逆説の日本史 13 江戸文化と鎖国の謎/井沢元彦著

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逆説13

    

 「逆説の日本史(13)「江戸文化と鎖国の謎」 井沢元彦著  

 小学館単行本 ¥1600 2006年7月初版

 「わが国の学者には歴史を通史として概観する姿勢がなく、それぞれ時代区分ごとに固執研究しているため、歴史全体から何かを学ぶ、政治、外交、対応などを推敲する、意識改革をする、対処療法から脱する、そうした姿勢に欠けている」との指摘は当を得ているが、高校生が初めて歴史を学ぶときぐらいは面白いと思える時代をまず教えたほうが歴史とのつきあいが長くなるような気がする。

 織田信長の傑物ぶり、その偉業を強調したいあまり、本書ではローマ史研究家の塩野七生さんの「日本人は信長の遺産をそのまま引き継いでいず、それは大いなる損失」という言葉まで引用しているのは、現在にいたっても、信長を曲解したり誤解したりする学者や作家が跡を絶たないからであろう。 信長が日本の生んだ偉大な人物の一人であることに異論はない。 ことに、未知のもの、科学的なものへの好奇心は、同時代の人間の平均をはるかに超えていたのではなかろうか。信長が生きていた時代に後に生まれた天才、平賀源内を邂逅させたかった。

 

 キリシタン信徒の磔処刑、島原の乱のあと、キリシタン禁制令とともに、海外渡航も海外からの帰国も禁止され、これが実質的な鎖国となるのだが、「鎖国」という言葉自体は日本人が口にした言葉ではなく、オランダ人のエンゲルベルト・カペルが記した言葉だという。 当時の日本の歴史については、外国からの宣教師ら日本を訪問した人間による、たとえば、日記、報告、航海日誌などのほうにしばしば真実が記述され遺されているという指摘。

 信長も秀吉も外国との貿易を通じて莫大な利益が生まれることを知っていたが、家康も「外国商館を浦賀につくってくれ」とか「鉱山技師を派遣して欲しい」とか、外国人宣教師に依頼したという話がある。日本に火薬の原料となる硝石が産出せず、未だ不安定な日本社会を武断政治で切り抜けるために火薬はもちろん、貿易がなによりも必要だったからだ。 家康は三浦安針(イギリス人)に三浦郡に250石を与え、その航海技術を学ぼうとした事績がある。

 ただ、スペイン船の乗組員の一人が「スペインは中米、南米でまず布教をはじめ、現地人に内応者をつくり、侵略の手がかりとし、植民地化、収奪へと進んだ過程」を漏らしたことが幕府の耳に入ることとなり、これがオランダ一国を窓口にするという結論を導いたという説。そのオランダでさえ、はじめインドやヴェトナムからイギリスやフランスに追い出され、やむなく位置的に遠隔のインドネシアをおよそ3世紀にわたって植民地とし、収奪を重ねた歴史をもつ。

 疑問に思うのは、江戸期の幕府閣僚の態度である。

 先進諸国への唯一の窓口と決めたオランダから西欧の歴史的、文化的、科学的な進歩や変化を貪欲に聞き出そうという積極性が江戸260年余を通じて窺えないことだ。どうやら情報への枯渇感が欠落していたのか、他国への関心が希薄だったのか、もともと情報というものを軽視していたのか、ことに科学的な面での好奇心が平賀源内のことからも薄弱だったことが推察され、そうした姿勢が戦前のヤギアンテナ軽視という姿勢を招き、対米戦争時にまで持ち越され、アメリカの生産能力、武力の情報収集をおろそかにし、正確な判断力を欠いて、結果的に何百万人という同胞を死に追いやったという感が拭えない。(多くの武士や医師が長崎に足を運び、オランダ語の習得や西欧知識の勉強に懸命だったことは知っているが、それらは藩独自の考えに基づくものか個人の意志に負うことのほうが多かった)。

 英米との戦争に絶対反対の意思表示をしていた山本五十六までが会戦が決定的になると、最終的には「半年や一年ならなんとかもたせてみせましょう」といったという話があるが、日清、日露の両戦争が一、二年で終結したための短絡というしかなく、長期戦を想定していなかったというのは「奇襲戦法」だけに依存し、その成功を賛美した古来からの経験則に、いわば「日本人の癖」に根拠があるような気がする。 

 日本人の戦争の歴史に残る「燦然たる事績は、たとえば、「義経のひよどり越えの坂落とし」や、「パールハーバー攻撃」や、「桶狭間の戦い」に見られる通り、すべて奇襲戦法によるもので、言葉は悪いが、手段が「姑息」というしかない。ことに真珠湾では「肉を切らして骨を切る」という武士本来の意気込みとは遠い戦術に終始、傷の浅いところで帰国を命令した南雲中将の頭脳をかち割りたくなる。むろん、当時、兵器は天皇の所有物であり、兵士は天皇の赤子であるとの思想が第一次大戦後に陸海軍に蔓延したという歴史も知ってはいるが、撃沈したはずの米艦があっというまに修繕され、実戦の場に出撃してきた事実が、パールハーバー攻撃の中途半端さを如実に示している。

 私が個人的に知っている日系米人でハワイ居住のおばさんは真珠湾攻撃時にはまだ少女で、日曜日とあってお寺に行っていたという。そのおり、突然、日の丸をつけた何十機もの戦闘機が唸りをあげて上空を飛行する姿を目にし、あまりの格好よさに感激したという。しかし、日本の戦闘機は真珠湾ばかりを狙ったらしく、石油備蓄タンクや市民の居住区にはなんら被害をもたらさなかったと明言。 このおばさんは当然ながら70歳を超えているが、現在は日本に常駐し、英語を教えている。 真珠湾を攻撃している日本海軍の戦闘機を肉眼で見たという人に遭ったのは初めてのことで、無闇に感激したことを覚えている。

 アメリカ人は「愛」を、中国人は「孝」を、日本人は「和」をもって尊しとなすというが、アメリカ人の「愛」はあくまで「ファミリー愛」であって、「博愛」ではないことを知るべきだというのは仰る通りだ。

  

 著者は卑近な例として、沈没しかかった船から救助する場面で救助の順をどうするかについて語っていて、そこが面白い。 西欧では、まず子供、女、最後に男であり、女で一杯になれば男は残されるのが常識だが、中国にとって第一の救助対象は自分の両親だという。そして、それが、儒教の「孝」を重んずるあまり子孫のことはあまり考えない国民性だと指摘している。 だから、かつて、平重盛が「孝ならんと欲すれば忠(天皇に対する)ならず、忠ならんと欲すれば孝ならず」といって父親の平清盛の暴挙を慨嘆するようなことは、中国では起こらないらしい。 親が悪事を犯したとしても、親を助ける、逃亡を補助してもそれが当然の行為で、中国ではだれもそれを糾弾しないという。人口の多い国であるがゆえに、子孫優先という考えが生まれないでのであろう。

 中国人のいう「儒教」と、日本人が「儒教」だと思っていることには大きな隔たりがあること、儒教が中国から朝鮮半島を経て日本に渡ってきたのは事実だが、日本に入ってから大きく変容している事実を認識すべきことを強調している。 儒教はむしろ韓国にそのままの形で生きており、だからこそ、「オムニ(母)は絶対に不可侵なのだ」と。

 上記とは別だが、だいたい、中国という国から伝わる言葉、たとえば「人の性は善なり」などという、一見格好のよい言葉も、その言葉が生まれた社会背景として「性悪な人間が多く存在した」ことの裏書である。

 確かに、日本人は外国に学ぶことは多々あったが、歴史的にそれらをそのまま踏襲した例はわずかで、必ず日本式に、あるいはこの国の実情に合致するように、検討、工夫を加え、変容、変貌させ、発展させてきた。

 中国の寺院には赤が使われ、われわれにはそれが派手で、けばけばしく見える。 赤を真似たのは琉球王国で、首里城に行ってみれば、わかる。 日本人は一般論としてだが、簡素で素朴な色合いを好み、京都の金閣寺や日光の東照宮などはむしろ例外的な建築物。そうした意味でも、学びはしたが、長期にわたってそっくり真似をしたことはない。

 

 中国人や韓国人のように偽ブランドを良心の呵責すら覚えず、大量に生産し、他人の、他国の著作権を犯しても躊躇しないという性悪さとは無縁である。(もっとも、それを大量輸入して日本で売ろうとして逮捕されたのは日本人だったが)。 また、他国の通貨を国をあげて偽造するという北朝鮮のような悪辣さは国としての体面をなしていない。

 著者が指摘するように、「中国という国では、いまだに全うな選挙というものが一度としてなされたことのない、世界でも珍奇の部類に入る国である」ことを知っておいたほうがいい。 歴史を通して、先代の王権を簒奪して新しい国造りをするという手法をくりかえしてきた国である。毛沢東以降、いくばくかの人間が政権を指名によって交替し現在に至っている。階級をなくすための階級闘争からはじまった革命に成功しながら、「民意を問う」ということをしたことがないし、階級が消滅したこともない。 

 

  日本人の好きな「和」の問題だが、現代の日本政府は、老人の年金を削ってでも、外国の被災者に資金や物資の支援を行うが、これが「和」だとはとても思えない。むしろ、「日本の常識は世界の非常識」というだれかが言った言葉のほうがピンとくるし、井沢さんがいうように「これこそ日本人の未熟さ」というしかない。「平和を守ろうとするなら武装せよ」は当たり前の考えである。 日本人の好きな「話し合い」も背景に武力があってこそ有効なのだ。ミサイルやテポドンに一喜一憂する日本人に、北朝鮮は笑いが止まらないだろう。誤解を避けるために、もう一度いうが、武力は第一に発言力を強めるため、第二に自国を防衛するため、第三に他国から攻撃を受けた場合、必要とあらば応戦するために必要なのだ。

 本書は、江戸文化を花開かせた、文楽、能、歌舞伎、浄瑠璃、などの解説もあって、賑やかな内容となっている。 また、「生類憐れみの令」を出し、かねてから「バカ殿」と評価されていた「犬公方」こと徳川綱吉に関して、まったく異なるアングルからこの将軍について触れている内容も興味深い。

 


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