逆説の日本史 7 中世王権編/井沢元彦著

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逆説の日本史7

「逆説の日本史」(7) 中世、王権編
井沢元彦著  小学館文庫

 

 本書の著者の文体構成のしつこさに辟易しながらも、この著者の作品を読み継ぐことに倦怠を覚えないということは、かつて歴史を扱う作家に同類の人がいなかったからである。また、他の作家を凌ぐ洞察と情熱が読む者の心にじかに伝わってくるからでもある。

 著者の言い分に同感することも少なくない。たとえば、「日本人には一貫して危機管理の能力がない。危機は不吉の事態を想定するものだが、想定だけに終わってしまって、軍備を整える、あるいは整えておくといった、万一に備える発想がない。だから、なにか想定外のことが起こると、日本中がパニックに陥って、慌てふためく。」

 (このことは今後、中国、北朝鮮、韓国、などとのあいだに発生する問題にどう対応すべきかを示唆するもの。この国の為政者には、言葉はいつも用意されているが、具体的な方策、現実的な対応策は恒常的にない)。

 自国の防衛を他国(アメリカ)に依存している現状ははっきりいって噴飯ものだし、世界に例がない。 しかも、日本は膨大な借金にまみれながら金を世界にばらまいている。なぜ、その金を防衛の強化につなげないのか。中国は人からもらった金を軍備の増強にまわし、それを日本への威嚇に使おうとしているのに。

 「太平記」から後醍醐天皇を軸とした南北朝の分裂、そして足利義満による統合、室町幕府による政治、ことに足利幕府を安定させた足利尊氏と足利隆教の業績と悪業については教えられることが多かった。

 「むかしの日本人が怨霊を恐れる心理には、現代の日本人には想像を超えるものがあった」という再三の言葉には耳を貸しておきたい。日本独特の「死者に対するサイコロジカルな反応」といっていい。

 過去、スペイン人やポルトガル人が南米で、イギリス人が豪州、北米、中近東でどのくらいの現地民を殺したか測り知れないが、かれらが怨霊を恐れたという話はあまり聞いたことがない。キリスト教会は時代によっては科学的発想者を徹底的に虐待してきたが、怨霊というものへの恐れは古城などにあるかに聞いている。怨霊恐怖は同じ人種同士の殺し合いの末に起こるもので、他人種を殺しても怨霊恐怖はないのかも知れない。

 「寺は組であり、僧兵は暴力団」という決めつけかたは当たっている。(だからこそ、信長が比叡山の僧兵3,000人を焼き殺した話にも、私は全く動じないし、一部の人が持つ(たとえば藤沢周平が嫌うような)信長観はもっていない)。

 「婆娑羅(ばさら)」という言葉がある。放恣、放逸で、気ままにやりたいことをやる、社会的に認識されている上下関係を平気で無視したやからという意味だが、この時代は、公家、武家、商人、農民らがそれぞれの地位を確立していこうとした過程にもあったことが窺える。

 頻繁に出てくる「忠義」という言葉、いまや死語に近く、いまの若い人の口からは出てこない言葉に成り下がってしまったことに感慨を覚える。英語の ROYALTY とはちょっと意味が違うだろう。

 最後に、本書のみならず、井沢さんの作品には、海音寺潮五郎の名がしきりに出てくる。しかも、文献として採り上げらえる内容は時代を超えて、いまの読者にも響くものを持っている。要するに、洞察力が他の作家を抜いているような気がする。この作家に出遭えたこと、関心をもち得たことは福音といっていい。

 本書を読む直前に、黒田俊雄著の「蒙古襲来」を読んでたことが伏線ともなって、理解を早めてくれたことは明記しておきたい。


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