身体をめぐるレッスン1-夢みる身体「隠喩と素養=メディアと人間の関係をめぐる覚書」(その5)

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身体をめぐるレッスン1

「隠喩と素養=メディアと人間の関係をめぐる覚書」 水越伸(1963年生) 東京大学大学院情報学教授

 「メディア・リテラシーとは、日本語でいえば、識字率のこと、文字の読み書きを学び、書物の世界の様々な知見を入手する力のことを指す」

 「1990年以降、インターネットの発達と携帯電話の普及が進んだことで、テレビや新聞といったマスメディア中心だったメディアのあり方が大きく構造的に変化。そういう過程のなかで、メディアと人間の関係が絶えず問われるようになり、メディア・リテラシーの重要性が指摘されるようになった」

 「正しいメディアの在り方というものがあり得るのか、仮にあったとして、誰が正しい判断をするのかという疑問。新聞、テレビ、インターネット、携帯、それぞれのリテラシーも取りざたされる。メディアの数だけ、別々の独立したメディア・リテラシーがあるのだろうか。この問いかけは、意外に奥が深く、重要」

(メディアにスポンサーが必要である限り、例えばTVなら視聴率を無視できず、視聴率をベースとする以上、内容のレベルが低次元になるのも避けられない)。

 「人間発達や歴史的、文化的な違いからくるメディア・リテラシーのダイナミズムについても『メディアと人間の関係性の基本トポロジー』と名づけてみた。(トポロジーとは英語の「Topology」で、一般的には位相数学、地勢学、風土研究などを意味する)イメージの系譜とダイナミズムについて『メディアの隠喩体系』と呼称した」

 「人がメディアに触れることは、それらのイメージがある種の比率や配分をもって組み合わされ、認識や働きかけのために用意される。人は新しいメディアをとらえるとき、既知の隠喩の体系を引き延ばし、応用して対処する。事物がイメージと重なるとき、共通点と相違点ガ見出され、人はそのメディアを把握する」

 「携帯電話の文化的イメージは絶えず更新される情報技術と、巧妙な商品企画によって、今後もずっと変貌をとげていくに違いない」

 「人間とメディアの関わり方に常に自覚的でいて、その可能性や危険性を批判的に検討していくような営み、すなわち、メディア・リテラシーを育んでいくことが重要になってきている。その営みがどれほど儚く、断片的なものであるにせよ、その努力をせずに自然に任せておいては、デジタル・メディア社会の情報格差や商品化、断片化の傾向はなくならない」

 メディアの近未来への予測を的確に指摘しているだけでなく、人間のサイドからの関わり方によってはリスクが存在することをも的確に推量している。


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