身体をめぐるレッスン1-夢見る身体「まぶさび系感覚論」(その9)

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身体をめぐるレッスン1

「まぶさび系感覚論」 篠原資明(1950) 京都大学院教授

 「『まぶさび』とは『まぶしさ』と『さびしさ』を掛け合わせた造語である。原点にあるのは、熊野の地にある那智の滝を見たときの感動。数十メートルの高みから落ちてくる清浄な水の透明感と、陽光を浴びた滝のしぶきが作りだす虹に打たれた」

(確かに、ナイアガラ瀑布やヴィクトリア瀑布からはこのような印象は発想されないかも知れない)

 「ガラスやアクリルという透明素材を使った建築物やオブジェなどが最近増えている。様々に使われはじめた透明素材は新しい視覚経験をもたらしている。ガラスの表面に映るイメージと、その奥に透けて見えるイメージとの重なり合いは一種の二重奏ともいえる」

(ステンドグラスはゴシック建築の粋、ことに教会権威を高め、維持することに役立ったと歴史書にあるが、その芸術性にしても、透明なガラス質を通しての美しさにしても、同じような二重奏であり、西欧はかなり昔から、ガラスのもつ透明性を利用した美術に覚醒していたと思われ、その延長線上に作者の言う美術が存在したのだと推量される。ただ、教会とか宮殿とかいう建築物は芸術家による美術をまとうことによって、その存在を必要以上にアピールし、芸術家は教会や宮殿が存在したことで腕を奮う場が得られたとはいえる)。

 「美術においても、すでに二種類の奥行きが知られている。幾何学的な遠近法による奥行きと、色そのものがもつ奥行き。前者は遠近する奥行き、後者は起伏する奥行きといってもいい。西洋では奥行きは深さをも意味する。垂直方向にも水平方向にも使われるからだ」

(西欧の庭園に共通する嫌味というか、私が嫌悪を覚えるのは常に幾何学模様が存在することで、アンバランスの美というものを理解していないかに思えることだ)。

 「1960年生まれの徳田は、美術のうちに嗅覚を動員する試みに挑戦、透明な石鹸をスライスして使い、透明なガラスやアクリル板に貼りつけると、香りつきの絵の具に覆われ、画家のタッチの跡のように見える」

 本章にはあまり興味を惹かれなかった。


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