逆説の日本史 5 中世動乱編/井沢元彦著

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逆説の日本史5「逆説の日本史・(5)中世動乱編」
井沢元彦著  小学館文庫

 過去を適切なアングルから再認識し、これを現代の社会体制の諸々と比較、照合する、そのえうで、我国が未来にどのように対応していくべきかを思索するうえで、近来にない多くの素材と、方向とを暗示するという意味で、本書はどの一遍をとっても、きわめて有効であり示唆に富んでいる。

 著者が強調する「日本人の大方が納得する社会」というのは理解できる。憲法があっても、法律があっても、世間が納得するかぎりにおいて、ときに政治は憲法も法律も無視して、国民の大方が納得できる形で、たとえば自衛隊をつくったり、海外へも派遣できるようにする。そうした姿勢が鎌倉期から現代まで継続して存在する。外国人の目からは信じられない「ゆるふん状態」「いいかげんな政治」に見えるが、その手法がこの国の風土、気候に合致しているのだという主張。

 (卑近な例だが、日本人観光客は外国で買物をして釣銭をもらってもだれも数えようとしない。日本人は商売をしている側と買い手とのあいだには信頼関係が自然にあることを疑っていない。ところが、実態としては、日本人はどこに旅行しても、海外ではどこでも「いいカモ」である。 日本国内で通用することも外に出れば通用しないことは事実。 要するに、「日本人の納得を生む社会体制が国際的に整合性はあるのか」という疑問に行き着く。 ことはそれだけではない。 すでに、この国には石原慎太郎氏いうところの「第三国人」が大量に入国していて、むかしむかしは考えられなかった犯罪が頻発するようになった。 これもわれわれ日本人だけが互いに納得する「甘すぎる治安レベル」で対応しているからだ。 中国人が見た目にはほとんどそれと判らない偽ブランドをつくって、国内外で販売しているが、こうした著作権の無視を平気で、心に痛みを感じずにできるところが中国人の中国人たるゆえんである)。

  現今、我々はこれまでとは違った理念、これまでとは違った厳しい対応手法を確立するという急務を負っている。 「日本には日本風土に合った手法がある」とするならば、その手法を「国際的に理解できるような手法」として、「通用する手法」として説明できなくてはならないし、自己主張できなければ、新しい時代を切り開けない。

 (これまでこの国は世界の貧しい国へ、戦災でぼろぼろになった国へ、発展途上国へ、中国にまで、国民の税金をばら撒いてきた。それでも、国際連合の常任理事国に推挙されるのは至難の望みである。このやり方でよかったのかどうか。 国連の運営費をわずかにしか払ってない国が拒否権すら持つというのに)。

 (もういちどいうが、日本の風土に合った日本的な手法はそれはそれでわかるが、国際的な環境のなかで整合性をとれるのかどうかという点に今後の大きな課題がある)。

 本書から学んだこと、疑問に思ったこと:

1.侍の語源は「さぶらふ」つまり、仕えることだった。武士とは皇族を中心とする公家に従い、仕えるもので、公家から見たら一段も二段も低い存在だった。鎌倉以前の公家、貴族は「武家など虫ケラ」と等しく思っていた。(「侍」という字は「はべる」とも読み、貴族階級の人間どもの傍にはべって、いわば、ガードマン、SPの仕事をしていたのが、いわば武家の出発点であり存在意義だった)。

2.(義経の連戦連勝は三度にわたる奇襲戦法によってだった。しかも、いずれも騎馬を利用したスピディーな攻撃。これをもって軍事的天才といえるのかどうかは疑問だと思っている。 奇襲はあくまでも奇襲でしかない、大軍と大軍とが睨みあって、大きなスケールのなかでぶつかりあうというのが、本来の戦争である。 もし、そういう平原で大規模な戦があったとき、義経が軍事的天才を振るって相手を殲滅できたかどうか)。

 (だいたい、この当時の日本に軍馬として使える馬が何頭いたのであろうか。 たとえば、モンゴルの有していた騎馬軍団との対比では、大人と子供だったろう。このあたりの実数を知りたいものだ。馬が戦に利用できたにせよ、馬体は小さく、馬高も低かった)。

3.この国には「革命」は起こらないという説。かろうじて、平将門は朝廷覆滅を宣言した、日本史上めずらしいケース。東国に居住する武士団がみずから開拓した土地は個人の所有という夢を頼朝をかつぐことによって成就しようとした。(平将門の意志を継ぐものだったのではないか)。

 (鎌倉幕府が成立したあとも、結局、朝廷との協調路線をとり、頼朝などは自分の娘(大姫)を皇室に嫁入りさせようとしたくらいだ。清盛となんら変わるところはない。このあたりも国民大方の納得レベルだったのだろうか。こういう「ゆるふん」をやっているから、妻の北条政子一派に根こそぎいかれてしまったのだ)。

  確かに、外国では王者を葬るために士が立ち上がり、これを根絶やしにして次のステップに進む。 これをあえてしなかったことにも納得があるという。それは「祟りを恐れる気風だ」そうだ。 日本人は抹殺しようとする相手が巨大であればあるほど「祟りを恐怖したという。 また、朝廷に武力がなかったことも、朝廷の長生きを保証することにつながった。

4.過去に世に出た「時代小説」「物語」「講談」「舞台上の芝居」などなどが歴史認識に誤解を招来するというのは事実。

 (司馬遼太郎自身が「時代小説では人物を誇張して書ける」と断言している。ということは、人物描写のなかにも過剰な色づけがなされたということだろう。 もっとも、その明確な色づけが読者の心にわかりやすい人物像をインプットすることで多くの読者を得る礎にも繋がったのに違いないのだが。 「赤穂四十七士の吉良低討ち入り」などは、国民間に誤解を生んだ最大の例)。

5.この当時は足利義時の師匠でもあった明恵(みょうえ)が自我の否定、肯定という以上に、「自然との一体感」を強調した。明恵はもっと知られてよい人物だという。

6.この当時、西欧的な合理性を尊重した人物は畳のうえでは死ねない。織田信長もその例。 合理的に物事を仕切ろうとする人間は「鬼」だといわれた。そして、境屋太一氏はこれを「鬼は退治される宿命」といった由。 (日本的風土に合致しない言動は許容されない)。

7.司馬遼太郎は「鎌倉以後、明快なモラルが生まれる。恥をそそぐための自死、泥をかぶる屈辱を偲ぶ勇気などは奈良町、平安朝まではないという。 (要するに「侍としての覚悟」の誕生か)。

  日本的な「納得」を規範とする社会では「和」をなによりも、重要視する。 決着をつけるというより「和解」」させることに裁判官も意を用いる。 「話し合えば、なんとか双方が傷つかずに、まるくおさまるだろう」という期待であり、だから「和解」を勧める。 この手法がバブル崩壊後に適用され、ひいては修復に膨大な時間がかかり、世界から顰蹙(ひんしゅく)を買った。 

 (日本の金融業者が日本固有の土地神話を海外にまで通用するとの錯覚をもって、ニューヨークに巨大ビルを、ハワイにリゾートビラやマンションを、シドニーにもビラを、買い漁り、バブル崩壊後は買った値段の十分の一で買い取ってもらったというのが現状だ。 「外資に手玉にとられた」という実態がある。しかも、その外資がいまや日本のゴルフ場、都市のビル、リゾートのホテルなどのオーナー、株式市場を左右する柱ともなっている。日本の金融業、資本家、ビジネスマンの甘さが露呈されただけで、いかにも情けない。)

 (1)日本人とはなにか(2)日本人はどうのような経済活動、文化活動を是とするのか、(3)日本人が基本的に精神の礎にしている士道をいうものをもっと前面に押しだし、(3)国際間にあって、欧米、アジア諸国との関係を平和裏に、かつ彼らの合理性を尊重しつつ、どう展開していくべきかを主体性をもって議論していくことだろう。

 日本経済をこれまで引っ張ってきたキーワードには次のようなものがある:

 護送船団方式、談合、衆議製、稟議制、共存共栄、日本的社会主義、印鑑行政、優秀な個人による活躍によって無能な仲間もメシが食えるという従来の企業組織。 政、財、官、民の癒着、贈収賄、官僚におんぶに抱っこの政治家、天下り方式、親方日の丸の官僚。


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