しばしばフェラチオで射精に導くことが多い。

 こうした性のありようは普通のヘテロセクシュアルの性愛規範からは大きく逸脱しているので、『変態』的で、倒錯的な異常行為として見られてきた」

(頻繁に肛門を使ってのインサートをするうち、度が過ぎて、括約筋が緩んでしまい、垂れ流しになることはないのか、それがかねての疑問だったが、この章に答えに当たる言葉はなかった。むかし、フランスの日本駐在大使は自分がアナルセックスをされるのが好きで、つまり毎夜、ベッドに香水を撒き散らし、若い男の来訪を待って、尻を向けるという生活をしていたところ、とうとう垂れ流し状態になり、本国から強制送還を依頼され、フランスに送り返されたという話を週刊誌で読んでことがある。また、アナルセックスがエイズを惹起した時代があったことも事実だし、現在でもあり得るが、そのことについての解説は本書にはない)。

 「日本では1995年以降、『性同一性障害』(Gender Identity Disorder)という精神疾患のカテゴリーが急速に広まり、国際的な理解からは遅れている」

(とはいえ、現在、テレビには女装した男たち、はっきりホモセクシュアルだと判る男たちがかなりの数で出演している。国際的な理解というが、好意をもって理解することのほうが異常だという意見だってある)。

 「2003年には、性同一障害者に関する法律が改正され、戸籍の性別変更が可能になり、2004年7月から施行され、2005年12月末現在で326名が変更届けを出し、認められている」。

 この特例法は、性器の外観が変更を望む性別のそれに近似していることを要件としている。男なら凸が、女なら凹が形として外観をなしていることが条件。ただし、外観上は擬似ペニス、擬似バギナでもかまわず、必ずしも性器として使用可能か否かは問われない」

 「歌舞伎の男が女役(おやま)を演じ、宝塚では女が男役をこなす。こういう芸能、文化の伝統をもつ国は欧米にはない」

(歌舞伎は江戸時代、女が舞台に立つことを幕府が禁じたため、男が女役をこなす以外に手法がなかったというのが史実。)

 この章について、あえて個人的な感想を披瀝するなら、私にはどうしても理解不能であり、作者との趣味性のギャップには激しいものがある。どんなに外見が女性的で美しくても、ペニスをつけた女装の男を抱きたいとは思わないし、傍に寄っても欲しくない。触れられれば、毛虫に触れられたように感じ、振り払うか殴り倒すかするだろう。私は私が持っていないものを持つ女性以外、性的な関係を持ちたいと思ったことは一度としてないし、今後もないだろう。

 ただ、そうした世界がどうなっているのかについての知識を得たいとは思っていたので、本章から得たもの、学んだものは少なくない。

 本章は一種の暴露だが、その心意気と、実態の解説に精魂を賭けた姿勢には頭が下がる。


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