身体をめぐるレッスン1-夢見る身体「気持ちのいい身体の行方」(その8)

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身体をめぐるレッスン1

「気持ちのいい身体の行方」 遠藤徹(1961年生)同志社大学言語文化教育研究センター助教授

 「身体は気持ちのよさ、快感、快適さに貪欲。とはいえ、同じ体験や行為でも、時により、気分や体調により、場所によっても、快感と受けとめるときとそうでないときがある」

 「一方、痛みは快感に比べ、曖昧さのない、明瞭な身体体験である。生理学的心理学の研究者、ロム・ハレはこの違いを、痛みは名詞的で、快感は形容詞的だと表現する」

 「気持ちよさが茫洋としているのは、それが志向性の産物であり、志向性の濃度によって快感はレベル変化する。対象に向かう積極的な志向次第で、レベルには起伏もある。これを『Positive Sensibility』(積極的感覚)という」

 「生理学では身体の感覚を三つに分類する。一つ目は、自己(固有)受容性と呼ばれ、バランス、姿勢、筋肉、関節、内耳、腱の緊張などによって供給される感覚。二つ目は内受容性といい、内臓すべての感覚、美味なものを満腹した幸福感、肺で味わう食後の喫煙などがそれに当たる。三つ目は、外受容性と呼ばれ、外界に開かれた五感が感じるもの、触覚が皮膚で感じるもの」

 「子共は親に抱かれると、触覚を通して快感を覚える。肩や首の凝る人はマッサージされることに快感を覚える。触覚はじかに触れている部分のことしか感じとれず、一度に把握できる情報量で視覚や聴覚には及ばない」

 「視覚、聴覚は『分析する』器官だから鋭い。対象を細分化して細部まで情報として獲得する能力において触覚は遠くおよばない。Analize(分析する)という英語はギリシャ語の「ほどく」という言葉を語源としている」

 「触覚とは親密化の感覚であり、快感の前提としての志向性が必要となる」(とはいえ、混んだ電車の中での痴漢行為は行為する側に快感はあっても、受け身の側には不快しかなく、特殊な例である)

 「最も明白な形の志向的快感は、恋人と抱き合い、いちゃいちゃし、キスを交わしあい、体を愛撫しあい、セックスすることだ」

 「レヴィスやボーヴォワールは『抱擁や愛撫、さらには触れることが気持ちいいのは、それが単に親しみのあるものをより親密にする』行為にとどまらず、『親しみのあるものがより親密になるのと同時に、互いに未知のものとして新しく立ち現れ、あるいは未知の側面を開示し、それがもたらす驚きが互いを更新してくれる。それは自己を拡大する行為であり、自己をつくり変える契機ともなる』という」

(時間をかけ、歳月をかけて、相手のと抱擁、愛撫、セックスを経験しないと、こういう事実は理解できない)

 「新しい形の触覚の復活はテクノロジーによる補填、あるいは新しい触角体験の創出というものがあり、これを触覚テクノロジーという」

 「ヒトゲノム計画をめぐってなされた『知識と権力、理解と再編とが最初から同時に目的であり手段である』というポール・ラビノーの言葉は、分析し理解することは、即座に理性的な支配の手法を生み出すということだ。いまや知ることと支配することが同時に起こりつつある」

 「コンビニで売っている食品のほとんどは予め調査対象によりアンケート形式で、嗜好、好みを聞き取り、商品化する手法を採っている」

 「もし我々の身体が液状、気体状、あるいはエネルギーの振動体に過ぎなかったら、我々の生活形態の基礎になっている個の感覚は生まれなかったろう。独特の硬さ、柔らかさの位相に身体が存在するからこそ、我々の身体は意味をもつ。外界によって触れられるのと同時に、みずからの意思で外界に触れることもできる。触れるとき、外界にあるリアルなものは恒に抵抗感をもつ。それが感じるということだ」

 「身体とは、我々がそこに囚われ逃げ出すことのできない牢獄であるのと同時に、それなしには世界を体験することのできない変化や冒険のための媒体でもある」

 この章では、非常に難易度の高い問題をあの手、この手で解説しているが、理解できたかどうかは判らない。


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