身体をめぐるレッスン1-夢みる身体「序論=身体という幻」(その1)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

身体をめぐるレッスン1

身体をめぐるレッスン1=夢みる身体

岩波書店新刊 2006年11月初版
編集者:鷲田清一/荻野美穂  作者:13人

帯広告:
1)生きる者の疼きの場所ともなり、悦びの場所ともなる身体
2)身体の「幻想」が紡ぎ出す生の諸相

 

 本書はレッスン1から4までのシリーズになっており、首記はそのうちの1冊、「夢みる身体」とのタイトルを軸に、様々なフィールドにわたり、各界の権威、学者、専門家が協力し、それぞれ章を分けて、身体につき、多角的、多面的に洞察を加え、構造を語り、精神や心の問題にも踏み入って、解説を加えているため、内容は読み手にとって蒙を啓かれることが多く、一回の書評でまとめることには無理があると判断、本書に限って章ごとに、あるいは複数の章を対象に絞って書評する。

 本書を読みながら、さすがは岩波書店の出版物という賞賛が脳裡に去来した。

「序論=身体という幻」 鷲田誠一(1949年生/大阪大学)

 以下は関心を惹かれた部分を抜粋、列記、(  )内は私の感じたことや意見など。

 「科学は20世紀までは自然の解明と改造とに向けられていたが、20世紀後半以降、人間自身に向けられるようになった。人間も物質である以上、物質として、様々な知恵や技術を用いてこの物質の可能性を拡大しようとするが、身体はときに牢獄と化したりもする」

 「身体にはまた個体のレベルにとどまらない位相がある。身体の一つ一つには身体の連なりのルール、つまり社会という存在が深く書き込まれ、社会の生み出す様々な役割や期待を刻みこまれながら、一つの資源として経済の渦に巻き込まれ、あるいは、感情の力学に突き動かされながら互いに交錯する」

 「身体の内なる崩壊と思われる出来事や事件も、本当は人間集団という社会に対する異議申し立てなのかも知れない」

 「危機とは、人間の生の新しいステージに向かわせる経験のことであり、身体の危機を考え抜くことによって新たな一頁が啓かれるかも知れない」

 (以上は「序論」からの抜粋だが、これらの言葉が示唆する内容が現代哲学でもあり、近未来への洞察でもあり、精神医学書でもあり、ときには現状そのものの分析であり、暴露でもあり得ることを予測させるに充分だった)。

 さらに、「序論」は言う。

 「身体がなんらかの形で教化され、組み立てられ、歪められ、圧迫され、整列させらたという苦い経験も持つ。特定の『制度』という枠のなかに押し込まれ、象(かたちづく)られ、衰弱させられるとともに、そうした強制に抵抗をしてきたという認識もある」

 「身体は社会を流通する観念によってがちがちにされている、およそ4半世紀をみても、身体をめぐっては泡のような言説が飛び交ってきた。『健康な身体』からはじまって『スリムな身体』、『ボディコンシャス』『ダイエット』『フィットネス』『美容整形』『ボディメイキング』『気巧』『ダンスセラピー』『ピアシング』『リストカット』『援助交際』『摂食障害』『清潔シンドローム』『多重症性同一性障害』『メタボリック症候群』『アレルギー薬害』『免疫異常』『脳死者の臓器移植』『再生医療』『不妊治療』『出生前診断』『尊厳死』『老齢化社会』『少子化問題』『介護問題』『遺伝子治療』『他人の卵巣を借りた受精と出産』『過食障害』、『少女買春』、『グラフィックアイドル』、『セクシーアイドル』などなど、これらをざっと振り返るだけでも、身体への観念の侵食がいかに激しく進行してきたかが窺える。メディアがまき散らす身体についての情報や知識のなかで、身体は観念に憑かれたようにカタレプシー(硬直)状態にはまっている」

 また、「身体それ自体がクライシス(危機)という様相を呈することがない限り、身体という媒質、意識という媒質は背後に隠れている」

 「身体はまず命の座である。見たり、聴いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、といったかたちで営まれる知覚や感覚の座である」

 「西欧では、身体は物体の一つとして『心』や『精神』と対置されてきた。と同時に、道徳思想をも組み立て、身体が人間の感情や感応や情動の座であり、これに左右されることが人間における誤謬や悲惨の原因となるとした。しかし、身体との結びつきを離れたところで精神そのものの原則によって行動力が規定されているときこそ、人はその価値を高めるという考え方も招来した」(心と身体とは互いに不即不離の関係)

 「だれも、自身の顔をミラーに移る像、インヴィジブルな存在としか、面会できない。幻想(ファンタムス)によって縫われた身体のアラベスク、それこそ人間の命の実相ではないか。身体を動かす中枢は脳ではない。身体は体位とか構えとか、感能といった、抹消に自生する命のフォーメーションと考えたほうがよい」

 「身体にとって口こそが特殊な器官になっているのは食べる、飲む、空気を吸引するほかに、発声に使われるからで、発声には肺、喉、腹腔といった全体が関与している」

 「人間の意識は氷山の一角どころか、すべての認知過程の最後のひとかけら程度であり、それは認知過程をすべて認識したらオーバーフローしてしまうからだ」

 以上の、抜粋からは、本書のこれから始まる内容が一層深遠なものに思えてき、期待感がふくらむばかりで、鋭い洞察、アングルを換えた予測などが脳裡をめぐった。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ