逆説の日本史 6 中世神風編/井沢元彦著

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逆説6

   

   「逆説の日本史 6 中世神風編」 井沢元彦著

   小学館文庫    2002年7月初版

 本書は「宗教」と「鎌倉時代の元寇の来襲」「後醍醐天皇の倒幕」その他に分かれている。

 「宗教に関して簡単に説明することはむずかしい。ここに書いたことはアウトラインであって、仏教というのはそれだけに一生を懸けても極めきれないほどの深いものなのだ」とは、著者が「あとがき」で断っている言葉。

 とはいえ、基本的に、この国が排出した宗教家に相通ずるのは「戒律を無視しても、人々が受け容れやすい方向にもっていく、人々の心の問題にすりかえる」という点で、それが日本的風土に合致していたからであろう。最澄のやり方が後世により強く浸透したのもそういう功利心からではないか。

 「言葉は糟粕であり、瓦礫だ。これらに執着すれば真実を失う」とは、もっともらしい空海の言葉だが、人間社会は言葉を交換することによって意思の疎通をはかり、情報の集積をし、世代から世代へと伝えられることで膨大な情報を蓄えてきた。それが後世、役に立ち、日本文化にも経済にも効力を発揮している。

 この時代の僧侶たちはほとんど例外なく、時代の流れ、時代の背景を観察しつつ、民に対し迎合的な宗教を説き、信仰者を増やすことに努めた。

 (とはいえ、空海の残した、このような言葉に痺れるのが日本人である。だとすれば、この国の住人はグローバリズムの進行する世界において、みずからの出処進退をどうすべきか、あらためて考えるべきだ)。

 (貴族階級の好みを配慮、一方で、一般大衆の嗜好に迎合したり、ぶれながら、いずれにも「可」といわせる宗教を創造する過程をみていると、「なんなんだ? これは?」という気になる。このような「風見鶏」的なご都合主義が日本の国土や気候に合うのだとすれば、この国には西欧や中近東でいう強烈な宗教は所詮生まれてくる素地はなかったといわねばならない。日本はやはり「なあなあの世界」なのだ)。

 本書には「栄西」「道元」「一遍」「日蓮」「親鸞」「唯円」など錚錚たる宗教家が出てくるが、私が最も感銘を受けたのは「踊り念仏」である。人間は単純なリズムと単純なメロディーの反復のなかで一つの動作をくりかえすと、興奮状態になり、恍惚状態に入って、しまいにはトランス状態に陥るという生理的傾向がある。エクスタシ-状態に達すれば、普段の懊悩も苦痛も消し飛ぶ」という考えである。

 この時代、中国からは儒教、孔子、孟子、などが世に排出したのは中国社会がこれ以上にないくらい寂れ、悪人、狂人があふれかえっていたからだろう。 国として収拾がつかないほどに荒れていたのではなかったかと、私は想像する。「聖人、世に出るとき、社会は必ずや荒廃の極にあり」というのが私の考え方である。

 「蒙古」という国名の「蒙」は「バカ」であり、「古」は「古い頭」という意味だと説明しているが、むろん中国が与えた国名である。 中国の顔をたて、臣下の礼をとった沖縄には、「琉球」という「青い海に連なる珠玉の島々」といったイメージを彷彿させる美しい名を与えたことと百八十度異なる対応といっていい。そして、日本はかつて「チビ」という意味の「倭」という国名を与えられていた。そして、日本は琉球に「沖の縄」という、侮辱的としか思えない名を与えた。

 その蒙古が中近東を制覇、モスクワ(当時は村)からハンガリーにまで足を伸ばし、モンゴルおよび中国に「元」という国を打ち立てた。支配下に置いた朝鮮の高麗に船をつくらせ、駆逐した南宋の船団を駆って、日本を攻める。すさまじい数の兵士を満載して日本制覇に燃えてやってきた。(二度も)

 モンゴル人のなかには海を見た人は皆無だったはずだし、水泳のできた人も皆無だったろう。しかも、日本は山あり、谷あり、急峻な川あり、田圃あり、沢ありのモンゴルにはない地形の国だった。明らかに、モンゴル軍にとっては騎馬軍団を派遣して戦うにはやりにくいことおびただしく、地形にも難渋したであろう。だいたい、モンゴルから船団に何万騎も馬を乗せてやってくる余力などあるはずがなかった。モンゴル人は船酔いもしただろうし、得意の騎馬兵団も使えなかっただろう。そのえう、台風が突如この海域を襲った。以来、この国に「我国は神に守られている」という勝手な妄想がひろがった。 作者は「勝利は海がくれた」と結論している。

 日本幕府があまりにも敵の情報に無関心だったことに作者は驚きを隠さない。どうも日本には敵を知ることに全力をかけなかった恨みがある。(情報というものに関する感性の差)。

 (これが太平洋戦争時のレイダーの差に結果したのではないか。空母や戦闘機の数の差よりも、戦前に八木という人がつくった「ヤギアンテナ」を日本軍部はだれも評価せず、アメリカで評価され、イギリスで発明されたレイダーによる通信を受信するうえで最高の効果を発揮したのがヤギアンテナであった。おかげで、日本の通信がすべて傍受されていたことが敗戦を決定づける端緒になった。暗号に薩摩弁を利用した日本軍部の馬鹿さ加減にもあきれる。ハワイに薩摩出身の移民が多く存在することを失念していたとは)。

 「なかに、楠木正成という軍略家がいて、後醍醐天皇に寵愛を受け、倒幕に加担する。その当時、楠木は後醍醐の下問を受け、「東国武士は頭が弱い」といったという。殺気だった戦には積極的ではあっても、頭は弱いから勝てる」と豪語したという。 つっかかる言葉だが、当時としてはむしろ常識であったろう。当時、東国に住む人間は「坂東武者」といい、西域に住む人間にとっては教養とは無縁の蛮族なみの外国人だったと思われる。

 「この国はむかしから責任を問いにくい構造をつくるのが好きで、これは政治家をはじめ、企業でも、公団でも、いまもってやっている。 印鑑が39も並ばないと、ことが運ばないという官庁、企業はまだまだ幾らも存在する。既得権を手放そうとはせず、甘い汁を吸える体制を改革しようとしない、それが我国歴史の鉄則である」というのは、明察というしかない。 これを潰すには相手を抹殺する以外にない。現代の利権にぶら下がる政界、財界、官僚、企業をどう殲滅するか、これから当面する大きな試練だろう。


 「大学に軍事専門を学ぶ部があってもいい」との意見には同意する。 中国、韓国、台湾、北朝鮮などの軍事的増強を的確に認識しつつ、わが国の軍備も怠りなく増強、訓練の必要がある。 しつこいようだが、「武力なき国に発言力はなく、平和も手に入らない」のだから。 

 この作家に特徴的な文筆の巧みさは、「たとえ話の頻繁な使用」にもある。


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